破の巻
博多大追捕
第36話 祭りの後
肥前唐津にある松浦党の館、その広間では今日の勝利を祝う宴が開かれていた。
今だ興奮冷めやらぬ面々が集い、山海の美肴を前にぐいぐいと杯を空けてゆく。高らかな笑い声が起こり、肩を組み放吟する者たちがいる。あちこちで、自らの強さを誇り敵の不甲斐なさを謗る大声が上がる。
酒に酔い虹のような息を吐くそれらの姿を前に、八郎は辟易としていた。
自分に酒を勧めに来る者も次々と現れるが、その全てを断った。酒を美味いと感じるような歳ではない。
やりきれなさに、ついに席を立つ。
「八郎君、どちらへ?」
「ちょっとな。重季と弁慶はここで存分に楽しむとよい」
そのまま庭へ出る。
(全く、敵ばかりか味方も多く死んだ戦の後だというに、よくもまあ、あんな乱痴気騒ぎができるものだ)
夜空には、弓のように美しい下弦の月。適当な庭石を見つけ、腰を下ろした。
やっと一人になり、再び自問する。八郎の意識はずっと、戦の終わりに湧いた不思議な感情にあった。
あの時、なぜゆえ俺はあのような思いを抱いたのか
嬉しかったのは分かる。戦には勝ったし、舜天丸を殺さずに済んだ。俺の力も存分に敵味方皆に見せつけたつもりだ。それに、戦が終わったからには、もうこれ以上無駄な人死にも出ぬのだからな。
だが、哀しいと感じたのはどうしてだ。
心ならずも多くの者を斬り捨てたゆえか。しかし戦ではないか。殺さねば、逆にこちらが殺される。そんなことは重々覚悟できていたはずだ。
もしかするとあの哀しみは、寂しさのようなものではなかったか。
そう、戦という大きな祭りが終わった後の寂しさだ。
太刀を振るって敵を倒す度に、自分でも不思議なほどに心が昂っていた、その高揚をもはや味わえないと思い残念だったのか。
だとすれば、俺はあの戦がもっと長く続き、更に多くの者が命を落とすのを望んでいたことになりはしないか。より多くの敵をこの手で斬り、死に至らしめることを。
そんなはずはない。いや、もしかするとそうなのか?
宴席の声を遠くに聞き、際限もなく思案に暮れていると、背後から声がかかった。
「おう、こんな所におったか。探したぞ」
義親である。酒の入った素焼きの瓶子と杯を持ち、八郎に並んで腰を下ろした。
「今日の一番手柄が、浮かぬ顔ではないか。どうした」
「いや、大したことではないのだが……」
「もしかして、あの舜天丸という童のことか。ならば懸念する必要はない」
義親によれば、館に仕える女たちが別室にて、丁重に舜天丸と傅役の面倒を見ているという。
「まさか敗戦の将を、我らの勝利を祝う宴の席に座らせる訳にもいくまいて。そうじゃ、時葉といったか。お前の連れのあの娘も一緒ぞ」
「そうか」
「驚いたな。今日の戦での姫武者ぶりとはうって変わって、子供の扱いの上手いこと」
「そのはずだ。あれは比叡山に居るときは、何人もの孤児の姉代わり、母親代わりであったから」
「なるほど、そういうことか。ならばあの優し気な姉様ぶりも納得がいくというものよ」
義親は自ら杯に酒をつぎ、一気に飲み干す。
「あの童、戦を終わらすために進んでその身を差し出したというではないか。立派なものぞ。決して粗略に扱いはせぬ。だがのう」
「何を言いたい」
「哀れなものよ。捕らえた河野水軍の一人が言うには、あれの父親はもう死んでおるそうな」
「なんと!」
「つい十日ほど前、まだ若いのに急死だそうじゃ。理由までは分からんが」
「それで急遽、あんな年端も行かぬ子供を大将に仕立てたか」
