一体全体、なんという真似をしでかしてくれたのか おお、この表現、今までの人生で一番しっくりくる使われ方です。自分のあずかり知らぬところでやられちゃあ言いたくなるよな。 死穢しえと祟たたりを恐れたから 汚れの思想、古来から日本特有の思想ですかね?西洋にはなさそう。さて、八郎さん、応対の悪いところとの契約が切れてこれからフリーですね!
作者からの返信
「応対の悪いところとの契約が切れて」には、ちょっと笑わせてもらいました。
そう、いよいよフリーです。
比叡山までのいわば「序章」が終わって、まずは信西館へ討ち入り、そしてこれから本格的な活躍が始まります。
今まで八郎の成長譚に付き合って頂いてありがとうございました。
もうすぐアクション、バトル全開です (^_^)
為義さん振り回されてますね。
読み手の立場だと
何の非もない息子を権力者(信西入道)に目を付けられるからという理由で不当に勘当した
となるわけですが本人からすると
自分の知らないところで息子と権力者(信西入道)が揉めてしまい、相手から恨まれる羽目になったので、被害を最小限にするために仕方なく勘当することにした
という感じになるわけですから、玉藻や義朝が事件に関わっていることも考えるとちょっと同情してしまいます。
作者からの返信
実はこのエピソードに関しては為義に同情される方が多いんです。
皆さん西様と同じように感じられているようです。
同じ事件でも関係者の視点によって解釈が変わってきますから、為義の立場にからすれば、仰る通りだと思います。
三人称視点の小説では、八郎と為義、その両者の視点に立って描写しなければいけない訳で、そうしないと独りよがりの、読者の反感をかう物語になってしまう。
難しいけれど面白いところですね。
後の判断は読者に任せるということで……
ちなみにこの事件は(この事件も?)全く私の創作で、為朝が勘当されたのは史実では単に「京での乱暴が過ぎたから」、弓張月では「当代の弓の巧者について信西と口論等になり恥をかかせたから」ということになっています。
なんだかな~
ということで、こういう流れにしてみました (^^♪
拝読致しました。
為義さんと重季さんが激論を交わしている間、為朝さんは「何をつまらんことでぐだぐだ言っているのだろうなあ」とか考えていたのかと想像しながら読んでました(^_^;)
豪傑ぶっていてもタダの人である為義さん、いやそら仕方ないですわ、と肩を叩きたくなってしまうような。
でもこれで為朝さんにとっては解き放たれたような形になるでしょうから、自由です!
為朝さんにとっては、自由こそがぴったり似合いそう(^^)
作者からの返信
そうです。
作中にも書いた通り、八郎にとっては「むしろ望むところ」でございます (^_^)
これでやっと源家のしがらみから解放されて自由に!
さあ、これから本格的な大活躍(大暴れ?)の始まりです。
お楽しみに 😄
為義の気持ちもわかってしまうw
作者からの返信
最初は為義をもっと毒親的に激怒・狼狽させるつもりだったのが、書いているうちにこうなっちゃいました。
どうしたんでしょうね (笑)
編集済
崇徳院と信西たちの対立も、ここから始まったのか……
追記: ごめんなさい、誤解を招く書き方でしたね。このお話での崇徳院たちという意味でした!
作者からの返信
いえいえ、八郎の信西館への殴り込みは、あくまで私の創作ですから (^^;)
実際には崇徳院と信西との対立は、信西の2人目の妻が雅仁親王(後の後白河天皇)の乳母であったこと、崇徳院を疎んじていた鳥羽法皇の信任を得たことなど、諸々の事情があったようです。
為朝が勘当されたのも、史実では「京での乱暴が過ぎたから」とあるだけ。
滝沢馬琴作「椿説弓張月」では、「今の世の弓の名人は誰か」ということに関して、崇徳院の面前で為朝が信西に反論し、続いて実技でも見事な腕前を披露して信西に恥をかかせたため、それを危惧した父の為義が為朝に鎮西に行くように命じたという筋書きになっています。
どちらも面白くないので、こんな事件を設けてみた次第です。
本作は大筋においては史実に則っていますが、途中の事件に関しては殆どが私の創作ですのでお間違いのないように (笑)
なにしろ為朝っていう人は「保元物語」や「平家物語」以外にあまり記録が残っていないんですよ。
人間離れした怪しげな伝説だけは沢山残ってますけど。
だから却って自由に描けるっていう側面もありますけどね。
そもそも「九尾の狐・玉藻前の息子だった」っていう設定自体、伝承とも史実とも異なりますし😊
追記への返信)もしかしてそうかとは思いましたが、念のため書いておいた次第です。
稀に創作の箇所を史実と思われる方もおられるもので。
「ごめんなさい」なんて気を遣わせて、却って悪かったですね。
こちらこそ、ごめんなさい。