第49話 白蛇団

 唐津館の一室に八郎、重季、義親、そして後藤助明と白縫姫が集っていた。

 まず義親が口を開いた。


「いやあ、さすがにこの儂も驚いたぞ。何が出てくるかと思いきや、まさか阿蘇大宮司家の姫とはな。しかもこのような年若の美しい姫とは、八郎よ、わざわざ黒髪山まで出向いた甲斐があったというものだな」


 大蛇退治の意外な顛末に心底から愉快気である。笑いかけられた八郎はといえば、言葉を返さず苦笑いするばかり。


「白縫と申します。以後、宜しくお頼み申し上げます」


 姫は板床に両手をつき、深々と頭を下げた。

 神懸かりの状態にあった時とはまるで違う控えめな様子で、その所作はまさしく由緒ある家の娘に相応しい。

 聞けば、歳は八郎と同年という。黒目がちな瞳とつややかな黒髪、儚げな細身の身体が印象的な、時葉とはまた別の美しさを持った少女である。

 これがあの翁面をつけ重々しい声で一語一語を発していた娘かと、目を見張る程の変貌ぶりであった。


「誠に申し訳ない。他でもない阿蘇大宮司家のたっての依頼ゆえ、どうしても断ることができなかったのです」


 と、助明は頭を掻く。

 重季がこの言葉の意を鋭く捉えた。すぐさま助明に確かめる。


「大宮司家の依頼と申されましたな」

「はい、申しましたが、それが何か」

「ということは、姫一人の所存ではなく、お父上の忠国殿もこの件を御存知ということか」


 これに答えたのは白縫姫であった。


「その通りでございます。父・忠国は全てを承知の上で後藤様に話を通し、わたくしたちを送り出してくれたのです」

「ううむ、そういう次第ならば」


 重季はやむをえず頷いた。

 大蛇などという茶番に付き合わされたのには閉口したが、大宮司も承知の上ならば、これからの鎮西平定のことを鑑みて、事を荒立てぬに如くはなし。

 神降ろしなどというものも、およそ信じられる仕儀ではない。しかし今は、阿蘇家がとりあえず敵に回らぬと知れただけでも良しとすべし。

 そう考えて渋々自分を納得させたのである。

 いっぽう義親はこれを聞いて却って考え込んだ。腕を組んで沈思する。

 阿蘇家といえば鎮西では知らぬ者のない名家であり、大勢力である。その一の姫がここにおり、父御ててごも承知ということは、大宮司家が我らの味方として立つということか。

 事実なら願ってもないが、懸念もある。

 確かに阿蘇家が大宰府のやり方に予てから不満を抱いていたのは知っておる。だが、大宰府は鎮西において朝廷の意を代行する機関ではないか。我々に合力し、これと戦うとなれば、それは即ち阿蘇家が帝に反旗を翻したということになりはしないか。

 阿蘇大社の祭神である健磐龍命は神武帝の孫、阿蘇氏はその子孫という。つまりは天皇家の遠戚である。せめて我らが大宰府を滅した後に与するなら名分も立とうが、今この時に表立って敵対するというのはどうなのだ。

 我らは覚悟は出来ている。だが阿蘇家に果たしてそんなことができるのか。させていいのか。

 と、義親が考えていると、姫がまた言葉を発した。


「我らの祀る神・健磐龍命は神武帝の孫などではございません」


 義親の態度からその懸念を読み取ったのであろう。さとい娘である。

 この言葉に義親は驚きを隠せない。


「なんと! 阿蘇宮の祭神が神武帝の皇孫なのは、延喜式神名帳にも記載のあるところではないか。だからこそ正二位の神格を与えられておる」


 姫は理路整然と答える。


「作り事です。元々は阿蘇の土地神であったのが、後の時代に高天原系の神々と天皇家の系譜に組み込まれたのです」

「なぜそんなことをする必要がある」

都人みやこびとが自らの支配を正当化するためです。辺境の土地の神々を、これは高天原のある一柱の子孫、こちらは古代の何々天皇の皇子であるなどと系譜の上で結び付ければ、土地の人々はいずれそれが真実と思い込み、天照神の子孫である帝が自分たちの上に立つのは当然と感じるようになりましょう」

