プロローグ ④

永久に効用が持続する薬なんてこの世にはない。

当たり前のことだ。だから人間は何度も何度も同じ薬を飲む。その病気が根本から治るその時まで。

でも、抗生物質などは与え続けると細菌やウイルスが免疫を獲得してより強くなる恐れがあるらしい。


     ◯


誰かがつけっぱなしにしたラジオが砂嵐混じりに世界の動向を教えてくれる。

我が国の全権大使は英、米の呼びかけに応じてインドのカルカッタに赴き、英、米、仏、蘭、独、伊、の全権大使と会談、列強によって中央アジアを分割して統治し、

資源、主に暗青石と“蒸気“を公平に分配する条約に調印する。という旨の話だった。


僕は嘆息した。

一体この条約に行き着くまでに、どれだけの血が流されたのだろう。

こんな結果になるならば、わざわざ戦争なんてする必要はなかったのではないか。


いけない。意味とか意義とかを考え出すのは危険な兆候だ。元来、戦争に意味なんてないのだから、考えたって仕方がない。そんなものを見出そうとするから息苦しくなるのだ。

僕がなんとなくで兵士になって、なんとなくで人を殺したように、戦争もまたなんとなくで始まる。その“なんとなく“に意味づけを施すのは高級将校や政治家であって僕の役目ではない。

僕はいつも通り過去に逃げようとする。お気に入りは半狂乱になりながら銃剣の先で僕の仲間の死体をいつまでも刺し続ける敵の若者を、僕と僕の横にいた奴が同時に撃ち抜いたシーンだ。あの時ほど、僕は自分の“居場所“を強烈に感じたことはなかった。

その場面を頭の中でリピート再生しながら、先の不安から目を逸らして眠りにつこうとする。


あれ。

うまく再生ができない。今まで何度となく思い出してきた記憶のはずなのに。

いや、思い出せないわけではない。思い出せないわけではないが、あの時に感じていた「安心感」をほとんど感じなくなっている。つまり、思い出にうまく浸れなくなっているのだ。

確かに感じたはずの感情が、また、現実感のない、ガラスを一枚隔てたもののようになっていく。

「思い出」も、レコードのように何度も繰り返して思い返すとすり減っていってしまうものなのだろうか?

仕方がないので、別の記憶を脳内で再生しながら眠りについた。

その記憶は、敵の放った砲弾が僕の真横3mで爆発して全身に火傷を負った時のものだった。


     ◯


時間が経過するにつれて、思い出せる、というか浸れる思い出は少なくなっていった。

現実が一つ一つ、「思い出」とファイリングされたフィルムに保存されていって、ただの、記録映像になっていく。

それに対応して、恐怖や不安、孤独などに胸を支配されて、苦しくなる時間が増えていった。


そして、現実感を失った過去を無理に思い起こそうとすれば、そこにはただただ空虚が広がっていて、それを直視したくないがために、そこにないものを求めてしまうのだ。

そう、意味だとか意義だとか。

ダメだとわかっていながらも、考えてしまう。

「僕のやってきたことは無意義ではなかっただろうか?」「僕は赦されるのだろうか? 誰から?」「僕は空っぽではないのか?」

ダメでとわかっているのに、思い起こしてしまう。

背中かがパックリとわれて臓物を僕らに対して晒していた母親、その母を抱きながら僕らに向かって何事か喚いていた娘、飛行甕に乗っていじましくも僕らと戦おうとして死んだ炭鉱の人々、脳漿を撒き散らした上官、小腸を引き摺りながら戦い続ける仲間、綺麗に首が取れた敵の兵士の死体、エトセトラエトセトラ、、、、


喉の奥から酸いものが駆け上ってくる。

その度に僕は甲板を駆けていって、母なる海へ吐瀉物を引っ掛ける。

吐瀉物が泡と一体になって、海水の中へ消えていくのを眺めながら考える。

なぜ、僕は吐いているのだろう?

なぜ、死んでいった人たちのことを思い返すと、心が苦しくなるのだろう?

「罪悪感」という単語が頭の中をよぎる。

そうではないと思う。今まで多くの人間を殺してきて、「悲しいな」と感じたことは何回もあるけれど、「ごめんなさい」と思ったことは一度もないからだ。

だってそれが兵士の仕事であってみんなから求められていることで、みんなやっていることなのだから。

いや、本当にそうか?

「僕は罪悪感を感じていない」と、どうして断言できるだろう。

わからない。

自分が今抱えている感情がどういう種類のものなのかさえ、わからない。

それがひどく、苦しい。


もう一度駆け上ってくるものがあって、僕はそれを海へと押し付ける。

泡と一緒になって消えていく。

吐瀉物は流されていって、いつか大陸へと流れ着くだろう。

本国へ帰る僕の代わりとして、広大な大地と共にあり続けるのだろう。

それがちょっと、羨ましく感じられた。

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螺旋と処世 谷沢 力 @chikra001

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