武神を斬る

第12話 源太が産着

 四月に入って賀茂祭の季節となった。

 この頃、京で「祭り」と言えば、それは即ち賀茂祭のことであった。

 祇園祭が主に庶民のものであるのに対し、賀茂祭は皇室や公家が主役を演じる大祭である。

 後には神紋の二つ葉葵にちなんで葵祭と呼ばれるようになるこの行事では、流鏑馬や競馬くらべうま、神霊をやしろに迎える神事などの後、中の酉の日には「路頭の儀」が執り行われる。

 勅使を中心とした大勢の文官武官の本列に、装いを凝らした女人列が斎王たる内親王を囲んで続き、馬や牛車、輿を連ねて御所から下鴨神社、そして上賀茂神社までの二里あまりを練り歩く華麗な儀である。


 ことに今年の賀茂祭りは、源家にとっては特別の意味を持つものとなった。当主である為義が行列を警護する検非違使として、久方ぶりに供奉することになったのだ。

 郎党たちも先導の騎馬隊として、あるいは市中の警備に殆どが出払い、館の中はいつになくひっそりとしている。重季もまた、今日ばかりは八郎のもとを離れて騎馬隊に加わることを命じられた。


 八郎は手持無沙汰である。

 公卿や武家のこれ見よがしの威儀を整えた行列を見に行く気にもなれぬし、他にこれといってなすべきこともない。一人での素振りや型の稽古は終えたし、手元にある書も読み飽きたものばかりだ。

 はてさて、どうやってこの退屈を癒すべし。

 そこで暇にあかせて思い立った。


(今日こそは本物の太刀を振ってみようか)


 八郎はまだ真剣を持ったことがない。

 普通の子供よりはずっと大きいが、やっと八歳であり、抜身の太刀を振らすには時期尚早と重季が判断していたからだ。しかし、今日はその重季もおらず、館に起居する兄や女たちも大方は見物に出掛け、およそ邪魔する者はいない。

 絶好の機会である。

 よし。そうと決まれば、最上の太刀はどこにあるか。あそこに違いない。

 八郎は真っ直ぐに為義の居室に向かった。


 ところが部屋のどこにも為義の愛刀は見当たらない。

 合点する。

 そうか、今日はあの父にしてみれば晴れの儀であるからな。折角の日に自慢の太刀を下げて出るのは当然といえば当然か。

 くだらん見栄であることよ。

 その時、片隅に無造作に立てかけてある、見覚えのある長剣が目にとまった。

 玉藻への未練であろうか、為義が捨てもできず、誰か配下の者に下げ渡すもならず残しておいたものである。

 八郎はすぐにそれと分かった。


(これは確か、母と暮らしていた屋敷にあった太刀)


 父や館の者には母は死んだと聞かされており、重季もそれについては何も言わぬが、自分にはうっすらとその記憶がある。ある日のこと母は突然にいなくなり、自分はこの館で暮らすようになったのだ。

 死んだとは思えぬ。なぜなら、その前に病に臥せっている様子もなかったではないか。

 今さら会いたいなどとは全く思わぬが、生成りの鞘巻き拵えのこの太刀は、幼い頃の記憶に曖昧ながらも残っている。


 好奇の心が募った末、八郎はついにその太刀を抜き払ってみた。

 刃渡り三尺は楽に超え、三尺半にも至ろうかという長剣である。腰に下げるはおろか、今の八郎には背に負うにも長すぎる代物であろう。

 しかし、細身のつかは手にしっくりと馴染むように思われた。

 腰反り高く、切っ先は伸び気味の豪壮な太刀姿。刃文は直刃の小乱れ、僅かに砂流しが入り、黒みがかった地鉄は板目に柾肌が混じる。話に聞く古の名匠、安綱か宗近の作でもあろうか。いまだ技巧に走らず、それが却って風格を感じさせる。

 ろくに手入れもされていない筈だが、刀身には錆どころか曇りひとつない。

 八郎は直感した。


(これは凄い!)


