第35話 舜天丸(すてまる)

 縄梯子を上って八郎たちが唐船に乗り込むなり、重季が駆け寄って来た。


「若君、危ういところでしたな! 御無事でなにより」


 そして時葉に正対し、深く頭を下げる。

 いっぽう義親は皮肉に笑った。


「ふふ、だから言ったのだ。命冥加いのちみょうがな奴よ。その娘御に感謝せい」


 八郎は返す言葉もなく唇を噛む。

 時葉は得意満面である。

 だが義親はそのどちらにも構わず、すぐに表情を厳しく一変させた。

 自身の乗る唐船と、それに付き従う周りの船にも聞こえるように大音声で、


「狙うは右斜め前、大将船じゃ!」


 と、旋回を命じる。

 義親の指さす先には残る敵船の、いまだ無傷の一群があった。

 それらの中央には牙旗を立てた一隻の大型船。

 この唐船と比べれば小さいが、周りに浮かぶものよりは遥かに大きく、中央に角張った楼を設けた、ひと目で敵の指揮官が乗っていると分かる豪壮な船である。


「かなりの敵を沈めたが、なにしろ元々の数が多く、思ったよりも粘るでのう。この調子でいけば、下手をすると敵を殲滅する前に潮の流れが変わってしまう」


 義親の言に重季が渋い顔をする。


「だから申し上げましたのに」

「わはは、そう言うな。戦は生き物ぞ。必ずしも当初の思惑通りにはいかん。刻々と状況は変わるというものよ」


 言うや、義親は八郎に向けてその顔をずいと突き出した。


「そこでじゃ、八郎、お前の力が必要になってくる」

「というと」

「見ての通り、大将の周りを多くの小船が守っておろう。あれをいちいち沈めていては時が掛かり過ぎる。機を逸しては面倒じゃ」

「年寄りは前置きが長い。さっさと俺の為すべき事を言え」

「まあ、そう突っかかるな。話には順序というものがある」

「だから!」

「威勢が良いのう。結構結構。先程の戦いぶりは見事であったぞ。船から船へと跳び移って次々と敵を倒すとは、並の者では中々ああはいかん。最後は少しく油断であったがな」

戯言ざれごとはもうよい。何をせよと言うのか!」

「この船を今からあの船団に突っ込ませる。そこで、お前たちは敵の船を伝って大将船に乗り込んでもらいたい」


 ここで義親は、振り返って配下に命じた。


「おい、あれを持ってこい」


 すぐさま引き出されたのは七・八台の衝車。

 大木を五尺ほどの長さに切って先端を尖らせ、左右に車輪を付けたものである。

 これを唐船から敵船へ落とし、穴を開けて沈めようというのだ。


「無論、皆で矢やその他の援護はするが、こいつも使う。加えて」


 投石器らしき大型のからくりが甲板に据え付けられる。

 最後に恐る恐る運んで来られたのは三つの小ぶりの壺であった。

 その口には厳重に封がなされ、端から導火線が伸びている。


「それは」

「名は知らん。宋渡りの貴重品でな、中には火薬というものが入っているのだ。三つしかないが、お前たちの大いなる助けとなるであろう」

「火薬とは何だ」

「燃える粉じゃ。この紙紐に火をつけて敵陣に投げ込むと破裂するのだ。儂も一度見たきりだが、それはもう、とんでもない音と威力じゃぞ。それで敵が傷つき怯んだ隙に、お前たちは大将船を目指せ。ただし、敵の大将だけは殺すな」

「何故だ。大将を倒さねば戦は終わらぬではないか」

「捕らえた方が早く終わる。それを敵に知らしめ、退却を促すのだ。我らの強さの程は十分に示した。後は、奴らの要人を人質に取ったうえで、後々も悪さをせぬよう取引するのじゃ」


