比叡へ

第14話 功徳院

 八郎が師事することとなった皇円阿闍梨は、この時すでに七十を過ぎた高名な僧であった。

 この時代には有りがちな、表では名誉を、陰では世俗の快楽ばかりを追い求めるような愚物ではない。

 かたく戒律を守るのはもちろん、顕密双方の奥義を極め、その広い学徳によりあがめられている天台の名僧である。

 仏法だけではなく史にも明るく、若い頃にしてもう、六国史の抄本的役割を担う「扶桑略記」を著している。

 また、これはずっと後のことになるが、その死についても、今生での解脱が叶わぬならば、いっそ弥勒菩薩が遠い未来にこの世に現れて救いが訪れるのを待たんとして、龍身となって水中に身を潜めた、そう伝えられるほど道心の深さを人々に慕われた僧である。


 背後に炎を背負った忿怒相の仏、不動明王の像を置いた本堂で、その皇円僧正が八郎を一目見て言った。


「これは、我々坊主の手に負える若君ではありませぬな。武士として生まれついたような御方じゃ」


 重季ははたと膝を叩いて僧正に応じた。


「真にありがたき仰せで。自分もそのように思う次第です。それを為義様は源家のわざわいとなる故、叡山に押し込めよと……」


 すぐに愚痴になるのを止めることができない。

 それを僧正は手でさえぎった。


「気持ちは分かるが、主家の恥になるようなことは軽々しく口にせぬ方が宜しかろう。どこぞから話が漏れて、そなたの御身に害が及ばぬとも限りませんぞ」


 そして腕組みをし、


「摂関家を通じてのたっての依頼ゆえ、やむなく引き受けたが、さてどうしたものか」


 首を傾け、それから片手のこぶしを軽くあごに当てて考える。

 皇円僧正自身が関白藤原道兼の玄孫にあたり、今でも摂関家との関係は深い。

 それゆえ為義が藤原忠実卿と頼長卿に依頼して、八郎の功徳院入りを決めたのである。


 僧正は考えあぐねたか、ついに八郎自身に尋ねた。


「どうじゃ、若君、僧になってこの道で末遂げる御覚悟はお有りかな」


 八郎は即座に答える。


「そのようなこと、考えたこともない。坊主になって頭を剃り、朝から晩まで経を読むだけの辛気臭い生活など、まっぴらじゃ」


 きっぱりとした明確な返事である。

 重季は僧正の手前、あまりの返答に少なからず慌てる。

 僧正は全く気にする風でもなく、むしろこれで考えが決したようであった。

 朗らかに、柔らかく笑った。


「ははは、そうじゃろう、そうじゃろうて。わしは幼い頃にこの道に入り、それから何十年も、朋輩として、あるいは弟子として多くの者を見てきた故、顔を見れば、この道で修行を遂げ得るものか、そうでないか位は分るわい。八郎君はとても大人しく寺にとどまるお人ではないな」


 どうやら八郎の正直きわまる言葉に、却って好意を持ったようである

 僧正は重季に向かって言う。


「仏道修行は尊いものじゃが、人にはそれぞれ向きというものがある。ましてや武門の家にお生まれになり、まだ幼くしてこれ程の気魄を放たれる若君を、無理やり僧にしてしまうなど、勿体ないことじゃ。この方にはこの方の働くべき場所があるように思える」


 話を聞いていて、重季は目頭が熱くなるのを感じた。

 江口の長者殿といい、この僧正様といい、このように八郎君を理解し、認めてくださって、なんと有難いことか。

 それにひきかえ為義様の仕打ちは。

 しかし、それを言えば、つい今しがた僧正に禁じられた愚痴になる。


「とりあえずはお預かりしよう。話を聞くところでは、このまま帰すという訳にもいかぬようであるからな。じゃが、強いて僧にはしませんぞ。まあ、学問を習いに来たとでも思って過ごされると良い。そのうちに折を見て拙僧から為義殿に話して進ぜようほどに。おお、そうじゃ」


