第27話 勘当

 その日の夜、八郎は堀川源氏館の一室にいた。

 横には時葉、正面には為義が座っている。傍らには重季が控えていた。非番のはずが、騒動を知った為義に呼び付けられたのだ。

 館の内外には武装した家人たちがせわしなく行き来していた。万が一の襲撃に備えているのである。

 為義の顔は苦りきっている。


「一体全体、なんという真似をしでかしてくれたのか」


 反対に八郎の表情は平然としたものである。まるで何が悪いのかと言わんばかり。

 代わって重季が再び弁明にかかる。


「ですから、叡山で知り合った子供たちが無法にも信西殿の手の者に斬られ、この娘が攫われたゆえ、救いに参ったと言っておられるではありませぬか。まず非難されるべきは先方ですぞ」

「分かっておる。だが、相手は今や本院様の第一の寵臣たる信西入道ぞ。その屋敷に討ち入り、大勢を斬り伏せ打ち倒すなど、全くもって正気の沙汰ではないわ!」


 最後は思わず口調が荒くなる。


「しかも、義朝の郎党まで傷つけたというではないか」


 これにまた重季が応じた。


「ですが、新院様のお力で今回の件は不問に付すことになったはず」


 事を知った崇徳院がすぐさま信西館と、このとき検非違使別当職にあった徳大寺公能きんよしに急使を送り、先の帝の権威をもって信西側の非を明らかにし、幸いにも事態を収拾し得たのである。

 これを発端として崇徳は信西、そして玉藻に敵視され、ついには窮地に陥ることになるのだが、この時、いったい誰がそこまで思い至ろうか。当の崇徳でさえ、後の大事を全く予期しなかったに違いない。


 そしてまた、崇徳に八郎の危機を急ぎ知らせた法然の働きを誰も知らない。

 もっとも、八郎自身には感じるところがあった。

 新院様が動いてくださったというのは、きっと兄弟子の助力に違いない。あの後、馬を走らせ鳥羽の離宮に急報したのだな。

 俺が何をしようとしているか見抜き、その先までを見通して援けてくれるとは。しかも、そのことを俺には一切告げずとくる。


(いやはや、やはりあの兄弟子は大したものだ。俺など到底かなわぬな)


 八郎が考えていると、重季がまた為義に言った。


「それに、なぜ清盛殿や義朝様の兵までが信西入道の館に控えていたのか、あまりにも不審が過ぎましょう」

「うむ」


 重季の疑念に、さすがに為義も頷いた。

 そして思案する。


 義朝のこともそうだが、いったいに、今回の一件には奇妙なことが多すぎる。

 そもそも、何故ゆえ信西入道は孤児たちを襲い、この娘を攫ったのか。確かに美しい少女ではあるが、あの好色な入道を満足させるには今だ年若だろう。

 京ではなく、わざわざ叡山の山麓に目を付けたというのも不可解だ。信西の権勢をもってすれば、側女など洛中からいくらでも召し上げることができように。

 新院様の動きについてもしかり。

 使者が信西入道と徳大寺殿の館に到着したのは、ほとんど騒動が起こった直後だったという。鳥羽の離宮におられながら、なぜそのように早く事を知り対処できたのか。あまりにも手際が良すぎる。

 まるで、あらかじめ事件を予想した誰かが新院様にお知らせしたかのようではないか。

 だが、左様に謎めいた事々はさて置くとしても、最も悩ましきは予断を許さぬ今の状況だ。

 討ち入りの一件はおおやけには不問となったものの、信西入道という曲者が、このままで済ますとは思えぬ。本院様に讒言するなり何か別の罪を言い立てるなり、これから先、陰に陽に源家と八郎を陥れようとしてくるに違いない。

 それに対するには、ここは一体どうすべきか……


 目を閉じて暫くの沈思の末、為義は静かに告げた。


「八郎。貴様は勘当だ。この家を去り、いずこへなりと行ってしまえ。このまま京にいることは許さん」


 重季は顔色を変え、即座に異を唱えた。


「なんと! それはおかしゅうござる」

「なぜじゃ」

「非は相手にあると新院様も検非違使庁も認め、八郎様には何の処罰もないものを、源家だけが率先して勘当などという罰を下すとは」


 しかし為義は譲らない。


「勘当で済んだだけ有難いと思え。新院様の御尽力が無ければ、刑に処されるか、そうでなくとも儂がこの手で、もっと重い罰を与えなければならぬところぞ」


 その顔は色を失い、話すにつれて表情は深刻さを増していくようであった。


「検非違使庁が不問にしたとて、先のことは分らぬ。考えてみよ。もしも何の処罰も下さず、こ奴を都に留めておけばどうなるか。相手はあの執念深い入道じゃ。このまま黙っておるはずはない。あの手この手で我が家は次第に追い詰められ、八郎もどうせ命を狙われるわ」


