第48話 白縫姫

 声に言われるまでもなく、八郎は岩陰から飛び出した。重季と弁慶も続く。

 祭壇を背に時葉を守り、目を凝らすと、光輝の正体はやはり女が捧げ持つ松明であった。

 女は七人。巫女とおぼしき白と赤の衣装を纏い踊る、その動きが止まった。


「よくぞ参った」


 また声を発したのは中央に立つ長身の女人。年の頃は二十歳かそこらであろうか。長い黒髪を垂らして立ち、他の巫女たちを従えていると見える。

 これに八郎は問うた。


「俺の名を知っており、待っていたとはな。大蛇云々は全て、この俺をおびき寄せるための茶番だったということか」

「ほう、存外に平静だな。結構。無暗に声や振舞いを荒げるのは粗忽者か悪党のすることじゃ」

「貴様が首魁か」

「違う。あるじはこれに居られる」


 女たちが左右に分かれて道を開ける。それに促されたか、背後の闇の中から人影が歩み出た。

 白一色の衣装の上に赤と紫の鮮やかな衣を羽織り、頭には金色の冠。

 背丈と華奢な身体からは女と思われるが、顔にはなんと翁の面をつけている。

 先の女人が重々しく八郎に告げた。


「阿蘇大宮司家の一の姫君、白縫しらぬい様である」


 八郎はその姿をじっと見つめる。

 大宮司家の姫だと。それが何故ゆえ俺に会わんとする。しかも、翁面とは何のまじないか。

 すると、また女人が言った。


「姫の問いに神妙に答えるがよい。既に健磐龍命たけいわたつのみことは降臨された。嘘をつくことは叶わぬぞ」


 その言葉で理解する。

 なるほど、先の舞は神降ろしの儀式だったという訳か。それによって阿蘇神社の祀る神が姫に乗り移り、ゆえに翁面か。

 ふん、こけ脅しの面などに畏まる俺ではない。神であろうが姫であろうが、尋ねたいことがあるなら何なりと聞くがよい。嘘などつくはずもない。ありのままを答えようではないか。

 すると、翁面の女が初めて声を発した。


「汝は玉藻前の息子だな」


 意外にも、低く落ち着いた男の声である。その声音こわねは聞く者の耳に抗いがたい威厳の響きを感じさせた。


 健磐龍命は阿蘇神社第一の祭神である。

 神武天皇の孫とされており、古代において阿蘇一帯は東西四里半、南北六里以上に渡る巨大なカルデラ湖だったのを、なんと外輪山を「蹴破って」水を流れ出させ、その地を民のために拓いたという壮大な伝承で知られる神である。

 その妻が阿蘇都比咩命あそつひめのみことであり、第七代孝霊天皇の時代、二人の子である速瓶玉命はやみかたまのみことが、両親を祀ったのが阿蘇神社の始まりと伝えられている。以来、子孫は大宮司を世襲し阿蘇氏を名乗る。


 かように阿蘇神社の歴史は古い。そしてまた、肥後国の第一宮であるばかりか、全国に数百の支社を持つ大社なのだ。阿蘇氏は神職であると共に豪族として中九州一円に古来から大きな勢力を誇ってきた。

 この時の大宮司は忠国。翁面をつけた女はその姫だという。

 八郎は自身と玉藻との関係を確かめるその問いに答え、同時に問い返した。


「ああそうだ。心ならずもな。しかし、だから何だというのか」

「あれは遠く天平の昔、聖武帝の御代みよに異国からやって来た『魔』じゃ」


 姫は真に驚愕すべきことをさらりと述べた。

 これを聞くや重季が大声を出した。


「馬鹿な! 世迷言を!」


 玉藻前は今は敵であるとはいえ、やはり八郎の母、そして嘗ては為義の妾である。八郎の傅役、近習を務め、代々の源家の郎党である重季としては当然の反応であったろう。

 八郎はそれを手で制し、言葉を返す。


「人にあらず、ましてやあやかしでもなく『魔』だと」

「その通りじゃ。叡山で学んだという汝なら存じておろう。唐土や天竺、その先の国々には妖とは違う『魔』と呼ばれるものがおる。妖は狂暴な獣と同じ。その行いや有様がたまたまに人にとっては害となる。それだけじゃ。なにも人々を苦しめるために生きておる訳ではない。だが魔は違う。人々を悪に誘い、苦しませ、奈落の底に突き落とすのがその欲するところである」

「俺の母・玉藻前がそうだというのか」

しかり。周りの者共を惑わせて世を乱し、民草の困窮、死を楽しんでは己がかてとする、魔の中でも極めて強大な大魔縁である。大陸において幾人もの王を惑わし操り、あまたの国々を滅ぼした末に本邦に渡って来たのだ。長らく鳴りを潜めておったのが、ここにきて再び力を蓄えたか、胎動を始めておる」


 信じ難い話だが、八郎には思い当たる節がある。

 幼き頃の自分に世の全てを憎むよう教えたばかりか、本院の寵姫となって裏で政を壟断し、新院に譲位を強いた。更に祇園の一件では僧兵の強訴に対して武士を動員し、危うく京の都を争乱に巻き込むところであった。

 そしてまた、比叡に住む孤児たちを惨殺して時葉を攫い、自分が信西館に救いに現れるや殺しにかかったのも、或いは世を乱すという目的に邪魔になると感じたからではなかったか。しかも清盛を引っ張り出し、義朝まで惑わせて。


(だが、母は母、俺は俺だ!)