 ここで義親は、重季に悪戯気な目を向ける。


「という策だが、重季よ、今度は文句を言わぬのか。八郎をまた危機に晒すことになるが」

「どうせ何を申しても、義親様も八郎君もお聞き入れにならぬでしょう」

「わはは、その通りじゃ。どうだ八郎、やってくれるか。お前にしか出来ぬ荒事あらごとじゃ」

「おう、引き受けた!」


 話している間にも彼我ひがの距離は狭まり、いつしか敵味方の矢が飛び交う。

 そして唐船は敵船団に突っ込んだ。

 例によって、衝突された船は破砕されるが、大将船を守る密集陣は分厚い。

 周辺だけで七・八十艘も残っているだろうか。

 やがて唐船の前進は止まりかけた。


 すると今度は、舳先から次々と衝車が勢いをつけて突き落とされ、何艘もの敵船に大穴を開け、沈め、それによってまた唐船は僅かに前進する。

 頃合いと見て義親は壺の導火線に火をつける。


「ひー、ふー、みー」


 数え終わるや、投石器がうなりを上げて壺を飛ばし、敵船団の中心辺り、その頭上で大音響をあげて爆発した。

 音だけではない。中に火薬と一緒に詰めてあった鉄片や陶片が爆裂と共に飛散し、周辺の敵を傷つける。

 後の世の炸裂弾のように一撃で船を沈める強烈な破壊力ではないものの、この時代の日本では、まだ誰も経験したことのない凄まじい轟音と殺傷力である。

 それが更に一発、もう一発と続く。

 敵は明らかに怯み、多くが傷つき倒れた。


「よし、今だ。行け!」


 義親に命じられるまでもなく、八郎は既に機を悟り甲板を蹴っている。

 再び手近な敵船に降り立ち長剣を振るう。

 これに弁慶はもちろん、時葉までが続いた。

 その姿は八郎の目にも入ったが、もはや何も言わなかった。

 止めても無駄だろうからである。


 全て斬り捨て船を制圧する必要はない。

 邪魔になる敵を倒したら別の船に乗り移り、ひたすら前進するだけである。

 目的の大船までの距離はおよそ一町。

 立ちはだかる敵をまた斬り伏せ、その先に浮かぶ船へと跳ぶ。


 弁慶の強さはもちろん、両手に小太刀を持つ時葉の活躍も驚くべきものであった。

 戦場に女が現れたと驚き、あるいは侮る敵を、まばたききをする間も与えず一気に斬り刻む。


「海に落ちるなよ!」

「私がそんな下手をするものか」


 この三人の行く手を遮るものはことごとく死んだ。

 きりのような突入に穿うがたれ、八郎と弁慶の刃にかかり、あるいは時葉の双剣に倒れる。

 敵の矢は放たれない。自分たちの味方を傷つける恐れがあるからだ。

 逆に八郎たちにとっては周りの全てが敵である。

 間違っても味方を殺す心配はない。

 ひたすら壮烈に刃を振るえばよい。


 つい先日まで比叡の山麓に逼塞していた時葉と弁慶にとっては、思いもかけぬ華やかな戦場の舞台である。

 ここで果てようとも何の悔いがあろうか。

 晴れの舞台を与えてくれた八郎のためなら、死など何物でもない。

 群がる敵を打ち払い、遮二無二、前へ前へと突き進んだ。


 三人を援護するために味方から敵船へと矢が放たれる。

 重季はその中でも異彩を放った。

 他の者のようにむやみやたらに敵に矢を射るのではない。

 正確な矢筋で、三人に迫りくる敵を射抜くのである。

 これによって八郎たちの前進が如何に楽になったことか。


 そしてついに目標の大船に迫る。

 一挙に数間を飛び、八郎はその舳先に降り立った。

 すぐさま目に映ったのは、何人もの護衛に庇われ、後に退く童の姿。

 歳の頃はまだ五・六才であろうか。

 しかしながら、海戦にはまるで似合わぬ豪華な装束を身につけ、あたかも幼い公達きんだちのようである。


(勝てる戦と思い込み、このような幼児を大将に駆り出したか)


 八郎はまさしく怒髪天を突く。

 襲い来る護衛の士を右に左に斬り捨て、童に迫る。

 時葉と弁慶もまた船に乗り込み、敵を制圧しつつあった。

 また一人、八郎に躍りかかっては命を落とす。


「無駄じゃ。これ以上の殺生はしたくない。幼少ながらも大将と見た。名乗られよ」


 童をかき抱き背を向ける傅役らしき者が振り返り、答えた。


「河野水軍棟梁の一子、舜天すて丸様じゃ」

「そうか。ならばこれで無残な戦は終わる。力を貸して貰いたい」

「何を言うか! 数々の味方を屠っておいて」

「ああ、殺した。何人殺したかも分らぬほどにな。だが、童に危害を加える気はない。さあ、舜天丸殿とやら、参られよ。俺が貴方を捕らえることによって、この戦は終わるのだ」

「たわけた事を。我らはまだ負けておらん!」

「愚かな。いずれは全滅じゃ。犠牲を増やすばかりぞ」


 これを聞いてか、当の舜天丸が傅役の手を振りほどき、怯えながらもゆらゆらと八郎に歩み寄った。


「若君、なりませぬぞ!」

「爺、構わぬのだ。許せ」


 震える声で言い、八郎の顔を見上げた。

 童ながらも整った顔は血色を失い、蒼白である。

 一身を投げ出す覚悟を決めたと思われる。

 さすがは幼いながらも軍の総帥に擬せられた少年と言うべきか。


「我が身はどうなってもよいのです。これで戦が終わるなら」


 この言葉を聞き、八郎は胸の熱くなるのを覚えた。


「勘違いなさるな。そなたは、俺が我が身に代えても守る。安心されよ」


 舜天丸を抱きあげて船べりに立ち、海峡の隅々にまで届けと、あらん限りの声を振り絞って叫んだ。


「戦は終わりじゃ! これを見よ!」


 刹那、戦場は静まり返った。 

 次の瞬間、敵味方のある者は歓喜して絶叫し、ある者は無言のまま、がっくりと肩を落とす。


「瀬戸内水軍の大将・舜天丸殿は、この通り、八郎為朝の腕の中にある。戦は終わったのだ。これ以上の争いは無益である!」


 太陽がようやく中天にかかる頃、未曽有の海戦はその終わりを告げた。

 鎮西水軍の勝利である。

 八郎は、戦とは幾多の命をにえにした饗宴だと思い知った。

 なんと惨たらしく、それでいて血沸き肉躍るものであることか。

 それがついに勝利に終わった時、この上なく嬉しく、そしてまた哀しかった。


 見上げれば雲ひとつなく、どこまでも続く蒼天。

 人間どもの生き死になど関係なく海鳥が舞っている。

 その鳴き声は下界の争いを嘲笑っているかのようでもあった。

 

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