「ふむ、理に適っておるな。だが、どうしてそうだと言い切れる」

「我が家に残る言い伝えです」

「言い伝えがあるのか!」

「はい。いえ、ここはむしろ『ない』と言うべきでしょうか。ですが、だからこそあかしとなるのです」

穿うがったことを言う。どういう意味じゃ」

「古くからの言い伝えとされているものに神武帝の名が全く出てこないのです。頻繁にその名が現れるのは、もっと後の新しい時代に文書として残されたものばかり」

「ふむ、それは奇妙じゃな。祭神が初代の天皇である神武帝の孫ならば、古き伝承にこそ、その名前が盛んに出てきそうなものを」

「それだけではありません。我らの神にまつわる最も有名な神話も証拠でございます」

「神話がどうだというのだ」

「山を蹴破り、巨大な火口から水を排して人々の住み耕すべき大地を生むなど、他のどんな帝や皇子にも例のない、明らかに大和の神話とは異質のものです。この話の壮大さは、むしろ出雲の古い神話に似ております」

「例えばどんな」

「はるか昔、国の小ささを嘆いた八束水臣津野命やつかみずおみつのみことが、遠く新羅やこしの国から土地を引き寄せたとか」

「おお、『国引き』じゃな」

「はい。似ておりましょう? 話の規模が大きく、豪気で、無邪気で」

「うむ、確かに。言われてみれば出雲も鎮西も、時代を遡った神話や伝承には、そういったものが多いな」

「国引きは出雲でも最も早い時代の神話です。ここには高天原や大和の王統に対する言及など一言半句もありません。当然でございましょう。そんなもの、まだ現れてもいない遠い昔の神話なのですから」


 白縫姫の澄んだ声は今だ幼さを残し、口調は冷静だが、その語るところは甚だ辛辣であった。


「すなわち、出雲の神々も我らの神も、朝廷の祀る神々や古代の帝の系譜に属すものではなく、もっと古いのです。ところが出雲は新たな勢力である大和の軍に自らの土地を侵されてしまった。いわゆる『国譲り』とは実は侵略に他ならず、その後、土地の神話や伝承も、大和や京の人々の作り上げた神話の中に取り込まれたのです。鎮西も似たようなもの。我が家は出雲の豪族のように滅ぼされなかっただけ、まだ幸運であったと言えるでしょう」

「あ奴らのやりそうなことだな。非道を犯しておきながら、綺麗事をでっち上げて自らの行いを糊塗する」


 義親の顔に怒りの色が浮かんだ。若き日の経験や河内源氏の辿った運命を思い出したのであろうか。

 姫は更に言う。


「そしてまた、健磐龍命は別名を阿蘇都彦命あそつひこのみこととされておりますが、この神名とその妻・阿蘇都比咩命の名が日本書紀に見えております」

「ほう、どのように」

「第十二代景行天皇が九州巡行のみぎり阿蘇に至られたところ、その御前に二神が人となって現出なされたというのです。この阿蘇都彦命が健磐龍命の原初の姿でありましょう。ですが、そこには神武帝の孫などという記述はございません」


 そして明確に断じる。


「つまり、阿蘇家は延喜式に言うような天皇家の末枝末葉ではないのです。おそらくは古代に心ならずも大和人にくだり、以来、臣従を余儀無くされてきましたが、大宰府が今日のような腐った有様の折、それを討つことに何の躊躇がありましょうや」


 大宰府との決戦を直近に控えた松浦党にとっては、ふつうに考えればまたとない助力の申し出であろう。

 ところが、それまで黙っていた八郎がここで異論を唱えたのだ。


「ふわあ……」


 なんと、まずは欠伸あくびである。そして面倒くさそうに、


「長い話だな。眠くなってしまったぞ。要するに、阿蘇家には我々に味方する理由があるというのだろう」


 などと、今までの話を聞いていたのかいなかったのか、土地の伝承や大和人の侵略、阿蘇家の縁起など全て斬り捨てて、結論だけを言う。

 これには姫もいささか怒りを覚えたか、


「その通りです」


 口では平静さを崩さず返すが、その細い眉は早くも吊り上がらんばかり。


(やはりな。この娘、礼儀正しく物腰は柔らかいが、実は相当に気が強いぞ)


