第13話 処断

 八郎は縄で縛られ、すぐさま庭先に引っ立てられた。

 母屋の縁には為義が仁王立ちし、その顔は既に怒りで赤黒く変じていた。脇には重季が座して沈痛な表情で控え、集まった他の郎党若党たちも皆、息をひそめて事の成り行きを見守っている。

 為義は八郎を見下ろし、重々しい、静かな声で言った。


「貴様は、自分が何をしでかしたか分かっておるのか」


 当たり前のように問われても、八郎には事態が不明である。

 確かに今にして思えば軽率であったかもしれないが、所詮は小さな鎧ひとつ駄目にしただけのこと。たかがそれだけで、なにゆえこんな重罪人のような扱いを受けなくてはならないのか。

 八郎の無反応さを見て、為義の怒りは更に増す。


「どうした。何かうてみい!」


 早くも口調が荒くなるのを抑えることができない。これが八郎にとっては不敵にも、可笑しく奇妙に感じられた。

 重厚めいた話しぶりで偉そうに始めておきながら、恥ずかしげもなくもう大声を発するなど、立派な大人のすることか。それに周りの郎党たちも、たったこれしきのことで大勢が集まり、揃いも揃って深刻な顔を並べおって。


(馬鹿馬鹿しい)


 自分の運命を決めるかもしれぬ重大な場面にもかかわらず、つい失笑を浮かべた。

 それがまた為義を刺激した。

 これだけの大事をしでかしておいて、なおも冷笑してみせるとは。正気か?

 いや、十にも満たぬ童の分際でこ奴は儂のことを舐めておるのだ。ならばただの折檻では済まさぬ。しかるべき処分を下すためには、郎党たちの環視の中、まずは事理を明らかにせねば。

 為義はあらためてゆっくりと話し出す。その声は郎党たちを意識して一語一語が明瞭な、しかし憎悪を帯びた冷たいものであった。


「分らぬならば、教えてつかわそう。お前が両断したのは、源氏重代の鎧の中でも特別の一領、源太が産着じゃ。我ら河内源氏の祖・頼義公に嫡男・義家公御誕生のみぎり、乞われて小一条院と側近の方々に義家公を見せて差し上げることになった、その際に新調し、まだ赤子の義家公をその袖の上に寝せ、院の御拝謁に浴したものである」


 ここで一度、言葉を切る。

 そしてまた声を荒げ、


「源氏の嫡男しか着ることを許されぬ一領ぞ。それを貴様は、八男の分際で真っ二つにしたのだ!」


 最後は怒号であった。

 しかし八郎はこれを聞いても臆するところがない。それどころか、却って可笑しさが増すばかり。

 この父を始めとして大人共は、何かというとすぐに院だの摂関家だのと、その一挙一動に振り回されて右往左往しているようだが、ここでもか。それをまた、さも芝居がかった声音でのたまうとは。

 しかも、八男の分際でとか、まったく迷惑だ。俺はなにも好きで八男に生まれてきた訳ではないぞ。家柄や生まれた順序で人の軽重を決めるなど、なんという奇天烈な理屈か。笑止の至りとはこのことよ。

 こらえきれず、ついに声を出して笑い始めた。

 郎党たちは驚き、為義は激昂して更なる怒声を発する。


「何が可笑しい! 思うところがあれば言ってみよ!」


 八郎はこれに対し、為義を見据え、胸を張って答える。


「ならば申しましょう。院だの摂関家など、この八郎には無縁のもの。そんな人々に義家公を御覧に差し上げた際の鎧だからとて有難がり、家宝とまつり上げるなど、これを笑わないでおられましょうか。終生まで何者かにひざまずき使えることを良しとする、それこそ奴婢か飼犬の理屈ではございませぬか。この八郎は、宮家や公卿、武家などの家柄は勿論、兄弟の長幼の別などに関わりなく、人は皆、自らの思うがままに生きることが天から許されておるものと存ずる」


 一気の弁舌であった。場は静まり返る。

 しばしの間があって、為義は小さく言った。


「斬れ」


 それまで無言であった重季がこれに問い返す。


「は、何と?」

「斬れと言っておるのだ。この不埒者を、この場で成敗せい」

「お待ちください。それはあまりにも」


 恐れていた最悪の事態になった。我が身に代えても止めなければ。

 重季はなかば嘆願するように諫めるが、為義は聞く耳を持たない。


「ええい、誰もやらぬなら儂がこの手で斬るまでだ。太刀を持て!」

「血を分けた我が子でございますぞ」

「うるさい!」

「いかに源太が産着とはいえ、鎧一つのために我が子を処断したとあれば、世間の笑い者になりましょう。それに……」


 もはやこれを言うしかあるまい。

 重季はここで声を低くし、為義だけに聞こえるように囁いた。


「今は本院の御側に居られる玉藻様が何とおぼし召しましょう」


 重季にとっては大きな賭けである。ここで玉藻のことを口にするなど、ひとつ間違えば八郎だけではなく、自分もこの場で処断されてしまうであろう。

 しかし、二人にとっては幸運なことに、為義はこの言葉に少なからず動揺した。

 そうか、玉藻か! 確かにあの女が残していった子であった。

 重季の言うような、常の母親が我が子に向ける愛情らしきものがあるとは思えぬ。

 だが、あれも今は本院の御寵愛を受ける身分。残していった子を儂が斬ったと知り、万が一にも儂の勝手な仕打ちに逆上したりすればどうなるか。やっと本院の御勘気が解け、検非違使への還任を果たしたこの大切な時期に、要らぬ面倒は避けねば。

