第8話 父に挑む

 為義は問うた。


「どうしたのじゃ」


 重季はすぐさま片膝をつき、畏まって正直に答える。迂闊であった。


「喜ばしいことでございます。木剣をもって稽古をしていたところ、若君がついに、それがしに一撃をお入れになったのです」

「そうか」


 為義は重季が取り落とした木剣を拾い上げた。


「このところ武芸に励んでいるのは知っておったが、最早それ程にまで至ったか。武門の子として感心なことじゃ。どれ、父がその腕前を確かめてやろう」


 この言葉に重季は内心で「しまった」と狼狽する。

 父君が日頃から八郎様に向けられる微妙な視線、語られる際の口ぶりの複雑さを重々承知していながら、なんという余計なことを言ってしまったのだ。

 ただでさえ肉親による内紛の絶えぬ源氏のこと。親兄弟であっても例外ではない。この幼き息子を今のうちに叩き据え、自身に対する恐怖を植え付けておこうとのお考えか。


 もちろん重季は、為義が八郎の出生について疑念を持っていることは知らない。しかし、その穏やかそうな言葉の裏にある、父親らしからぬ不穏な気配を感じ取っていたのである。

 二人の間に立ちはだかり、強く為義をとどめた。


「お待ち下さい。若君はまだ幼くございます」


 為義は薄く笑って答える。


「何を慌てておる。今の今までお前が稽古を付けていた癖に。それこそ妙な話ぞ。武門の家で父が息子を鍛えてやるのは当たり前ではないか。それ、八郎はもうやる気でおる」


 振り返ると、確かに八郎は両手に木剣を構え、今にも打ち掛からんばかり。精一杯の語気を込めて重季に命じる。


「どけ!」


 重季はその気迫に思わず後退あとずさった。

 八郎はその切れ長の目で為義を見据え、相手がまだ態勢が整わぬと見るや、すかさず打ち掛かった。


「おっと」


 為義はその初撃を軽くいなし、八郎は勢い余って軽くよろめく。しかし振り返りざま跳び、また一撃、二撃。

 だが為義にはまだ余裕がある。


「なかなかやるのう。ただ、攻めは良いとしても、ここら辺の防ぎがなっておらぬ」


 揶揄の言葉と共に八郎の左肩口を打ち据えた。

 痛みに八郎の動きが止まり、為義は勝ち誇るように嘲笑あざわらった。


「なんだ、そんなものか。師の教えの程が知れるわい」


 これを聞いて八郎は憤ったか、息をもつかずに連撃を浴びせる。その打ち込みは回を重ねるにつれ威力を増し、四方八方から鋭く為義を襲う。

 やがて驚くべきことに為義を防戦一方へと追い込んだ。

 重季は息を呑み、逆に為義は焦る。


(こ奴、何時いつの間にこのような)


 攻めること数十撃、ついに、


「はあっ!」


 それまで無言だった八郎が、裂帛れっぱくの気合と共に渾身の一撃を放ち、それに合わせ防ごうとした為義の木剣を真っ二つに打ち砕いた。これまで数か月にも及ぶ稽古のため木剣がいたんでいたのか、それとも八郎の童とは思えない気魄と並外れた膂力の故であろうか。


(なんと!)


 重季はただ驚嘆する。しかし為義はこれでは終わらなかった。

 どうだ、と言いたげに胸を反らして息をつく八郎を憎々しげに睨むや、その足元に渾身の蹴りを一閃。強烈な足払いをかけられた格好の八郎は横転し、その左腕を為義は全体重をかけて思いきり踏みつけた。

 重季があっと思う間の出来事であった。


「うわあ!」


 悲鳴が響く。

 重季は咄嗟に駆け寄り、為義を突き飛ばして八郎をかばう。その身体を抱き上げ、郎党という身分も忘れて為義に詰め寄った。


「何をなさいます! 血を分けた若君ですぞ」


 為義は事もなげに答えた。


戦場いくさばでは素手の格闘術も必須ぞ。そ奴の油断じゃ。以降は気を付けるように言っておけい!」


 最後は強く言い放ち、背を向けて立ち去った。

 あまりのことに重季は唖然とし、そして思う。

 何故かは分らぬが、あの方は、やはり八郎君をうとんでおられるのだ。それとも天性にして愛情の薄い御方なのか。

 いっぽう為義は苦々しく思案する。

 重季は八郎に余計な世話をやき過ぎる。儂の考える必要以上のものを教え与えているようだ。あの玉藻の子に対して真剣に武芸を仕込むなど危険すぎる。

 どうせ本当に儂の子であるか知れたものではなし、将来の騒動の種になるばかりではないか。せいぜい我儘放題に甘やかしておき、源家の持て余し者と皆に見なされる程で良いものを。