 ここで僧正は何を思いついたか、手を叩いて人を呼んだ。

 静かな深山のこと、音は寺中に響き渡り、すぐに黒衣を着た若い僧がひとり現れた。

 歳の頃は八郎より六つか七つ上であろうか。

 柔和な顔が特徴的な僧である。


「お呼びでしょうか、師の坊」


 八郎は思わず、この声に惹かれた。

 爽やかな、しかしながら心に強く響く声だ。


「おお、ちょうど良かった。お前を呼びにやろうと思ったのだ。そこへ座りなさい」


 僧正は重季と八郎の方に向き直り、その若い僧を紹介する。


「これは円明房善弘と申しまして、見ての通り歳は若いが、なかなか見どころのある弟子でのう。元々は延暦寺の源光上人に二年ほど師事しておったのだが、上人がなんと、自分にはもう教えることがないと申して、わしの所に寄越したのじゃ。まあ、源光殿がそう言う位じゃから、わしにもあまり教えることはないがな」


 最後の言は謙遜であろうが、僧正はそう言いながらも楽しげである。

 善弘という名の、この弟子の将来に期待をかけていることが分かる笑顔であった。


「まあそういう訳で、わしの下で得度させ、僧としての名を与えたのだ。弟子の中でも最も若いし、功徳院に来たのも今年じゃから、八郎君からすれば、すぐ上の兄弟子のようなものだな」


 僧正は善弘に命じる。


「こちらは源家の棟梁・為義殿の八男で、名を八郎君と申されるお子じゃ。故あって暫くここにて預かることになったので、寺の暮らしについて色々と教えてあげなさい。だが、決して無理強いして経を学ばせたりはせぬように。坊主になる気は無いそうじゃから」


 そして八郎の顔を見て、また優しく微笑んだ。

 最後に重季にも言う。


「そなた様も、いつでも遠慮なく寺に来るように。八郎君も喜ばれよう」


 僧正の心遣いに感謝し、重季は深く頭を下げる。

 このようにして八郎の比叡での生活は始まった。

 この頃の寺には宮家や公家など、大檀家の子息が行儀見習いのため上稚児として預けられることがよくあった。

 八郎の立場は、まあそんなものである。


 入山してすぐから、八郎は自分の世話をやいてくれる善弘坊に興味を持った。

 最初に心を動かされたその声だけではない。

 顔つきが他の僧とは違う。

 まだ若いせいか細身だが、頭は大きく丸く、はなはだ形が良い。

 濃い眉、優し気な目、筋の通った大きな鼻と引き締まった小さな口、長く垂れ下がった福耳。

 いかにも円満ではあるものの、同時に意志の強さを感じさせる異相であった。


 この善弘が早朝の起床から就寝まで、読経、寺の清掃などの作務、食事などの他は常に書を読み思索に耽っている。

 確かに師に言われた通り親切に八郎にいろいろと教え、世話をやいてくれるのだが、それ以外の時間は全てである。

 空いた時間は雑談などに過ごすことが多い他の僧と比べて、その没頭ぶりは異様な程であった。


 八郎は今まで、これ程に何事かに集中して打ち込む人間を見たことがない。

 経文や仏学の書だけではなく、史や詩歌、果ては兵書に至るまで、その読書の範囲は広大であった。

 和尚である皇円自身が多彩な学識を持つ僧であったから、この功徳院には特に大きな書庫が設えてあり、様々な分野の文献が収められている。

 善弘にとってはまたとない修行の場であったろう。

 後に「智慧第一の法然房」とたたえられるようになったその基礎は、ここで培われたものと言ってよい。


 毎日毎日あまりの没頭ぶりに八郎は呆れ、ついにある時、思わず問いかけた。


「兄弟子は、なぜそのように熱心にいろんな書を読まれるのか」


 八郎もこの頃では善弘のことを兄弟子と呼ぶようになっている。

 何事であれ、ここまで一心に専念する人は敬意に値する、いつの間にかそう感じたからであった。

 善弘はいつもの穏やかな声で、しかし間髪を入れず答えた。


「衆生を等しく救う道を探すためです」


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