第34話 壇ノ浦

 八郎は次々と矢を射た。その全てが敵船を引き裂き、沈没させる。

 今日のために博多の鍛冶と矢師に依頼し、法然から贈られたものと寸分たがわぬ矢を多く作らせていたのである。

 先頭に立つ船が瞬く間に何艘も沈むのを見て、瀬戸内の水軍は明らかに混乱した。彼らにしてみれば、まだ相手の姿を目視したばかり、戦いを始める前からの珍事である。何が起こっているのかも分らぬうちに、またも新たな船が八郎の矢の餌食となる。


 瀬戸内の水軍の中核を成すのは、伊予の河野水軍と渡辺党。いずれも今や伊勢平氏の傘下にあるが、元はといえば源氏である。

 河野氏は本来は伊予の国人越智氏の流れをくむが、河野郷の高縄山城を本拠地とした親清の代から河野を姓として名乗り始めた。そして、この河野親清こそは、前九年の役で名高い源頼義の四男であったのが、縁あって越智氏へ養子へいったものだという。

 源頼義は義家の父、義親にとっては祖父である。ならば、河野氏の祖といえる親清は、義親にとっては叔父という極めて近い縁戚にあたる。

 いっぽう、渡辺氏の祖である渡辺綱は嵯峨源氏であり、源頼光に仕え、その四天王筆頭として大江山の酒呑童子退治で名を馳せた。その末裔が本拠地である摂津国渡辺荘から瀬戸内の海運に関与して、ついには水軍の棟梁的存在になったものが渡辺党である。

 そしてまた、松浦党の祖の松浦久は同じく渡辺綱の曾孫とされ、肥前国松浦郡に所領を持ったことから松浦の苗字を名乗り始めたとされている。

 つまり、この戦いは源氏と源氏の海戦と言えるのだ。

 義親自身には縁浅からぬ河野氏、松浦党にとっては遠い縁続きである渡辺党、それらを核とする瀬戸内水軍を、今日の一戦で完膚なきまでに叩き潰そうというのである。

 源氏も平家も関係ない。それは全て、自由であるべき海の民が何らかの勢力の走狗となり、一元的な海の支配に加担することが許せぬからだという。

 義親には渡辺党も河野水軍も、是が非でも自らの手で駆逐すべき蛇蝎だかつのように思えているに違いない。その憤慨は、同じく他者に縛られることを激しく嫌う八郎にも理解できた。


 決戦の地は義親の予想通り、壇ノ浦。日本海と瀬戸内を結ぶ、古代からの交通の要衝である。

 敵船団との距離が二町ほどに迫る。

 八郎は今度は大雁股の矢をつがえた。それは戦いの始まりを告げるにふさわしい鏑の音を鳴り響かせて飛び、一艘の敵船の帆柱を真っ二つにした。帆柱は折れて倒れ、その船に乗っている者はもちろん、周りの船の海賊衆も慌てふためく。

 ここで義親が命を発した。割れ鐘の鳴るような一声である。


「よし、頃合いじゃ! 矢を放て。奴らを殲滅せよ!」


 船団の先頭に立つ唐船二隻と、それに続く船々から一斉に矢が放たれる。その多くは火矢であった。相手の船を沈めるか燃やしてしまえ、ぶん捕りなど考えるなという戦い方である。

 これにまた敵船団は狼狽した。

 相手の船を占領し我が物とすること、最大の戦利品とすることを考えぬとは。これは尋常の舟戦ではないのか。

 慌てながらも応戦するが、その放つ矢は普通の矢ばかり。まさかこのような戦いになるとは考えず、火矢の用意が無いのだ。

 そしてついに唐船と、それに比べればはるかに小さな敵船とが接触せんばかりになった。


「構うな! このままぶつけてしまえ」


 敵船は必死に旋回して衝突を避けようとするが、もはや間に合うはずもない。厚い鉄板を張った唐船の船首が敵船の船尾を大破させた。大きな衝撃音が響き、八郎たちの足元もびりびりと震える。


「櫓を止めるな。このまま突っ切るぞ」


 義親の命に従って唐船は前進を再開する。敵船の粉砕された船尾に海水がどっと流れ込み、その全体が急速に傾く。乗っていた海賊たちは取り乱し、ある者は茫然として、ある者は海に飛び込む。

 船はみるみる船尾から沈み始め、喘ぐように船首を天に向けて海中に消えた。

 周りの敵船から唐船に向けて矢が放たれるが、なにしろ巨船である。多少の矢が当たり、突き刺さってもどうということはない。二隻の唐船が、手当たり次第に敵の船を舳先に引っ掛け砕きながら、前へ前へと進んで行く。

 一方的な蹂躙である。まるで、巨獣が小動物を蹴散らしているかのようであった。

 後に続く松浦党の攻撃も苛烈極まった。

 彼らの乗る船の大半は、瀬戸内の水軍のものよりも、ひと回りからふた回り大型である。波の荒い日本海を乗り回すものであるからだ。

 敵船に舳先からぶつけ、乗り上げ、相手が怯んだとみるや至近距離から矢で射殺いころし、あるいは火矢で炎上を狙う。熊手のようなものを敵船の船べりに掛けて引き寄せては、躍り上がって乗り込み、奇声をあげて斬りかかる。