 この時代、公家たちは日々政争に明け暮れてはいたが、どれほど憎い敵であろうと、その命までを絶とうとすることはなかった。死穢しえたたりを恐れたからである。

 相手を殺し首を斬る私闘が当然の武士とは、そこが違う。だが為義は、信西ならばそれさえもやりかねないと言っているのだ。

 こう論じられると重季にも反駁の言葉がない。

 それは十分にあり得ることだ。日中に表立っての襲撃ならば心配もなかろうが、いつどのような手段で襲ってくるか分らぬとなれば、たとえ八郎であっても対処できるかどうかは危ぶまれる。

 重季とて、仮にその身を盾としても、とても守り切れる自信はない。


「それゆえ、八郎は勘当ということにして別の土地へやるのよ。そうすれば信西の面目も立ち、少しは溜飲も下がるであろう。また、源家に手を出す名目も失う。早急に手を打ってくることもあるまいて。その間にこちらは対処の策を講じるのだ」


 ついに重季も押し黙る。その様子を見て為義は話を終えようとした。


「これで八郎と源家の縁は切れた。夜が明けたら館を出てゆくように」


 だが、これはむしろ八郎にとっては望むところである。遅かれ早かれ源家とは縁を切る運命にあったのだ。その心づもりは既に十分にできている。


「わかりました。明朝早々に出立しましょう」


 勘当を言い渡した当の為義が拍子抜けするほど、あっさりと承諾の返答をした。

 ところが、これまでずっと無言を通してきた時葉が、ここで初めて口を挟んだ。


「ならば私は八郎についてゆくぞ」


 重季は驚き怒る。


「何を言うか。お前のためにこの大事に至ったというに。この上まだ若君に迷惑をかけるつもりか!」


 時葉は澄ましたものである。


「八郎は私のことを仲間と言うた。だから救いに来たとな。仲間なら私が八郎の行く所にどこまでも付いてゆくのは当たり前であろう」

「馬鹿な! 勝手を言うではない」


 このやりとりを前に八郎は考える。

 うむ、救い出すのに夢中で、その先は考えていなかったが、確かに時葉をこのまま比叡に帰す訳にもいくまい。

 母や信西が俺をおびき出すための餌として、また手を出してくることも考えられるし、義朝兄者のことも気に掛かる。

 以前見た時の覇気を全く失っていたばかりか、熱にでもうかされたような顔だったではないか。しかも時葉に対しては普通ではない執着を見せていた。あの様子では、命じられずとも単独でこの娘を探し求め、無理矢理にでも我がものにせんと奔走しそうだ。

 ここはやはり、時葉の言う通りにするしかあるまい。


「分かった。時葉も一緒に連れて行こう」


 時葉は跳び上がらんばかりに喜び、重季は猛然と反対する。


「若君、それはなりませんぞ」

「言うな。ここまで踏み込んだならば、最後まで責任を持つのが筋というものだ。それに、鬼若も連れて行く」

「なんですと!」

「あの怪我人をこのまま置き捨てていく訳にはいくまい。明朝に館から運び出し、どこぞで養生させる」


 八郎の毅然とした沙汰に重季は返す言葉を失う。

 ここで為義が不意に立ち上がった。部屋の片隅に立て掛けてあった例の長剣を手に取り、八郎に差し出す。


「もはやお前が誰と何処に行こうと知ったことではないが、これを持って行け。亡き母の形見じゃ」


 八郎はそれを無言で受け取り、去ろうとする。

 そしてまさに部屋を出ようとした時、さもふと思い出したかのように振り返り、言った。


「そういえば、信西館に母者がおりましたぞ」

「なんじゃと、玉藻がか!」

「おう、顔こそ見ませんでしたが、聞き覚えのある謡の声が聞こえてきた。舞え舞え蝸牛とな。あれは母者に間違いない。今は本院様の寵姫・玉藻前であったかな」


 これに時葉も応じた。


「もしかして、あの長身の艶やかな女御か。丈の高さといい面貌といい、そういえば八郎と似ておったぞ」


 そして八郎と時葉は部屋を去った。重季も急いで後を追う。

 残された為義はひとり、甚だ驚き困惑する。


 不可解な! 信西宅に玉藻がいただと。

 名目上とはいえ義父の邸であるからには、あれが出入りをすることもあろうが、よりによって今日この日とは如何なることか。

 この騒動にどう関わっておるのだ。


 為義の思考は乱れに乱れ、いつまでも定まることがなかった。

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