第2話 斬撃の後
為義が振るったのは源氏重代の宝刀。
肩口から入った斬撃は反対側の脇腹にまで達し、一閃のもとに男の身体を真っ二つにした。
かつて多数の敵を処刑した際に、首と共に髭までを切ったことから「髭切」と呼ばれ、あるいはその昔、都を騒がす鬼・茨木童子の腕を一条戻橋にて切り落としたとの伝承から「鬼切」とも呼ばれる太刀である。
名の由来に恥じぬ戦慄すべき切れ味であった。
惨劇を目にして、更に大きな悲鳴が幾つも響いた。
両断された身体の首のある半身は音も無く斜めにずり落ち、地面に転がる。血が噴き出し玉砂利を赤く染める。
もう半身は、これも斬り口から血を噴き出しながら、何が起こったかも分らぬげに数瞬その場に立っていたが、ゆらゆらとよろめき、うつ伏せに地に倒れた。
周りをとりまく群衆に大きな騒めきが起こる。
為義は血刀を引っ下げたまま白拍子に問うた。
「大事無いな」
すると相手は意外なことに毛筋ほども怯える様子はなく、ただつまらなそうに、
「余計な事でございました」
と言い捨てる。そして、
「自分の身ぐらいは自分で守ることができます。見ず知らずの御方に助けて頂くほど情けない女ではありません」
低い声で呟き、腰に下げた長刀を抜き払ってみせる。それは白拍子にはありがちな飾り物の模造刀ではなく、刃渡り三尺をゆうに越える
騒ぎを聞き、大柄な僧が警護の武士を引き連れ、息せき切って駆け付けた。
彼らの眼前には見事に両断された
僧は勇を奮って大喝した。
「何事じゃ!」
これが為義の癇に障った。
(坊主風情が偉そうに。叡山の荒法師にさえ恐れられた儂に向かって、なんたる言い様ぞ!)
かっと目を見開いて僧を睨みつけた。僧は為義の形相に思わずたじろぐ。
そこに
五尺に満たない痩せた貧相な老人だが、この修羅場に怯む様子もない。柔和な笑みを
「いやいや、お坊様、この御方に全く非はございませんので。慮外者が一人、演目の最中に短刀で白拍子に突きかかろうとしたのを、この御方が咄嗟に成敗して下さったのですじゃ」
顔見知りでもあるのか、言葉の端々が親し気だ。
この仲裁に僧は救われたか、
「は、そういう事でありましたか」
安堵の表情を見せる。うって変わって相手を敬う言葉遣いになったのは、先方が老人であるからか、それとも他に理由があるのか。
為義も太刀を納め落ち着いて、
「思わず斬って捨てたが、寺の境内で、しかもめでたい灌仏会の日に血を流したのは、いささか浅慮であったか。更に尋ねたき仔細があれば答えよう。儂は先の検非違使、源家の為義じゃ」
名乗りの言葉に、それまで無表情だった白拍子の細い眉が「ぴくり」と動いたが、為義はそれには気付かない。
「ならば、こちらへ」
と、辞を低くする僧と共に場を後にする。
導かれて寺の裏手へと回ると、僧房の前には庭を掃き清める稚児がいた。僧はその
待つこと暫時、息を切らして帰って来た。その案内で通されたのは僧房の一角、
「和尚様が来られるまで、こちらでお待ちを」
白湯が出されたが、さて、それからが長かった。円座に座り四半刻が過ぎても誰も現れる気配がない。
為義の苛立ちは高まったが、なにしろ面倒を引き起こしたばかりである。
いやいや、きつく詮議されるかと思ったが、客扱いをされるのならば悪くはあるまい。
と、自らをなだめ、目を閉じて再び待ちにかかる。そうすると否応なしに思い出されるのは先程の白拍子。
うむ、噂以上の破格の
異風の面立ちや肢体もさることながら、舞がまた心奪われるものであった。あれ程の舞は、どこの宴でも目にしたことがない。そしてまた、人ひとり目の前で絶命するのを見ながら
あの妖しさと豪胆さは化物じゃ。しかし、そんな化物であるからこそ、我が身のものにした時の喜びは無上であろう。
などと、場所もわきまえず、際限もなく不遜な想いに
それから一刻ほども過ぎたろうか。
「お待たせ致しましたな」
太く皺枯れた声がし、金襴の袈裟を着け、でっぷりと太った醜い中年の僧が現れた。為義は目を見開く。もう日は翳っている。
