第51話 義親砲
玄界灘に臨む小高い丘、その上に立つ松浦党の砦へと、見渡す限りの軍勢が押し寄せていた。
宗頼は満足であった。
命令一下、筑前筑後、豊前からこれほどの、いまだかつて自分自身も見たことのない数の兵が集まったからである。
これを指揮して松浦党を殲滅し、憎き八郎為朝の首を取るのだ。そう思う宗頼の顔は紅潮し、身は打ち震え、明らかな気の高揚は傍目にも普通ではないと感じられた。
ただひとつ不満があるとすれば、近隣の町や村々の民がとうに避難を終え、略奪すべき品々も兵糧も見つからなかったことだ。
鎮西を統括する大宰府の命とはいえ、集まった兵たちは何も忠義心や義務だけで唐津までやって来た訳ではない。恩賞と、それにも勝る目的があった。
敵の治める町や村を襲い、価値ある品々や米、作物を奪うこと、更には婦女子の凌辱である。
義親は宋との貿易を盛んに行う大商人でもある。ゆえに、その本拠である唐津は港として栄え、商家や民家が建ち並んでいた。そしてまた、領内の村々に課される税も軽かったため、民人は皆、この当時には稀な豊かな暮らしを営んでいた。
松浦党の武力を背景に国や荘園領主の支配を免れ、ある意味で治外法権下の繁栄を享受していたのである。ここが戦場となれば、略奪や凌辱の対象には事欠かぬであろう。
ところが案に相違して町や村々には既に人影もなく、めぼしい家財や食料は既に運び出された後だったのだ。
兵たちは落胆した。家々に火を放って鬱憤を晴らしたが、駐屯すべき宿営を自ら失うという愚かな行為である。
あちこちで燃え上がる炎、立ち昇る煙を眺めながら宗頼は算段する。
(まあよい。どうせ長期戦にするつもりはない。これだけの軍勢で攻めれば砦もひとたまりもあるまい。そうすれば奴らが蓄えた財物が略奪品と恩賞代わりになるというものだ)
博多の商人たちから奪った金銀や品々は今も大宰府の政庁、蔵司、税司にある。だが、それらを恩賞に回すつもりはない。自らの懐を肥やし、一部は京の要人に送って己の官位を高め、以後の交誼を得るための大切な資産なのだ。
(そのうえ、八郎為朝を討てば謝礼は望み次第とは、信西殿も気前の良いことよ。旨味の多きこと、
砦の背後の海上には多くの船が浮かんでいる。松浦党の船である。
海戦に備えているのではない。今の大宰府の配下には、松浦党に挑み得るような強力な水軍は存在しない。
陸戦の巻き添えにならぬよう女子供を避難させているのだ。そして、まさかの時はそのまま船で何処かに逃がすことができるようにである。
官たる大宰府が略奪や凌辱を当然と考え、海賊と呼ばれる松浦党が民の安全を配慮するという奇妙な戦であった。
「少弐殿」
宗頼に声が掛かった。
声の主は原田
「何じゃ」
宗頼は不快さを露わにして応じた。
相手は少弐の地位に次ぐ大監であり、軍の中でも副官と呼ぶべき立場である。虫が好かぬ、鼻持ちならぬと腹中では感じていても、それなりの礼をもって接すべき相手であろう。現に種雄はそうしている。
にもかかわらず今の宗頼は、こ奴め、小面憎し、といった日頃からの嫌悪を隠そうともしないのだ。
それは戦に臨んでの昂ぶりのせいであったろうか。あるいは大軍勢を集めたことによる驕りがそうさせたのか。
種雄は宗頼の態度には構わず進言した。
「敵には源八郎為朝という年若なれど剛の者が居るとか。御味方多勢とはいえ、十分に心して掛かることが肝要かと」
種雄には宗頼の内心は重々わかっている。
宗頼殿は、町や村の略奪が叶わなかった分を、松浦党が蓄えた財物で補うつもりであろう。おそらくは恩賞についても同様か。
仕方があるまい。今回は博多の一件とは違って合戦である。相手も、敗れればどうなるかは覚悟の上で挑んできているはずだ。
それにしても、あらかじめ領民を逃がし、害が及ばぬようにしたのは見事。さすがは名にしおう松浦党というべきか。
戦を前にしてこれだけの配慮ができるとは、それだけの余裕があるということだ。
やはり尋常の相手ではない。
油断の無きよう、たとえ嫌な顔をされようとも戒めておかなければ。
そう考えて、開戦直前のこの時に敢えて忠告したのである。
しかし種雄の言葉は、その思惑とは逆に宗頼を激しく刺激した。
痴れ者めが。この期に及んで賢し気にしゃしゃり出てきおって。軍師にでもなったつもりか。
しかも八郎為朝だと!