 八郎の表情に察するところがあったか、姫は再び問いかける。


「汝はこの先どうするつもりか」


 漠然とした問いである。意味を捉えかねていると、また声があった。


「大宰府とのことは承知しておる。何のために戦おうとする」

「それを知ってどうするのだ」

「答えよ。もしや母の片棒を担ぎ、世を乱すためか」


 八郎はぜるような笑い声をあげた。


「ははは! 見くびられたものだな」

「なぜ笑う」

「自身を神と称する者が、人のすることに首を突っ込み、何のためにと尋ねる。しかも的外れにも『世を乱すためか』とは、これが笑わずにおられようか。では逆に問おう。その通りだとでも答えればどうするつもりか」

「ここで禍根を絶つ」

「ということは」

「汝を今ここで斬る」


 短く、鋭い断定である。双方にただならぬ空気が漂う。

 その刹那、風切り音がした。時葉である。八郎の危機と感じ、隠し持っていた半弓から矢を放ったのだ。

 だが翁面の姫は一歩も動かず、その矢を長い袖で容易たやすく払い落とした。


「無駄じゃ。我はもとより、ここに並ぶ七人の女たちもいずれ劣らぬ武芸の達者ぞ」


 女たちはあるいは下げていた太刀を抜き、あるいは背に負っていた薙刀を構えて殺気を放つ。確かにその構えには一分の隙もなく、並みの武者などたちまちにして斬り捨てると思われた。

 これに対して重季は抜刀し、弁慶も薙刀の鞘を払って迎え撃つ姿勢を取る。時葉は今度は両手に小太刀を持つ。

 八郎もまた、すかさず弓を構えた。矢をつがえ弦を引き絞る。


「多少はやるようだな。だが、これはどうかな。この八郎為朝の矢、受けてみるか」


 さすがに女たちも慌てたか、翁面の姫を庇って八郎との間に立ちふさがる。

 八郎は矢を放った。だが、その矢は女たちの頭上を飛び、漆黒の闇に消えた。鏑の音がいっとき続く。どれほどの遠くまで飛んだものであろうか。

 そして八郎は言った。その表情は笑顔である。


「健磐龍命とやら、心配召さるな。俺が魔に加担するような男か否か、もうなかば知れておろう」

「うむ。戦の前の多事な時、大蛇の難と聞いて退治に参ったのだからな。汝は民草の難儀を捨て置けぬ者と見た。殊勝なことぞ」

「そのために後藤殿や村人を巻き込んでの安い芝居か。やれやれ、なんとも回りくどいことをするものだ」

「だが、汝の性根を知るためには必要であった。口ではどのようにでも言い繕うことができる。人の本心は、その行いにこそ表れる」


 声は、落ち着いた厳かなものに戻っている。

 これに八郎はまた問う。まるで旧知の友に対する気安げな口調である。


「で、どうするのだ。俺はこれから、まずは大宰府と戦うぞ。その味方をするのか」

「それは汝次第だ。何のために大宰府と戦う」

「知れたこと。奴らの横暴を正し、苦しむ民草を救うためだ。大宰府だけではない。三年のうちに鎮西をまとめ上げ、誰もが笑顔で暮らすことのできる楽土をうち立ててみせようぞ」

「それを我に信じろと申すか」

「信じられないならそれで良い。俺は自分の為すべきことを為すだけだ」

「玉藻前のことは如何に」

「鎮西の後は更に力をつけ、母・玉藻前を討つ。大陸渡りの魔だとか何だとかは関係ない。世の乱れの元凶じゃ。魔であろうが人であろうが、そのような者を滅するは、予てからこの俺の目指すところぞ」

「汝にとっては母であろう」

「是非もない。先方も俺を討とうと狙っておるわ」


 八郎の言葉には微塵の躊躇ためらいもない。その表情もまた、心を決めた者の清々しさに溢れている。

 翁面の姫は小さく深く頷いた。


「ならば力を貸そう。この姫と女たちは今この時から汝の味方じゃ。ただし」

「ただし、とくるか。神とは疑り深いものじゃな。いや、むしろ臆病と言うべきか」

「汝の行いが言葉を裏切るものであれば、その時には敵となる」

「面白い。とくと俺が進む道を見定めよ」

「玉藻前を倒すことは余人では叶わぬ。魔から生まれた子でありながら、闇をその身から祓い去った汝だからこそ成し得ることじゃ。八郎よ、ゆめゆめ己が今の言葉を忘れることなかれ。さすれば我が国の神々はこぞって汝を寿ことほぎ、共に在らん。万が一にも魔に堕ちることあれば、ことごとく汝を呪い、必ずや害を及ぼさん……」


 声は次第に小さくなり、かすれ、ついには消えた。

 姫も膝を折り、その場に倒れ伏す。神が去り、精魂尽きたのであろう。

 女たちが慌てて姫に駆け寄り、助け起こした。危うくまた倒れそうになる背を支え、仰向けに草の上に横たえる。

 女の一人が姫の翁面を外した。姫は暫くは苦しそうに息を荒くしていたが、やがて幾らか落ち着き、八郎を見て気丈にも微笑んだ。


「源八郎為朝様ですね。お会いするのを心待ちにしておりました」


 その声と顔は楚々とした少女のものであった。

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