異聞・鎮西八郎為朝伝

Evelyn

上の巻

八郎誕生

第1話 異形の白拍子

 摂津国江口で大層な評判だという異形の白拍子については、少し前から京の都でも噂になっていた。

 天まで通るかの如き美しい声でうたい、この世のものとは思われぬたえなる舞で皆を魅了するという。

 都で言う美女や佳人とは少し違うであろう。

 なにしろたけは六尺にも及ぼうかという長身。

 おのこでも五尺二・三寸、女人にょにんに至っては更に小柄であったその頃では、遠目にも破格とわかる、一度でも臨めば決して忘れ得ぬ驚嘆すべき立ち姿であったとは、実際に見た者の口を揃えて言うところである。

 それでいて身体の線は細くたおやかで、長い手足を妖しくひらめかせて踊る様は、まるで天女だという。


 いや、天女などとはとんでもない、あれは鬼女に違いないとそしる者もあった。

 話に聞く涼やかな切れ長の目が見ようによっては恐ろし気で、高く整った鼻梁は宋人の言う西戎せいじゅうのようであるからか。

 赤味がかった髪をなびかせて歩む姿が、いにしえの説話に伝える鬼を思い起こさせるからか。

 様々な噂は後を絶つことがない。


 これに興味を抱いたのが、自身と郎党の相次ぐ乱暴・狼藉の責を問われ、つい二年前に検非違使の職を辞する羽目に陥った、河内源氏の棟梁・源為義であった。


「面白い。是非とも我がつまに迎えたいものじゃ」


 為義はこの時、よわい四十三。

 往時ではもう壮年の盛りを過ぎて、初老にも差し掛かろうかという、いかな荒武者とて否応なしに多少の分別の身に付くとしである。

 それが華やかな菓子を前にした一介の餓鬼の如く喜々として、今にでも江口のとまりに出立しそうな勢いなのだから、近習の者は驚き、


「とんでもございません。言うところによれば、かの白拍子は胡人の血を引く鬼女であるとか」


 といさめるが、無論この男は聞くはずもない。


「ますます重畳ちょうじょう。我が源氏の祖である頼光公こそ、丹波の国は大江山の酒呑鬼を退治したと伝わる強者ではないか。その血に繋がるわしが鬼女を娶ったとあらば、一層の奇談、誉れとならん。京童きょうわらべもこぞって驚き褒めそやそうというものじゃ」