 やはり八郎は、いずれは寺にでも入れずばなるまい。

 しかし重季にはそんな為義の心底までは分らない。


 八郎の傷は思ったよりも酷かった。左腕の骨が折れ、完治までには数か月を要するという。

 武芸の修練は暫く中断せざるを得ないと聞き、重季は危惧した。

 これでまた若君の鬱屈が溜まるとしたら。そしてまた、父君のあの仕打ちに対して、どうお感じになっているのか。

 ところが意外にも八郎には屈託がない。怪我をした翌朝にはもう、無事な右腕で木剣を空に振るっているではないか。

 その姿を見て、重季はさすがに心配して問うた。


「左の手はお痛くはないので」

「ああ大丈夫じゃ。これしきの傷、ものの数ではないわ」


 これは嘘であった。剣を振り下ろす度に左腕にも衝撃が響き、その苦痛に耐えかねて、明らかに顔をしかめている。

 重季はその様子に内心はらはらとしながら、どうすべきか思案を巡らす。

 そして、ある一計に至った。八郎に兵法を学ばせることにしたのである。

 重季はこの時代の武士にしては書物にも造詣が深い。六韜三略、孫氏など入手困難な書を苦心惨憺して探し求め、何度読んだか自分でも分らない程に没頭したものだ。


「若君、今日の午後からは新しい修行を致しましょう」


 新しい、という言葉に八郎は反応した。


「何をするのじゃ」

「兵法を学ぶのです」

「学ぶということは、書物を読むのか。つまらん。武芸の稽古の方が面白かろう」

「武芸は一人か、せいぜい数人を相手にするもの。兵法は何千何万の敵を相手にするものですぞ」


 これを聞いて八郎は興味を持つ。

 重季は自前の書を持ち込み、その日から兵法の講義が始まった。

 驚くべきことに、八郎は古今の書の説くことわりを、乾いた砂が水を吸い込むように自分のものにしていく。理解と記憶、双方の力が並大抵ではないのだ。

 また、要諦を学ぶことに集中し、細部にこだわり過ぎるところがない。何かの学問を始めるうえで、これは大切なことである。

 講義を始めて暫くした頃、二人の間にこんなやりとりがあった。


「百戦百勝は善の善たるものにあらずと申します」

「なぜだ。全ての戦に勝つならば、それに優るものは無いではないか」

「たとえ勝利したとしても、戦えば必ず損害が生じます。左様なことがあまりに続けば、やがて軍は摩耗し民は疲弊し、いずれは戦を始めることさえ叶わなくなりましょう」

「そうか、分かったぞ。戦わずして相手を屈服させることができれば、確かにそれが最上であるな。どうやってそれを成す」

「威を示し策を講じることによって相手の戦意を失わせ、おのずとこちらの意に従わせるのです」

「しかし、諸般の事情が許さず、どうしても兵を用いなければならぬ事態に陥ったらどうする」

「その時こそは、やむなくも戦でございましょう」

「大義を明らかにすることによって兵を募り、正々の旗を上げ、堂々の陣を張って雌雄を決し、志を達するのだな。そしてなお、力押しに頼るのではなく、こちらの実をもって相手の虚を突く」

「それでは不足です。人は大儀だけではなく、利でも動きますぞ」

「常々から民を慰撫し、民生を豊かにすることによって、味方を増やすに足る財を蓄えておけという訳か」

「御明察かと」

「つまりは戦というものは、始まる前から勝敗はなかば決しておるということか」


 子供とは思えない八郎の洞察の鋭さに重季は舌を巻き、そして安堵する。後は若君の傷の癒えるのを待って、武芸の稽古もまた始めるとしよう。

 それにしても、なんという若君ぞ。武芸の才も知恵も並大抵ではない。その傅役に任じられたのは僥倖の極みである。

 これほどの若君に対して、父君のあの過酷な仕打ちはいかなることか。

 是非、何とかせねば。

 しかしそれは、重季の手に余る難題であった。

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