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戻って来れました……!
"崇徳の意外〜危うい"
はえ〜そこに落ち着くんか
"つい〜丈高か」"
もう解いた
"自らの手で八郎の震える手をそっと抑える"
うっ(絶命)
"すまなかった"
もう引退心地だよね〜
"畢竟ひっきょう、今の世の乱れは全て我々が招いたものである!"
違った
"自ら八郎の手を取って短刀を握らせる"
えもい
作者からの返信
う~ん、このパターンの感想コメントは初めてですね。
盛り沢山で、何からどう反応していいのやら (^^;)
追記)「戻って来れました……!」っていうのは、何かあったんですか?
「相手を責める気持ちなど微塵もないと感じさせる、涼やかな笑顔である。」
八郎……。成長したな。しみじみ……。
「鵜丸が後々、八郎の命を救うことになる。」ほうほう、楽しみです。
作者からの返信
書いていくにつれて、いつの間にか、八郎の精神的成長を描く物語の要素が強くなってきちゃって……
何ででしょうね?
でも八郎はまだ十代に入ったばかり。
これからもっともっと成長しますから、お楽しみに。
鵜丸は伝えられるところによれば(現存しない刀です)短刀ではなく太刀で、保元の乱で崇徳上皇の味方となった為義に与えられるんですが、本作では少し変えてみました。
だって、鵜が咥えて水面に上がってきたっていうのなら、太刀ではちょっと無理があるんではないかと。
その当時の太刀は後の時代の刀より長いですしね。
それに、為義に与えられるより、ここはやっぱり崇徳との結びつきを描くためにも八郎に…… と考えた次第です。
保元物語でも椿説弓張月でも、崇徳と八郎の関係性については殆ど触れてないか、いかにも説明が弱いんですよねえ。
昔の常識では「エラ~い」人である天皇や上皇に、武士が忠義を尽くすのは当たり前(!)だったんですかね。
でも本作の八郎は、とてもじゃないけどそんな性格ではないので、独自に崇徳との出会い、その後を構築してみました。
鵜丸がどう八郎の命を救うかは、まだまだ先の話ですし、今はナイショです (^_^)
崇徳上皇気持ちのいい人ですねぇ。興味を持ってwikiで調べなおすと本当に波乱万丈。そのうえその後のことなどを考えると、ううむと唸ってしまいます。
作者からの返信
ありがとうございます。
そうなんです。本当に波乱万丈。
そして、その後も……
でも、どれもこれも本人の責任じゃなくて、周りの人々の陰謀や欲に巻き込まれてしまった、もうこの人だけで作品を書きたくなるほど可哀そうな方です。
(「叔父子」の件は正史に記述がある訳ではなく、当時の宮中や公卿のスキャンダルを記した「故事談」という書に記載があるだけなんですが、様々な物語には当然の事実めいて取り上げられているので、本作でもそう扱っていることを御承知おきください)
ただ、かの有名な「椿説弓張月」では崇徳院は霊となってからも為朝を援け、為朝も忠義を尽くし、最後には院に殉じるんですが、その辺が「鎮西に下る時に熊野権現のお守りを下しおかれた恩義」だけでサラッと片付けられているようです。
私が思うに、それはないだろうと。
で、こんな風に物語を構成してみました。
その辺が、「歴史」そのままではなく「ファンタジー」とした所以のひとつです。
崇徳院のことは、社会の教科書とか、百人一首くらいしか知らないのですが……。
それがわかるだけに、胸にくるものがありますねぇ(´;ω;`)
ボンボンというか、エエ人が陰謀(?)に巻き込まれて(以下略)は、大好物です。
作者からの返信
いろいろと知れば知るほど、私にもいい人のように思えて。
だからこそ陰謀の餌食になっちゃって、追い詰められて決起した末、破れて讃岐に流されるという、本当に歴代の天皇の中でも際立って不幸な方。
保元の乱は単純な兄弟間の権力争いではないようです。
しかも配流の後も理不尽な扱いを受けて、いい人だからこそ終いにはキレちゃって、日本一の大怨霊に(太平記でも終盤には怨霊の頂点として登場されます。で、その横に為朝も控えてる!)…… というのが史実や説話ですが、拙作ではもっと救いのある結末にしたいと思っています(またまたネタバレ?)
八郎と崇徳院の邂逅、なんと胸に迫る場面でしょう!玉藻前を巡る因縁が紡ぐ人間模様はまさに歴史絵巻のよう。八郎の澄んだ佇まいと、崇徳院の率直な悔悟に、鵜丸が象徴するのは運命の織り糸そのものですね。母と父、帝と臣、立場を超えた感情の交錯が見事で、次はこの短刀がどのような「物語」を生むのか楽しみでなりません。
作者からの返信
この場面は書くのが難しかったですねぇ。
細部を何度も書き直しました (^^;)
実は史実では為朝と崇徳院の邂逅の記録はこれといって残っていないんです。
たぶん保元の乱の時が初めての出会いではないでしょうか。
滝沢馬琴著「椿説弓張月」では、為朝が崇徳院の前で「今の世の弓の達人は誰か」ということで藤原信西を論破し、実技でも見事な技を披露して恥をかかせて、その結果、今後を危惧した為義から勘当されて鎮西に赴きます。
その際に崇徳院から熊野権現の守り札を貰ったことに感動して、生涯の主として敬い、最後にはそのお墓の前で切腹して果てるんですが、なんだかな~。
昔は皇室や「やんごとなき」方々に対する崇敬が今とは比べ物にならないぐらい大きかったんでしょうが、現代の我々から見るとスッキリしませんよね。
それでこんな出会いとして描いてみました。
崇徳院は今後も再々登場し、八郎を援けてくれたりして互いの繋がりを深めていきます。
実際には日本一の大怨霊として恐れられた方ですが、私はちょっと違った見方をしていて、ですから史実とも弓張月とも全然違う人物造形、運命になる予定です。
鵜丸のことも含めて、お楽しみに😊