第46話 黒髪山

 唐津から南に十里弱のところに黒髪山という山がある。

 牧ノ山、青螺山から続く連山の一峰であり、高さも千七・八百尺程度という、遠目にはあまり目立たぬ山である。

 だが、遠く崇神天皇の昔から周辺の信仰を集める霊山だという。それほどの長きに渡る信仰を育んだのは、やはり、間近に望むとわかるその険しい山容か。

 古い火山であり、浸食のためところどころ奇観を呈している。特に、頂きに天童岩、中腹に雄岩と雌岩という巨岩がそびえ立つ風景はこの世のものとも思われず、まさしく神々の宿る場所とはこのような所であろうかと感じさせる。


 その黒髪山に巨大な白蛇が現れ、周辺の村々が難儀しているという。

 話を持ち込んだのは黒髪山一帯を治める領主、後藤助明という壮年の武家であった。自身の領内にある村のおさらしき老人たち数人と連れ立って砦を訪れ、


「こちらに八郎為朝様という武勇絶倫の若武者がおられると聞き及んでおります。是非ともその方に大蛇を退治し、私共を救けて頂きたいのです」


 揃って深々と頭を下げ、懇願する。

 助明の語るところでは、問題の大蛇は長さが二十丈をゆうに超える白蛇であり、巨大な目は鬼灯ほおずきのような深紅に爛々と輝き、頭には七またの角。その吐く息は烈火のように熱く、たちまちにして木々や草木を枯らす。しかも、人語を解すばかりか自らも話すのだとか。

 半年ほど以前に山中に現れ、村を脅しては食料や酒など捧げ物を要求し、ついには生贄として若い娘を差し出すことを求めてきたという。

 聞けば聞くほどいにしえの怪異譚さながらである。


 この俄かには信じ難い依頼に、まず不審を示したのは義親であった。


「奇妙じゃのう。そんな怪異があったのなら、何故もっと早く儂の耳に話が聞こえてこなかったのか」


 これに助明が答える。義親とは予てから懇意の仲である。


「口封じを命じ、噂が広がるのを懸命に抑えておったのです。周辺に知れ渡れば、黒髪山近隣だけではなく他の村々の者共も恐れおののき、只では済まぬでしょうから」

其許そこもとの領地全体、下手をすれば他領までに及ぶ恐怖、混乱、そして逃散か」

「はい、仰る通りで」

「だが、後藤殿もただ腕をこまねいていた訳ではあるまい。貴殿の武略の程は肥前に鳴り響いておる」

「手勢を引き連れ向かうと姿をくらまし、容易に我らの手にはかからぬのです。人語を解するだけあって、相当に知恵も回るとみえます。ならば大人数ではなく、小勢で忍び寄り退治するしかないかと。そのために八郎為朝殿の力をお借りしたい」

「うーむ」


 もちろん義親は、人語を話す巨大な白蛇などの存在を信じてはいない。当時としては稀なほど、極めて合理に徹した男なのだ。しかしながら、助明ほどの男がこうまで真剣に懇願するの対して、何かしら無下に一笑に付すこともできないものを感じていたのである。

 逆に躊躇なく難色を露わにしたのは重季であった。


「昔から、怪力乱神を語らずと申します。ましてや戦を目前にしたこのような時に、大蛇などという怪しげなものに関わり合っている暇などございませぬ」


 助明の語るところを荒唐無稽と断じ、大事の前に迷惑千万といった顔である。

 確かに、常識人である重季にとっては到底信じられる話ではなかったろう。そんな世迷言を相手に無駄な時を費やすようなことをせず、合戦の準備に専念すべしというのは至極真っ当な、誰もが頷く意見と思われた。

 だが、八郎には閃くものがあった。


(これは何か裏があるな)


 子供騙しの御伽噺としても稚拙な出来である。そのような露骨に疑わしい、およそ誰も信じない絵空事を、なぜ今この時期に唐津に持ち込んだのか。

 後藤殿とやらの話しぶりにも真に切迫した様子がない。大蛇の姿や恐ろしさを事細かに語りながら、本当に救ってほしいという必死さが伝わってこないのだ。しかも、村々が難儀していると言う割に、その長であるという老人たちの身なりはこざっぱりとして、貧苦の様子がおよそ感じられぬではないか。


(どういうことだ? ふむ、重季の言うことも道理だが、謎を謎のまま放っておくのも面白からず。ここはひとつ話に乗ってみようか)


 八郎はずばり切り込んだ。


「後藤殿、それは嘘ですな。大蛇などは居りはせぬ」


 直截な物言いに対して、助明は目に見えて狼狽し返答に詰まる。案の定である。

 その上で発した八郎の言葉は、助明にとって更に意外極まるものであった。


「嘘と承知で引き受けましょう。居りもしない大蛇を退治に参ってみましょうぞ。それも一興」


 助明は仰天し、慌てて問い返す。


「大蛇は居ないと仰る。その上で退治とは?」

「おや、これは失礼した。ここは大蛇は確かに居るということで話を進めるところでしたな。つまりじゃ、二十丈もの白蛇とやらに、とにかく会いに行ってみようということです。退治も良いが、それ程の体躯の大蛇ならば、長い年月を生きて知恵も経験も豊かであろう。しかも人語を話すときては、さぞかし珍しき話でも聞かせてくれようて。ひょっとすると退治などせずとも、友となり、説いて貢物や生贄などの非道を諦めさせることができるかもしれませんぞ」


 大蛇は実在するのかしないのか、もはやそれすらも定かでない、支離滅裂な言い草である。明らかなのは、何やら楽しめそうだから黒髪山に出向いてみようということだけ。

 これに重季は呆れ、当然ながら八郎を諫めにかかる。


「八郎君、酔狂もいい加減になさいませ」

「酔狂ではない。俺は本気ぞ」

「合戦前のこのような時に与太話めいた大蛇を退治などと、酔狂以外の何でありましょう」

「戦の前だからこそ行くのだ。そんな化け物を退治すれば軍の士気も上がろう。いや、もしかすると大蛇などではない、別のものに会えるやもしれぬ」

「いったい何に会えると仰るので」

「それは分らん。鬼が出るか、それこそ蛇が出るか、何か別の意外なものか。ことによると大宰府か、遠く都から放たれた信西の手の者かもしれぬぞ」


 八郎は顔に笑みをたたえ言い放った。

 意外な成り行きに助明は甚だ狼狽うろたえる。このやりとりに慌てて割って入り、


「いや、決してそのようなことは……」


 と弁明を試みるが、もはや二人の耳には届かない。


「馬鹿な! なれば尚の事おやめなされませ。みすみす罠に飛び込むなど、正気の沙汰ではございません」

「正気ばかりで武士などやっておられるものか。罠ならば敢えて飛び込み、食い破るだけじゃ。それとも何か。気が進まぬなら重季は同行せずとも構わぬぞ。俺一人で参るとするか」

「なんと! 八郎君一人で行かせるなど、どうしてその様なことができましょう」


 ここで、それまで腕を組み目を閉じていた義親が破顔した。


「わはは、重季よ。八郎がここまで言うのだ。好きにさせてやるがよい。考えるところがあるのだろう」

「しかし、大宰府か信西入道と聞いては」

「それはあるまい。ここは後藤殿を信用しようではないか。我らの思いもよらぬものとは、なんとも興味をそそるのう。戦の準備がなければ儂も同行したいところじゃ」


 これで場は決した。

 呆気に取られる助明と長たちを尻目に、八郎はすぐさま出立の準備にかかる。

 付き従うのはやはり重季、そして弁慶、時葉。

 時葉は囮、すなわち生贄となる娘の役回りである。

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