「あのような小冠者、恐るるに足らず!」
宗頼は早くも逆上して大声を発した。
種雄はこれを冷静に諫めんとする。
「しかし、先日の舟戦では強弓を振るって瀬戸内水軍を破り、立て続けに次は大宰府を襲い、痛撃を与えた相手ですぞ」
「我らの油断に乗じたに過ぎぬ。この戦にて目にもの見せてくれるわ!」
宗頼の脳裏に忌まわしい恥辱が甦った。
(烏帽子を射るなど、舐めた真似をしおって。その代償が如何程のものになるか思い知るがよい)
下唇を強く嚙み復讐の思いを新たにする。こうなってしまえば種雄にも続ける言葉が無い。軍中には早くも不穏な空気が漂った。
周囲の皆が見て見ぬふりをする、そこに敢えて馬を寄せてきた武士がいた。
原田種平という。種雄とは近い縁戚であるが、同じ原田氏の中で嫡流を競い合う険悪な間柄である。
その種平が場違いな笑顔と大声で、
「少弐様」
と呼び掛けた。
宗頼と種雄のやり取りを目ざとく捉え、今が自分の出番と判断したのだろう。
小太りの身体には似合わぬ赤糸威の派手な大鎧、その出で立ちはまるで道化である。
宗頼は何も答えない。種平は構わず申し出た。
「今日の合戦、
「そうか!」
いきなり宗頼の顔は喜色に転じた。
「有難い! そうしてくれるか」
名乗りの役とは、戦の始まりにあたって軍の先頭に立ち、自らの武勇を誇り軍の大義を呼ばわるものである。
戦場の華とも言えるその役割を、此度に限って誰も申し出なかったのはやはり、博多を襲って多くの民を傷つけ財物を略奪したという、そもそもの発端に大義を見出し難かったからであろう。
それを種平は自ら買って出たばかりか、真っ先に敵に打ち掛かる先陣まで務めようというのである。
「しかと我が方の大義を明らかにし、味方の戦意を高揚させてくれ」
「心得ました。
種平の狙いは見え透いていた。多くの者が気乗りせぬこの合戦こそを好機として、宗頼の歓心を買い、その力を後ろ盾に一族内での力を強めんと図っているのだ。
原田氏は承平天慶の乱で功のあった大蔵春実を祖とし、以降、代々大宰府府官に任ぜられてきた九州の名族。
現在、嫡流は種雄と見なされているが、もしも種平がこの合戦にて大功を挙げることあらば、宗頼の意にも大いに適い、一族内での勢力は種雄を圧倒するであろう。事実上の棟梁となり、いずれは名目の上においても種雄に取って代わることは夢ではない。
嫡流の縁に近く連なる者なら誰でも、実力と働きによって棟梁の地位を望み得る、そういう時代であったし、争いを日常とする武士ならば尚更である。嘗ての河内源氏の内紛はその典型であり、原田氏もまた例外ではない。
だが、そんなことは一方の種雄にとってはどうでもいい、取るに足らない小事である。
生死定かならぬ戦場において、おためごかしに総帥の機嫌を取るなどという下らぬことに励んでどうするか。しかも相手には八郎為朝という比類なき剛勇を誇る若武者ありというではないか。
「ふん、勝手にせよ。儂は自分の名に恥じぬ戦をするだけじゃ」
したり顔で去っていく種平を見やりながら、種雄は誰にともなく小さく呟いた。
自陣に戻るや種平は手勢二百騎あまりを引き連れ、威厳を装って敵前に押し出した。