 八郎は内心で納得する。

 だが、そんな思いは顔には出さず、


「それを聞いて、俺は気が変わったぞ」


 と言い捨てた。

 姫は八郎の言を怪しみ、その意を問う。


「どういうことでしょう」

「健磐龍命とやらが、そなたと侍女たちを俺に付けるという。確かに黒髪山にてそれは承知した。だが、父御や阿蘇家のことは別じゃ」

「と仰いますと」

「そなたの父御は全てを承知の上だと申したな」

「はい、確かに申しました」

「ならば自ら軍勢を率いて早々に加勢に来ればよい。阿蘇家に我らの味方をする正当な理由があるならばそうであろう。なのにまずは娘を使って大蛇の難を騙り、あろうことか後藤殿や村人まで茶番に加担させるなど、俺はそんな回りくどいことをしたり、姑息な策を弄する奴は大嫌いじゃ」


 重季は我が意を得たりとばかりに膝を打つ。その顔は満面の笑みである。

 いっぽう白縫姫は大急ぎで弁明にかかる。


「ですからそれは社の祭神から神託があり、わたくしが神を降ろし、八郎様の真意を確かめた上でと……」

「下手な芝居など打たずとも、そなたの父御が俺にじかに問えばよかったのだ。それを娘が降ろした神頼みなどと、それでも阿蘇家の棟梁か。一家の長なら己の目で見て耳で聞き、己で決断せずして何とする。そんな奴が信頼できるか!」


 八郎の激しい言葉に姫は唖然とし、黙り込む。

 重季はますます喜色満面、義親もいかにも楽しげだが、残る助明は狼狽することしきり。

 僅かな沈黙の時があり、八郎は言葉を続けた。


「大宮司家の援けなど要らぬ。そなた達も、とっとと阿蘇に帰り、八郎がそう言っていたと父御に告げるがよい」


 だが、姫は八郎の顔を正面から見据え、今度こそは落ち着き払って応じた。

 その表情は既に何かを決したもののようであった。


「わかりました。ですが、このまま帰る訳には参りません。阿蘇家の加勢は別として、わたくしと侍女たちは唐津に残り、八郎様と共に戦います」


 きっぱりとした言である。その決心は誰が何と言っても揺るぎそうにない。


「話の分からぬ娘だな。阿蘇家の助力など御免こうむると言っておるのに」

「八郎様こそ、人の言うことをちゃんとお聞きなさいませ。阿蘇家とは無関係に、わたくしたちが御味方すると言っておるのです。それがみことのお決めになったことですから」

「馬鹿な。親を無視して、女だてらに勝手に動こうというのか」

「これは異なことを。自身の母君をいずれは討とうという御方の言葉とも思えませんね」

「う……」


 梃子でも動きそうにないその姿に、八郎もさすがに匙を投げた。


「ええいもう、好きにするがいい」

「はい、させて頂きますとも。そうですね、阿蘇家の名前は伏せ、『白蛇団』とでも名乗るのはどうでしょう。白蛇の難を騙ったことですし、わたくしの名である『白縫』とも白つながりで宜しいのでは。そうじゃ。八郎様が黒髪山の白蛇を懲らしめ配下にしたなどと噂を流しましょうぞ。さすれば八郎様の武名は更に高まり、敵は恐れおののき、味方の士気は上がりましょう。うんうん、これは良い考えじゃ。すぐに侍女たちに命じて話を広めねば」


 話すにつれて白縫姫の頬には紅が射し、顔は楽し気に、その気分はうきうきと盛り上がっていくようであった。

 こうしてまた、八郎は心強い仲間を得たのである。

 大宰府との決戦の日は目前に迫っていた。


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