 相手を翻弄するその素早い動きは、とてもそこが激しい潮の流れに揺れる船上とは思えないほどであった。

 相変わらず矢を放って敵船を沈めることにそろそろ飽きてきた八郎は、この光景に血が騒ぐ。弓を置いて近くの敵船に飛び移ろうとするところに、重季が八郎の手を掴んだ。


「若君、それはなりませぬぞ。将は御身おんみを大切になさる事こそ肝要」


 それを聞いた義親の表情が歪む。


「やめろ、重季。過ぎた保護は大将になるべき者の資質を駄目にする。八郎は兵の先頭に立って戦い、勝利を手にする者ぞ」


 重季は反駁する。


「しかし、それは匹夫の勇」


 だが義親は、この危急きわまる戦場にもかかわらず、落ち着き払って説いた。


「将には二つの型がある。常に最後尾に構え、計をめぐらし自軍を指揮するのがその一種。はたまた自軍の先頭に立って敵をほふり、味方の士気を鼓舞する者がもう一種。八郎は明らかに後者であろう。ならば、その邪魔をするでない」

「しかしそれでは、いずれ訪れるかも知れぬ大軍の指揮など」

「先のことなど、今を勝ち抜けねば訪れはせぬ。八郎の器量を信じよ。どんな大軍であろうと、いずれは統率することのできるものと儂は見た」


 そして義親は、うって変わって八郎に厳しく告げた。


「これは喧嘩とは違う、戦だぞ。生半可な優しさや情けは却って遺恨を残す。命を奪うことをなまじ躊躇ためらわず、全て斬り捨てよ。その覚悟がお前にはあるのか」


 言われた八郎は憮然とした。

 どういう意味だ。たとえば信西館で俺のしたことは子供の喧嘩だというのか。


「そんなことは重々承知。戦場いくさばで相手を憐れむような愚を犯す俺ではない」

「ならばよし。そしてもう一つ」

「このうえ何だ」

「決して油断をするでない。戦では瞬時でも隙を見せた者から死んでゆく」


 八郎は苛立った。

 この爺は、分かり切ったことを今になって、子供に聞かせるようにくどくどと。

 そんなに俺の腕が信用できぬのか。

 弁慶が怒鳴る。


「何をしておる。ぐずぐずするなら儂が先に行くぞ」


 その声に八郎は我に返った。咄嗟に唐船の甲板を蹴り、敵の船に降り立つ。後はもう、初めての大規模な戦に無我夢中であった。

 義親に言われるまでもなく、長剣を縦横に振るって敵を両断し、あるいは首を斬り飛ばす。弁慶もまた、狭い船上で器用に長尺の薙刀を扱い、刃の先端で突き刺したかと思えば横に薙いで一気に数人を斬り倒し、更に襲い来る敵を石突の一撃で海に落とす。

 そうして二人は船を制圧したとみるや、すぐにまた新たな船に飛び移っては暴れるのである。

 そんなことを何度くり返したことか。もう何人の敵を斬ったことか。

 今や八郎も弁慶も血まみれであった。全ては返り血である。それほどに多くの敵を屠ったのだ

 手にも腕にも、無数の人々を切り捨てた感覚が生々しく積み重なっていく。目に残るのはやはり無数の断末魔の表情。それらの重みに耐え難くなった時、八郎はふと周囲を見渡した。

 倒れ伏した死体、潮に流されゆく屍、蒼い海を背景に深紅に炎上する船また船。

 不思議な感情が八郎を満たした。


(凄惨だ。だが奇妙に美しい。これが戦場というものか)


 義親の言う油断であったろう。屠った数知れない敵に対する憐れみもあったろう。

 光景に見惚れた僅かな間、斬り捨てたはずの敵のひとりが立ち上がり、背後から無防備の八郎を襲ったのだ。思いの外の浅傷あさでであったのか、それとも死にゆく直前の執念、生命の残り火であったろうか。ふらつきながらも剣を振り上げ八郎に迫る。

 弁慶が叫んだ。


「八郎、後ろだ!」


 その時である。八郎が振り返るより早く小柄な人影が飛ぶように現れて、男に体当たりをくらわせ、よろめくところを斬り伏せた。

 時葉であった。


「はあっはっは。八郎よ、分かっただろう。やはりお前には私がいないと駄目なのじゃ」


 細身の身体に似合わぬ、阿鼻叫喚の海峡に聞こえ渡るほどの哄笑。

 まさかの事態に八郎は目を見開く。


「お前、どうしてここに」

「ふん。博多でおとなしく帰りを待っているとでも思うたか。密かに屋敷を抜け出し、お前たちの乗る唐船の船倉に隠れていたのじゃ」

「泳げぬくせに」

「そんなこと、海に落ちさえしなければ良いのであろう」


 ここに唐船が漕ぎ寄せてきた。義親の声が響く。


「八郎、乗れ! 敵の大将船を叩くぞ」

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