いささか慌てて居ずまいを正すと、僧は目の前の板敷に座って相対した。
どうやらこれが和尚らしい。僧職には相応しからぬ
互いに名乗り、型通りの挨拶を交わした後、
「なにしろ今日は灌仏会でしたからな。拙僧が本堂を離れる訳にもいかず、こういう次第になってしもうた。全く申し訳ない」
「いや、面倒を起こしたのはこちらですので」
為義はへりくだる。
すると和尚は
「仔細は聞き及んでおります。不埒者が狼藉に及ぼうとしたのを、そなた様が成敗されたのだとか。かねてから白拍子に言い寄っておった男らしいが、一向に相手にされぬのを恨んでの所業らしいのう。あの美しい
そして破顔した。
「はてさて、それにしても運の無いことじゃて。狼藉を働こうとしたその場所に、まさか名にしおう乱暴者、源為義殿が居合わせるとは」
これを聞いて為義はいささか驚き、次いで憮然とした。
相手にされぬ怨恨云々ではない。そんなことはままある話だ。
ところが「あの美しい女子」とは。僧でありながら、かの白拍子に面識があるのか。
そしてまた、初めて出会った自分に笑いながら「乱暴者」と言い放つとは。しかもまさに今日、人をひとり斬り捨てたばかりの相手と承知の上での言葉である。
だが、和尚はその様子にはおよそ取り合わず、ただ、
「誤解なさらぬよう。責めておるのではありませんぞ。白拍子を救うための
笑顔で断りを入れ、にこやかに話を続ける。
「我々坊主も、この時世、乱暴狼藉と無縁では居られませんからな。寺を一歩出れば、人斬り
と、僧らしくもなく饒舌に述べ立てていたのが、不意に思案する顔をしてみせ、首を
「時と場所が、いかにも
来たな。
為義は心中に構えを取る。思わず肩に力が入る。
「祭りの日に、寺の境内での不祥事は困ると仰るのですな」
和尚はこれに応じて、さも意味ありげに、呟くように言う。
「その事よ。灌仏会の最中に、よりによって本堂の目の前で殺生がなされたとあっては、我らとしても見て見ぬふりは出来まいて。しかもこの地は摂津の国。渡辺の荘にも近いでな」
そうであった。摂津国渡辺は、為義と祖を同じくする摂津源氏の治める地である。
この時の家督は頼政。為義より八歳若いながらも先年は蔵人に補任され、続いて従五位に叙されていた。院の第一の近臣・藤原家成とも交流を持ち、為義とは源氏の嫡流を競う間柄である。
為義は頼政が嫌いであった。いや、むしろ唾棄していたと言っていい。武勇の誉れは高けれど、一方で公卿にへつらい和歌など詠んで殿上人の歓心を買う、およそ己とは相容れぬ、処世に
(あの男に詫びたり釈明するなどまっぴらだ)
すぐに腹は決まった。和尚に向かって両手をつき、
「分かりました。我が身の威信にかけて、どの様にも償いましょう」
深々と頭を下げた。
すると、返ってきたのは意外にも、
「いやいや、それには及びませんぞ」
という軽い言葉である。為義は当惑した。
和尚は続けて、
「この一件は、そもそも起こらなかった事にしたい」
「というと?」
「既に境内は清め、殺生を目にした者たちの口は封じてある。後は斬られた男の家族縁者じゃが、なあに、非は男の側にある。相応の金子と物を与えて説き伏せれば、とりたてて泣き騒ぐこともなかろうて。どこか別の場所で賊にでも襲われたと称し、盛大な葬式でも挙げてやれば、それで終いよ。何せ、葬式は我ら坊主にはお手の物ですからな」
最後には高笑いであった。
呆れたものである。時と場所が不味かったと言い、摂津源氏までほのめかしておいて、そのあげくが一件を全て闇に葬ろうと言ってのける。つまりは恩を売りたいのだ。
頼政の庇護を受けながら陰で河内源氏にも
どっと疲れが押し寄せた。
(寺もこの節、なんと世知辛いものよ)
春の陽気のせいか、背中に一筋、生暖かい汗が伝った。
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