「そういうことじゃ。皆には頭領の死は伏せ、病ということにしてな。だが、そんな話はどこからか漏れる。今では主だった者は皆、知っておるというぞ」
「舜天丸もか」
「さあ、どうかのう。それはあの童自身に訊いてみねば分からん」
出陣の準備が殆ど整った時の頭領の死である。懸命に口止めをしても噂は流れたとすれば、水軍の士気は大いに下がったに違いない。
「誰か代わりに大将になるべき者はいなかったのか」
「そこが難しい。あちらを立てればこちらが立たず。それにじゃ、もしも誰かを大将にして我らとの戦に勝てば、今度はその者が水軍の頭領になるじゃろう。そうなると、今までの頭領の近臣や、舜天丸と周りの者はどうなる」
「遠ざけられ、不遇をかこつであろう」
「そういうことよ」
「愚かな。内輪の勢力争いとは。だから主の死を隠して戦に臨んだか」
「まあな。だが、お前も知っておろう。源家とて似たようなものぞ」
嘗て起こった河内源氏の内紛のことを言っているのである。
義親が西国で乱を起こした時、その父・義家は三男・義忠を継嗣と定めて没した。
だが、僅か三年後、義忠は何者かに斬りつけられ命を落とす。
亡き義家の弟・義綱の三男である義明にこの事件の嫌疑がかかり、検非違使の追捕を受けて義明は殺害される。これに憤慨した父・義綱は他の子息らと共に東国へ向けて出奔したが、その追捕を命じられたのが為義であった。
大叔父にあたる義綱を為義は近江国で追い詰め、その息子たちは自害、既に出家していた義綱自身は降伏して佐渡国へ流罪となった。
ところが、裏で全ての絵図を書き、義忠と義明、そして義綱を陥れたのが義忠の叔父であり義綱の末弟である源新羅三郎義光であるともいう。
「発端になったのは儂が起こした乱じゃからな。あまり大きな口は叩けぬが、しかし、まさか同族間で、あんな血みどろの争いになるとは思わなかったぞ」
「うむ、陰惨極まるな。河野水軍どころではない」
「じゃが、院とその取り巻きめ、為義に大叔父を追捕に向かわせるとはのう。やり口の薄汚いことよ。義忠は死に、このうえ為義と義綱叔父のどちらが倒れても源家の勢力は削がれる訳じゃ。それを為義の奴め、いそいそと出掛けて行き、一件の後では官を貰ってさえおる。全く情けない奴よ」
「親父殿らしい」
院庁は義家の生存中から、常に弟・義綱と競合させることによって互いを反目させ、源家全体の力を削ごうとしていた。
奥州で起きた後三年の役を私戦と見なし、平定後に恩賞を出さなかったばかりか、義家に対する荘園の寄進を禁じている。その一方で、さしたる功もない弟・義綱に義家と同等の従四位を与え、兄の陸奥守よりも格の高い美濃守にさえ任じているのである。
そして義家の死後、河内源氏は義忠、義綱という二人の有力者を失って衰亡の一途を辿り、今に至っているのだ。
「全ては院庁の思惑通りになったという訳だな」
「そういうことじゃ。だから儂はますます院や公卿は好かぬのよ。だが、それはまあよい。全ては終わったことだからな。だが、あの童・舜天丸の方はそうはいかぬぞ」
「どういう意味か」
「考えてもみよ。戦に負け、河野水軍は半壊じゃ。これで伊予に帰っても、誰もあの童を頭領とは認めまい。しかも、頭領の座を狙う者が他におるなら尚更じゃ。あの子は、当分はこちらで預かった方が良いかもしれぬ」
「瀬戸内水軍と交渉する
「それもあるが、あの子のためを思ってじゃ。こちらで成長させ、鍛え、いずれ良い頃合いを見て伊予に帰すと言っておるのだ」
「頃合いが訪れなければ」
「だったらそのまま、こちらで引き取るだけのことよ。幼児ながら今日の戦で見せた覚悟は見事ぞ。良き将になるであろう」
