第37話 王昇受難
庭先に通された使者の言を聞き、義親は形相を一変させた。
「なんだと!」
今日の日暮れ前、博多の王昇宅を大宰府配下の兵が襲撃したというのである。
「それで、王昇はどうした!」
「分かりませぬ。とにかくも、この異変を急ぎ唐津に知らせよと王昇様に送り出され、その後に
「どれほどの数の軍勢か」
「それも正確には分りかねます。ただ、王昇様宅だけではなく、付近の綱首宅も多くが、いや、唐房全体が襲われているようでしたので、かなりの数ではあるかと。おそらくは数百騎」
博多から十数里はある夜道を、早馬を乗り継ぎ必死で走らせてきたのであろう。月明かりの下で見ても使者の顔は汗と埃にまみれ、息は切れ切れ、何か言うたびに肩が大きく波打つのがわかった。
「よし、後は任せておけ。安心してゆっくりと休むがよい」
「は! 有難き仰せで」
使者は義親の近習に導かれて館内の一室へと歩いて行く。その後ろ姿を見やりながら、八郎は驚きと当惑を隠せずにいた。
王昇殿とは今日の合戦の帰り、預けてあった孤児たちを引き取りに行った際に会ったばかりではないか。それが、同日のうちにこんなことになるとは。
どういうことだ。なぜ大宰府が王昇殿を襲うのだ。
鎮西に来てまだ日が浅い。大宰府の政庁と博多の宋人綱首たちとの関係までは聞き及んでいないのである。
様子を見てとった義親が手早く説明した。
「異国との商いは以前は大宰府が仕切っていたが、今は宋人を始めとする博多の商人たちによる私貿易になっておる。そう王昇が言っていたのを覚えておろう」
「ああ、博多に来て最初の日に確かにそう聞いた」
「それが大宰府の奴らは気に入らぬのだ。隙あらば商いの権益を再び我が物にせんと、以前から狙っておった。その機が訪れるのを舌なめずりしながら、まだかまだかとな」
これで八郎も理解した。
そうか、そういうことか。だからこそ、今日この日を狙ったのだな。
無暗に襲ってしまっては、博多の商人と繋がっている松浦党の報復を招く。だが、合戦があったばかりの今日ならば、松浦党も動けまいと考えたのであろう。そして、こちらが手をこまねいている間に、先方は迎撃の準備を整えようということか。
義親は更に言う。
「おそらくは海戦が行われることを知り、瀬戸内水軍と共倒れになるか、儂らが負けることを願っておったのだろう。そうなれば博多の商人たちは武力の後ろ盾を失う。後は大宰府の奴らの思うがままじゃ。このような狼藉などせずとも、ゆるゆると締め付けていけばよい」
その声は怒りを帯び、口調も激しいものになっていく。
「だが我らは勝った。それゆえ奴らは焦り、一転この暴挙に出たのだ。今日ならば我らが動けぬと、無い頭で考えてな。姑息な真似をしおって…… 八郎!」
「おう」
「お前の出番じゃ。戦のその日で疲れておるだろうが、是非ともやって欲しいことがある」
「全く構わんぞ。疲れてなどおらぬ」
躊躇や暗さの微塵もない、八郎らしいきっぱりとした物言いである。
これを聞いて義親は愁眉を開いた。
「そうか。嬉しいぞ。全く頼もしい孫であることよ」
「それで爺様、俺は何をすればよいのか」
「急ぎ博多に向かい、まずは王昇とその家族の保護を頼む。再度すぐに大宰府の襲撃があるとは思えぬが、こういう時は往々にして、不心得者が混乱に乗じて暴徒と化し、夜盗の真似をしでかすものだ」
「承知した」
「ついては、まだ酒に酔っておらぬ奴を何人か連れていけ」
「他の者はどうするのだ」
「泥酔している奴らは今晩は使い物にならん。今すぐ酒宴をやめさせ、仮眠をとらせて準備させたとしても、出立はせいぜい明日の夜明け前。馬に巧みな者を選んで送り出すつもりじゃ。三百騎ほどにはなろう」
ひと呼吸置き、眼と言葉に力を込める。
