第47話 火振りの儀
時葉は上機嫌であった。
大宰府への夜襲に際して留守居を命じられたはいいが、帰って来た松浦党の面々に自慢げな手柄話を散々聞かされ、歯噛みするほど悔しく感じていたのである。そんなところに大蛇退治という心躍る一件が舞い込み、思いがけず重要な役割を担うことになったのだから、歓喜し、勇み立たずにはいられない。
気の強さでは誰にも負けぬ娘なのだ。大蛇と聞いて恐怖するよりも好奇心の方が先に立つ。並みの女人なら聞くだけで震え上がり、拒絶してしかるべき役どころを二つ返事で引き受けるや、
「大蛇か竜神か知らぬが、何ほどのことやある。生贄の娘をせいぜい健気に演じて油断させ、私一人でも退治してみせようぞ」
と言ってのけた。
「いや、実は大蛇などではなく、正体は別のものだと思うのだ」
そんな八郎の言葉にも、
「大蛇でなければ、何なのじゃ」
「それは分らぬ。蓋を開けてからのお楽しみだ」
「山賊か、それとも大宰府の仕掛けた罠か。そうじゃ! もしや京から送り込まれた信西入道の討手ならば勿怪の幸い。今度は私がこの手で比叡での仇を討ってくれるわ」
「まあ、信西の線は薄いが、何にせよ用心はしておけ。我らも控えておる。決して一人で先走るなよ」
「それはこちらの台詞じゃ。八郎こそ一人で先走らず、私の出番も残しておけよ」
などと意気盛んである。
これで大人しかるべき囮の役が本当に務まるのかと、さすがに案じられるが、信じて任せる他はない。
八郎たちがまず向かったのは黒髪山の麓に近い宮野と呼ばれる土地である。
早朝に唐津を出立し、目的の村に到着したのは日暮れ近くであった。
助明が手配済みだったのであろう、後藤家の家人が一行を出迎えた。村人たちに話を通し、一刻の休憩の後に黒髪山に向かうことになる。
八郎の予想通り、大蛇に脅かされているというにもかかわらず、村にはどこにも疲弊した様子はなかった。それどころか、用意された貢物は大量の酒や米など、とても近隣の数ヶ村で供出したとは思えぬ豪華さである。
国中の村々が重税に苦しむ中、この地における助明の施政の宜しきが思われた。
(やはりな)
心中であらためて納得しつつ、八郎は出発の時刻を待つ。
やがてその時が来て、行列が黒髪山に向かう。日はすっかり暮れ、空には満月を少し過ぎた下弦の月。
旧暦の五月なかばといえばもう梅雨に入り、空気はじめじめと湿気を帯びているが、この季節にしては夜空には雲もまばら、黒髪山に登る
一行の先頭を行くのは村の若者たちに担がれた
生贄として差し出される娘に扮して薄化粧を施し、死出の華やかな衣装を纏った時葉の可憐さは格別で、支度を終えたその姿を見た時には重季も弁慶も感嘆の声を上げ、村人はこぞって目を見張った程であった。
輿の後には捧げ物を担いだ男女の列が長く続く。
行列からは距離を取り、森の中を隠れて進みながら八郎と重季は言葉を交わす。弁慶を含め、三人ともが目立たぬように徒歩である。
「どう思う」
「やはり、半年も前から大蛇のせいで難儀しているとはとても思えませぬな。あれだけの貢物を出した後でなお、夕餉の支度をする家々の
「村人たちの顔色もじゃ。あれは怪異に怯え暮らす者の見せる表情ではない」
八郎は大蛇が実在するとは信じていない。だからこそ、この少人数で出向いてきたのだ。もしも本当に助明の言うような途方もない怪物ならば、いくら八郎や重季、弁慶たちの武勇をもってしても手に負えるかどうか。それこそ一軍を動かして退治すべき相手であろう。
(だが、そんなものは居りはせぬ。さあ、昔話の怪物顔負けの大蛇よ、その正体を見せて貰おうか)
どれほど歩いたろうか。背の高い雑木が鬱蒼と茂る森を抜け、坂道を登りきると展望が開けた。
こじんまりとした
小さな祭壇が設えられ、時葉がそこに座る。捧げ物がうず高く積まれ、周囲に立てられた松明に火が灯される。村人たちは時葉に一礼し、平を後にした。
山中の天気は変わりやすい。少し霧が出てきた。
岩陰に身を潜め、大蛇を騙る何者かの現れるのを待ちながら、八郎は思考を巡らせた。
(それにしても、解せぬ)
やはり大宰府の策にしては様子がおかしい。村のどこにも、隠れて我らを窺う諜者らしき者の気配が感じ取れなかったではないか。
後藤殿は義親爺と長年の懇意という。ということは爺の助力で、大宰府の理不尽な支配から守られているはずだ。だからこそ村はあれだけの余裕のある暮らしが出来ているのだろう。
易々と敵方に
ならば何のために荒唐無稽な嘘をつく。
信西か。いや、大宰府をして無理なものを、遠く都にいる信西がどう手を回して後藤殿や村人を動かすというのだ。
つまりこの茶番は後藤殿と村人自身の図りごとなのか。それともやはり誰かが裏にいるのか。目的はいったい何なのだ。
八郎が周囲に気を配りつつ考えていると、やがて霧は濃くなり、ともすれば時葉の姿を隠す。霧の中で松明の炎がゆらめき、幻想的な雰囲気を醸し出す。
その時、祭壇から離れた前方の闇の中に二つの光点が現れた。それは確かに鬼灯のような深紅色であり、じっとこちらを見据えているようにも感じられた。
(まさか、話に聞いた大蛇の
別の光が灯った。それはゆらゆらと曲線を描いて大きく動き、虚空に鮮やかな跡を引く。
あたかも巨大な蛇の胴体のうねりのようであった。
静寂の中、光輝は右へ左へと漂い、はたまた二重三重に回転してとぐろを巻き、八郎の目を捉えて離すことがない。
光は一つではなかった。いつしか幾つもの輝く線が現れて交差した。
時には速く、時にはゆっくりと流れるその様は厳かな神秘を帯び、見る者に畏敬の念を抱かせる。何か人智を超えたものに訴えかけ、呼び起こす、古代からの儀式のようでもあった。
「何をしている! 出たぞ。大蛇か何か知らぬが、とにかく
弁慶が小さく鋭い警鐘の声を発した。重季はといえば、まんじりともせず光の流れを見つめている。咄嗟に祭壇に目をやると、時葉もまたじっと動かない。やはり心奪われているのであろうか。
ついに八郎は立ち上がった。
(妖などではない。これは人だ。闇の中で松明を捧げ持って流れるように舞う、その巧みな炎の動きが見る者を夢幻の狭間に誘うのだ。いったい何者か。正体を確かめるべし!)
すると声が響いた。細く高い、澄んだ一声である。
「八郎為朝だな。前に出よ。汝を待っていたのだ」
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