 すぐさま唯一騎、勇躍して江口へと向かう。

 為義にはかねてから思うところがあった。


 武神とたたえられた我が祖父・義家公の築かれた源氏の栄華も昔のこと。

 父・義親が鎮西にて乱を起こし、果ては出雲にて平正盛の手によって討たれて後、河内源氏は内紛の相続いたこともあり、今は見る影も無い。

 ひるがえって平家は白河の君以来の院の恩寵に浴し、正盛の息子である忠盛は、まさかの殿上人の地位に昇り、ついには中務大輔に任じられるに至った。


 先年、永らく懸案であった西国の海賊の討伐があらためて朝議に上った際も、この為義といずれが適任か論じ合われ、忠盛を押す者のはなはだ多くして場は定まったという。

 なんたる不審きわまる議決であることか。

 あげく、首領と称する怪しげな禅師以下の数十名を京に連行し武名を高めたが、あれとて本当に海賊であったかどうか知れたものではない。

 哀れにも賊に仕立てられた無辜むこの民人ではないかと、西国に詳しい者も、京のさかしい衆も怪しんでおるわ。


 そも平家とは何者ぞ。

 遠く桓武の帝からのえにしとはいうものの、より近しく清和帝から連なる我ら源氏と比べれば、ただの末葉にも等しいやからではないか。

 その一葉が伊勢に勢力を張り、ここ数代は荘園の寄進やきらびやかな贈物で受領となり、官位を得ること盛んという。

 浅ましきこと限りなし。

 武士もののふの矜持をけがす、許すべからざる者共なり。


 くだんの白拍子が天女であれば天佑神助。

 鬼女なれば尚のこと、我が妾として古今無類の勇士を設け、源氏再興の一助となさん。


 などと手前勝手に思い巡らし、馬を走らせる。


 駿馬を駆ること二刻あまり。

 ようやく江口の泊に近付くと、この日のために着飾ったとおぼしき男女が三々五々、誰もかれも楽し気な顔で歩んで行く。


 ここでようやく為義にも思い当たった。


 そうか、今日は四月の八日、灌仏会かんぶつえであったな。

 確か、行基菩薩の創建になるという法相宗の寺院がこの辺りにあったと覚ゆる。

 坊主や後生の信心には甚だ遠き我が身なれど、かの白拍子を探すにも、どうせ江口の色街の長者にでも尋ねる他は当ても無し。

 されば、とりたてて急ぐにも及ばず。

 その前に釈迦如来の誕生された日などを祝い、我が身とうじの栄えを願ってみるのも悪くはなかろうて。


 気分屋の派手好みなのである。

 早速に馬首を、人々の向かうらしき先へ巡らす。


 寺は予想以上の賑わいであった。

 老若男女の雑踏と、人出を当て込んだ露店や大道芸。

 馬を預けて参道を歩けば、近隣の産物を売り込む声が左右から飛び交い、手妻師や曲芸師が芸の口上を述べる。

 鉢を叩いて拍子を取りながら朗々と読経して布施を集める僧体がいたかと思えば、その向かいには色鮮やかな衣装、異国の趣で人形を踊らせる傀儡師の前に黒山の人だかり。


 為義はそれらを横目で眺め、


 成程。ここ江口は淀川のほとり、古くから水運で栄えた土地。

 大層なものであるな。

 難波なにわの海にも近く、ならば渡辺津に着いた宋人が淀川を上って来る事もあろうて。

 ううむ、あれもこれも興をそそるが、まずはやはり、花に囲まれた釈迦如来の誕生仏に香料入りの水など注いで差し上げるとしようか。


 と、この男にはめずらしく、殊勝にも真っすぐに伽藍へと向かう。

 大門をくぐり境内に入ると、そこも人で溢れかえらんばかり。

 女人禁制の聖域のはずが、驚いたことに多くの若い女までがいる。

 今日ばかりは灌仏会という晴れの日である故か、それとも間近に江口の大歓楽街を控えるというさばけた土地柄のせいであろうか。

 本堂の前には長蛇の列。

 いささか鼻白んだが、自重して列に並ぶこと僅かの間、やはり早々に癇癪を起こして、


「邪魔だ邪魔だ」


 と大声でがなり立て、前に並ぶ人々を右に左に突き飛ばし、大股に歩を進めようとしたところに「ぽーん」と一つ、辺りに聞こえ渡るつづみの音が鳴った。

 二つ、三つ、四つ。

 音は最初はゆっくりと、しかし徐々にその間を縮め、ついには打ち手の「いよーっ」の声と共に早打ちに至る。

 それが興奮の頂きに達すると不意の静寂。

 絶妙の呼吸を置いて、今度は冴えた笛の

 それが続くかと思いきや、微かな抑揚の入るのを境に一転して低く、そこから鳥のさえずりのように音階を上げてゆく。

 為義もつい心惹かれ、音の発するらしき境内の一隅を振り返る。


 まさにその時、いつの間にか巡らした幔幕をもたげ、白水干に黒い高烏帽子、赤袴、腰には生成りの鞘巻きにこしらえた長刀を吊った女人が、舞台代わりの玉砂利の地面に歩み出た。


 これこそが、噂の白拍子に違いない。

 為義は一分の疑いもなく心にそう断じた。

 いや、断じる他はなかった。

 すっくと立った細身の姿は確かに常人を遥かに超え、長く垂らした髪は暗い赤味を帯びてあでやかだ。

 ほんの束の間、不覚にも見惚れていたのが「はっ」と我に返り、脱兎の如く駆け寄って、人混みをかき分け間近に見れば、これはまた魂を奪われる美しさ。

 歳の頃は十七、八だろうか。

 小ぶりの顔は幼さを残す頬の線が顎先で僅かに尖って整い、瞳は翡翠のような緑、高い鼻梁の下には紅色の薄い唇。

 噂通り胡人の血を引くらしき面立ちだが、肌の色はあくまで白く、高貴の姫にもまさるみやびさえ感じさせる。


 謡うは勿論のこと今様いまよう


  大品般若は春の水 罪障氷の解けぬれば

  万法空寂の波立ちて 真如の岸にぞ寄せかくる


 その声は常の白拍子のように細く高くはなく、むしろ落ち着いたものだが、全く濁らず、僅かにかすれ気味なところに却って聴く者の胸を震わす響きがあった。


 舞がまた絶品。

 その長い両手が肩を軸に大きく軽やかに上へ下へ、右へ左へ、ひらひらと宙をただよう様は、さながら蝶のあやかしだ。


 閉じた扇を捧げ持つところから始めて、半分だけ開いて顔を隠してみたり、全て開いて前に後ろに泳がせながら仕草に表情を付けつつ、笛と鼓の拍子に合わせて緩やかに歩を進め舞台を巡る。

 その一歩一歩が伸びやかなこと。

 舞台の中央に戻るや、片足のほとんど爪先を軸に立ち、もう一方の脚を伸ばして次第に姿勢を低くする。

 そのまま背を見せて旋回し切った後、今度は両膝を揃えて僅かに跳躍。

 おもてを上げて前を向き、両手を高くかざしてせり上がる。

 ついには総身を真っ直ぐに天を睨む、その姿は神々に仇なす鬼女か、それとも浄土にまします仏に向けて、衆生のために救いを願う堕ちた天女か。


 まさかこれ程の女性にょしょうとは。

 為義が殆ど恍惚としかけた時、その目を覚まさせる甲高い悲鳴が上がった。

 見ると、短刀を握った男が一人。

 青ざめた顔で、ぶるぶると震えながら白拍子に歩み寄り、今にも突きかからんばかり。


(いかん!)


 心がそう感じた時には、為義の身体はもう、放たれた矢のように駆け出していた。

 己が危機を察したか、男の顔がこちらに向いた刹那、飛鳥のように数間を跳ぶ。


 そして無言のまま、袈裟懸けに太刀を斬り下ろした。


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