「お前が指揮するのだ」
「俺がか。まだ新参者だし、若すぎるだろう」
「大将に新参者とか古株とか、歳とか関係あるものか。今日の働きを見て、皆が既にお前には一目置いておる」
「では爺様は」
「儂は今ここを離れる訳にはいかん。舜天丸がおるからな。今日の戦では味方も多くが傷つき、死んだ。幼いとはいえ、あの童は敵の大将ぞ。誰ぞあれを害しようとする者がいたら、それを止め得るのは儂しかおるまいて」
そう言うなり義親は八郎の承諾も待たず、大股で足早に広間へと戻り、宴を楽しんでいる皆に告げた。もう眠りこけている者も慌てて目を覚ます大声の一喝である。
「宴は終わりじゃ! 大事
それでも目覚めぬ者には、蹴りを入れて叩き起こす。
「さっさと起きんか。この馬鹿者!」
事態を極めて簡潔に語り、明朝、日の出前には準備を整え、再び集まるように命を発した。
「ただし、今回は急ぎゆえ、騎馬に巧みな者だけじゃ。他は待機。今日明日と荒仕事続きで済まぬが、頼んだぞ!」
一同は皆、人が変わったかのようにすぐさま真顔に戻り散会する。瞬時にして見事な変貌である。義親への尊崇と、日頃の薫陶のほどが思われた。
義親は数人を呼び止めて、その者たちは今すぐに準備を整え、八郎と共に博多に向かうよう指示を出す。
そして八郎に向かって言った。
「八郎、お前に馬と鎧をやろう。今日の褒美じゃ」
今の八郎と義親の丈はほぼ同じ。ならば自分の愛馬と秘蔵の鎧が八郎にもぴったりだろうというのだ。ところが、
「馬はありがたいが、鎧は後日にしようか」
という八郎の返事である。
当然ながら義親は訝った。
「何故じゃ」
「博多までは距離がある。急ぎならば尚更、鎧などつけず身軽な方が良い。その方が馬の負担にもならず、早く着ける」
「博多が一段落すれば、その後は戦になるぞ」
「ああ、分かっておる。だからこその三百騎であろう」
「うむ」
「だが、爺様はこの一戦で大宰府と決着を付けるつもりなのか。そうではあるまい。今回は、王昇殿とその家族を守り、かつ大宰府の奴ばらの注意をこちらに向けさせれば良いのであろう。だったら正面切っての合戦ではなく、やり方があるというものだ。それには鎧は不要だな」
義親は息を呑んだ。この歳にして儂の心を読み、生意気にも更にその先を図ったというのか。やはり、為義ずれの手に負える息子ではない。
「面白い。全てお前の好きにせい」
「ああ、そうさせてもらおう。後から来る者には火矢の用意を頼む。それから旗指物。一目見て松浦党と分かるものが良いな」
「ふふふ、心得た」
「そして後日あらためて頂戴した鎧をつけ、大宰府と決戦じゃ」
「おう、ならばまず馬じゃな」
厩番を呼び、「
「馬は奥羽や坂東が本場と言うが、なんの、鎮西も負けてはおらんぞ。我が国の馬はもともと大陸から対馬にもたらされ、そこから鎮西、そして各地に散らばったのだからな」
そう、対馬、そして九州こそは日本の馬の発祥地なのである。
半島からここに渡来した馬が、関門海峡を経て全国に運ばれ、現在の在来種となったのだ。蒙古高原由来のそれらの馬は、各地方の風土に合わせて、あるものは小型に、あるものは大型に発達を遂げた。坂東や奥州の馬は、比較的寒冷な気候に応じて大型になったものと言えるだろう。
だが今、目の前に連れてこられた一頭は、そんな馬とは桁が違った。
「こ奴ならお前の体躯など苦にせず、自由自在に合戦の場を駆け抜けるであろう」
義親の言う通り、雄大かつ俊敏にして頑健、「月影」はそんな逸物であった。駿馬と呼ぶだけでは足りない、八郎のためにこそ生まれてきたような馬である。
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