相手からの距離は約三町。矢を狙って当てるには遠い、仮に命中したとしても甲冑を貫くまでには至らない距離である。このこと一つにも種平の覚悟がどれしきのものであったか、底の浅さが見て取れる。
松浦党の先頭に立つのは弁慶。
遠目にも分かる巨躯に鎧と黒衣をつけ、白絹の行人包という堂々たる姿。その威風は周囲を圧し、今にも種平の軍勢に
唐津に大宰府の軍勢を誘き寄せたのは、なにも砦に籠ってひたすら防御の戦を試みるためではない。八郎も義親も、砦の備えと知り尽くした地形を最大限に利用し、この一戦にて大宰府の軍を壊滅させようとしているのである。
その先鋒を任されたのが弁慶率いる二百の兵。勇み立つ彼らを前に、種平は自軍の先頭に進み出て胴間声を張り上げた。
「これなるは原田種平と申し、朝敵平将門討伐ばかりか大百足退治で名高き俵藤太公が
軍の総帥たる宗頼を祭り上げることも忘れない、種平らしい計算高い口上である。
「我が祖・春実は遠く天慶四年、時の追捕使長官・小野好古に従い、博多の戦いにて藤原純友の軍を討つに大功あり。以来、子孫は連綿と大宰府の要職に就き今に至る。我もまた若年の頃より多くの戦場にて武功を挙げしこと数限りなし!」
ここで松浦党の陣から大きな声が上がった。弁慶である。
「長い! それでは名乗りではなく、無駄な自慢話じゃ」
常々無口な弁慶にして、言い得て妙な揶揄の言である。期せずして松浦党の陣から嘲笑が巻き起こった。
だが種平は怯まない。一向に恥じず、鉄面皮にも更に口上を続ける。
「不心得者よ、聞く耳も持たぬ汝らに敢えて道理を説かん! 先般、貴様らは恐れ多くも大宰府を襲い、罪も無き多くの人々を殺し、あまつさえ官衙、兵舎、家々に悉く火を放つという無法を行った。いま我らは、その悪逆非道に報いて貴様らを誅せんと……」
種平の言は、敵の戦意を挫き味方の士気を高めるというよりも、自らの弁舌の巧みさを誇り、同時に宗頼に摺り寄らんとするものである。
だがこの時、砦から打ち出された長大な何かが松浦党の者共の頭上を越え、あたかも怪鳥の叫びのような、空気を引き裂く音と共に種平たちに迫った。
退屈な口上は突然の怪鳥音にかき消される。
凄まじい速度で彼方から真っ直ぐに飛び来たそれは、重い衝撃音を轟かせて種平の馬前に突き刺さり、地面を揺らし、激しく土煙を巻き上げた。
陣は思いがけぬ大混乱に陥った。馬たちは恐怖のあまり棹立ちになって嘶き、騎乗の武者を振り落とす。種平もまた背中から地面に落下し、人目を引く豪華な鎧は惨めにも土埃に
いったい何事か! 誰もが息を呑み、目を見張った。数瞬のあいだ戦場を沈黙が支配する。
それは長さ二間、柄の太さ五寸、角錘形の鏃だけでも二尺はあろうかという化物のような鉄の矢であった。
王昇が持ち込んだものに学んで義親が急ぎ作らせた超大型の弩、もはや砲と呼ぶべき代物から放たれた特製の矢である。
「わーっはっは、見たかあ! これこそが儂自慢の新兵器・巨大弩、名付けて『義親砲』よ!」
子供のようにはしゃぐ義親の声が戦場に聞こえ渡った。
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