 いわゆる抜身の名刀を見たことや手にしたことはないが、知識や経験を抜きにして、否応なしの凄みを感じさせる太刀だ。見るだけではなく、ぜひ実際に構え、振ってみたい。

 姿勢を正し、太刀を両手で持って構えを取る。

 重い。しかしこの重さが即ち一撃の威力となり、どんな相手も斬り伏せることができそうだ。

 そして思いついた。


(そうだ! この俺が初めて斬るものが、くうやただの庭木や岩ではつまらぬ。源家名代の堅牢な鎧こそ、その獲物に相応しい)


 普段の八郎であれば、このような思考、行動には至らなかったに違いない。重季が自分を守ろうと腐心していることを知っているからだ。

 だが今日だけは全く違った。やはり、初めて抜身の太刀をその手に持ったこと、また、その太刀が期待していた以上の逸品であったことから来る昂ぶりのせいであったろう。


 まっしぐらに倉へと向かう。火事に備えて壁板に石灰を施した、貴重な武具を収めた倉である。

 入り口はかんぬきと赤錆びた海老錠で閉じられていたが、この時代の錠など開けるのは容易なことだ。また、そもそも武者のたむろする源氏館に忍び込もうという大胆な賊などいないであろうから、入り口自体の用心は簡素なものであった。

 太刀の柄頭で何度か叩くと簡単に錠は歪み、外れた。閂を引き抜いて扉を開けると、そこには案の定、幾つもの鎧櫃や武器の類。

 弓や長尺の薙刀までもが並べ立ててあるので天井は高い。


 八郎は、その様々な武具の中にひとつ、小さな櫃があるのに気付いた。開けて中のものを引き出してみると、やはり子供のものとおぼしき小ぶりの鎧。

 胸板には天照大神と正八幡大菩薩を表し、左右の袖には藤の花が威してある、紫・藤・白の三色をにほいおどしで仕立てることで藤の花が咲いているかのように見せる、いとも華やかな鎧であった。

 初めての獲物としては大きさも手頃。何よりもその華やかさが八郎を惹き付けた。


(よし、これに決めた)


 良き獲物を目の前に立たせ、その上に兜を載せると、緒の鮮やかな赤がまたくっきりとよく映える。

 八郎は太刀を両手に構えて呼吸を整え、すぐに大上段に振りかぶった。

 鎧を敵の武者に見立てて、しばし自身の気の満ちるのを待つ。そして気の高まりが頂点に達した時、一切の迷いや躊躇なく、太刀を真正面に斬り下ろした。

 兜が割れる高い金属音と共に、斬撃は鎧までも真っ二つにし、振り抜いた切っ先は床板に深く喰い込む。渾身の力と刃の方向が見事に一致していたからであろう、手に伝わる衝撃は皆無に近かった。

 重い甲冑は音を立てて崩れ落ちる。

 しかし八郎は不満であった。


(ふん、こんなものか)


 鎧なんぞというものも、見た目が大仰、派手なだけで、身を守るには大して役に立たない代物のようだな。何かもっと実戦にふさわしい防具を考えねばなるまい。

 それともやはり斬られる前に相手を斬るべきか。いや、それでは命が幾つあっても足りるまい。だが待てよ。あえて死中に入ってこそ逆に生を拾うものではないのか。生きようとばかり思って臆病に戦えば、むしろ命を失いそうだ。

 うーむ、戦いとは難しいものだな。どうすべきか面白い。


 だが、そんな八郎の思いなどに関わりなく、館に残っていた若党の何人かが当然に物音を聞きつけた。

 響き渡る鋭い金属音に続いて何かの倒れるような音。何事か!

 留守を任された者たちは急遽、館内の四方に散る。そのうちの一人が倉の扉が開いているのを見つけた。


(まさか、賊であろうか)


 危惧した若党は大声を上げて他の者たちを呼ぶ。すぐに何人かが駆け付けた。

 顔を見合わせて頷き合い、各々の太刀を構えて倉の中に踏み込む。

 するとそこには八郎がいるではないか。外の騒動も全く気にせず、倉の板床に深く喰い込んだ長剣の切っ先を引き抜こうとしていたのだ。

 そしてまた、美しい鎧が一領、真っ二つになって無残な姿を晒している。


「あっ!」


 若党の一人が思わず声に出して驚愕した。

 ここにあるものは全て源氏重代の貴重な武具ばかり。その中でもあの鎧は八幡太郎義家公の……

 しかし八郎はそんなことは気に掛けるでもなく、若党たちの姿を見るや、


「ちょうど良いところに来た。鎧を片付け、太刀は皆で床から引き抜いた上で、親父殿の部屋へ戻しておくように」


 などと澄ました顔で言い、すたすたと倉を出て行った。

 残された若党たちは唖然とするばかり。


 勿論このことは儀を終えて帰館した為義に知らされる。

 為義はそれを聞き、怒るより先に言葉を失った。なぜならそれは、源氏八領の中でも格別の由緒を持つ鎧、「源太が産着」であったからだ。

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