度量の大きさと、意外な優しさを見せる義親であった。
これが八郎の心を開いた。
(豪放なだけの器ではないと思ってはいたが、よし、この相手ならば)
先程からの疑問を義親にぶつけてみる気になったのである。
「爺様」
「おっ、爺様と呼んでくれるとはめずらしい。嬉しいのう」
「舜天丸の件とは別に、ひとつ尋ねたいことがあるのだが」
「おう。何でも良いから言ってみい」
「爺様は戦は好きか」
「嫌いじゃな」
即答である。その素早さと明確な断定ぶりは、八郎の心を
「戦などと言っても、所詮は人殺しじゃ。そんなものが好きな奴は馬鹿か外道じゃろう」
「そうなのか」
やはり俺は生まれつきの人殺しであり、外道なのか。もしかして、それはあの母の血ゆえか? しかし、だとしたらどうすればいい。
義親は続けた。
「だから戦など一切やめて、全くの商人になろうと思ったこともある。だが上手くいかん。ついつい戦いに首を突っ込んでしまう。今日の戦もそんなものじゃ」
「なぜ上手くいかんのだ」
「儂の
八郎は無言で次の言葉を待つ。そこに何か、自分に大きな救いとなるものが含まれるという一縷の望み、予感があったからだ。
「儂が最も長じているのが戦いじゃ。それを抜きにすれば、儂などただの半端な商人、役立たずの老人よ。それが一番得意だから戦うのじゃ。してみれば、儂も馬鹿や外道と大して変わりはせぬわ」
八郎は思う。自分も同じだ。叡山で少しは学問を学びはしたが、兄弟子の足元にも及ばぬ。戦いというものが無ければ、自分など無用の者であろう。
「そしてまた、良し悪しは別にして、この世から戦のなくなることはあるまい。だから儂は、自分の力を最も発揮できるところ、すなわち自分の居場所は戦の中にあると諦めた」
「諦めか」
「ああそうじゃ。だがな、本当の外道に墜ちぬよう、三つの戒めだけは心に刻んでおる」
「それは何か」
「まず、大義の無い戦はせぬこと。欲のために戦うのなら、それは悪鬼と同じじゃ」
「うむ」
「次に、戦の最中はともかく、終わった後は屠った敵に対する哀悼の意を尽くすこと。その贖罪の気持ちが無ければ、儂はただの人殺しであり、人間として屑であろう」
「三つめは」
「自分は常に民に支えられて生きているのだと忘れぬこと。いくさ人など、百姓のように米を作るでもなく、漁師のように魚を獲るでもなし、何かを生み出すことをせぬ浮草よ。儂らは百姓や漁師がいないと生きていけぬのだ。だからその恩を返すため、すなわち民を守るために戦うのだ」
「全くその通りだな」
「まあ、この三つの戒めを守っていれば、大きな間違いは犯すまいて」
義親は微笑んだ。らしくもない、慈しみ深い微笑みである。
八郎は察した。さてはこの爺様め、とうに俺が心を読んでおったな。
全く、喰えぬ爺様だ。
「どうだ、少しは気が晴れたか」
「ああ、ありがとうよ、爺様」
「初めての
義親は杯に白い酒を
「いや、俺は酒は」
「まあ、一杯だけだ。それでもっと気持ちが楽になる」
八郎は仕方なく、勧められるままに酒を口に含んだ。とろりとした酒である。まず甘い味がして、次に舌をぴりぴりと刺す感覚があった。それに耐えて飲み込むと、喉に焼けつくような痛みがあって、それが胃の臓に下っていく。
「不味いものだな、酒とは」
「わはは。しかめっ面をするでない。慣れればこれが美味くなるのだ」
義親は今度は哄笑した。
急報が舞い込んだのは、そのすぐ後である。
宴は今だその真最中であった。
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