 ううむ、しかしそれにしても、儂を愚弄する八郎をこのまま何も罰せず済ませる訳にはいかぬ!

 為義は八郎を睨みつけ、


「こ奴の処分は追って決める。それまでは厳しく見張っておくように。重季だけでは足りぬ。他の者も交代で見張るのじゃ。しかと申しつけたぞ。良いな!」


 と大声で沙汰し、館の奥へと去って行った。

 重季はひとまず安堵に胸を撫で下ろす。

 やはり玉藻様のことを持ち出したのが効いたか。危うい賭けであったが、なんとか上手く行ったようだ。

 しかしこの後、如何にすべき……

 暗澹たる思いに重季は目を閉じ深い溜息をつく。


 数日間の監視の後、館の片隅に急遽造られた牢に八郎は入れられた。そしてここで一年近くを過ごすことになる。

 しかしそれは八郎にとっては決して無駄な時間ではなかった。重季が訪れて様々な書を差し入れてくれたし、何よりも、自らで深く思索する時間を得たからである。

 武芸の鍛錬や兵法の講義は禁じられたが、八郎には苦にはならなかった。


 日々考える。此度こたびの出来事で心に大きな疑問が生まれたのだ。

 そもそも何のために武勇を身に付けるのか。これが分からなければ、武芸や兵法など無価値な飾りだろう。

 また、武士はなぜ院や帝、公卿たちに走狗のように使われなくてはならないのか。そんな惨めな立場を甘んじて受け入れようとは、武士などというものはいったい何者なのか。


 そうして夏が過ぎ、冬も去り、ようやく牢から出されたのは翌久安三年の四月であった。為義の長い思案の末に、比叡山功徳院へ送られて皇円阿闍梨に師事することになったのだ。

 もちろん重季はこれに強く反対した。為義に詰め寄り論じたのである。


「八郎君はその知恵といい武芸の才といい、間違いなく古今無類の武将となられる御方です。源家にとっては間違いなく、かけがえのない宝ですぞ。何故にそんな若君を僧などにしてしまって良い筈がありましょうか。あまりに勿体なきことと存じます」


 しかし為義は譲らない。

 それどころか、重季にとっては最も意外なことを述べた。


「そんなことは今さら言われなくとも分っておる。しかし、だからこそ叡山にやるのだ」

「なんと!」

「お前たちが儂の目の届かぬ所で武芸の稽古に励んでいたのは明白よ。あの鎧の斬り口を見た時、思わず我が目を疑ったわい。並みの武士ではああはいかぬ、見事なものじゃ。しかもそれを、初めて真剣を握った年端も行かぬわっぱが成したとは、寒気がするわ」

「ですから、将来の源家を支える大切な若君と」

「聞けい! しかもその後、処断を下そうとした際も、儂に向かって恐れもせず、武士は宮家や公卿の飼犬ではないと言い放ちおった。あれもまた、儂らの痛いところをえぐる見事な道理じゃ。とても童の言葉とは思えぬ。しかし、まさにそれ故に我が家に置いておく訳にはいかんのだ」

「それはまた、どういう訳でございましょう」

「以前、儂の木剣を叩き折った時もそうじゃった。儂は恐怖したのだ。やらなければ自分がやられると思った。だからあ奴の腕を折ったのよ」


 重季は初めて聞く為義の本音に息を呑む。


「八郎には知恵と武の才だけではなく、覇気と、そして狂気が宿っておる。このまま育っていけば、いずれは自分に劣る兄たちを退け、果ては儂にさえ挑みかかってくるかも知れぬ。そのとき儂は年老いて弱っていよう。あ奴を止めることは叶うまい。そうなれば源家は八郎に蹂躙される。他の兄弟たちはどうなると思うか。また、斬罪に処すことは免じたが、一生ずっと牢に入れておく訳にもいくまい。牢以外に、あれを閉じ込めておくべき場所は寺、それも叡山の他に儂には思いつかぬのだ」

「八郎君は決してその様なことをなさる御方では」

「これ以上は言うな。もう決めたのだ!」


 為義はきっぱりと話を打ち切った。その心情の吐露に、今は重季も黙って引き下がる他はない。

 しかし比叡山にて八郎は幸運にも、生涯に渡って深きえにしを結ぶ人々と出会うことになる。

 そのひとりが円明房善弘、後の法然房源空であった。

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