プロローグ ③

甲板の上には、傷つき、疲れ、やつれ果てた男がひしめき合っている。その姿は、寒さから身を守ろうとして縮こまっている生者のようにも、身を炎に焼かれて筋肉が収縮したせいで仕方なくその体勢に落ち着いている死者のようにも見える。


あの日、多くの一般人を虐殺した後、敵の飛行戦艦によって撃沈されたあの日から1年が経った。その間、僕は戦場に立って、今度は敵の兵士を、たくさん殺した。

というのも僕がそのように願ったからだ。


僕は不幸にも生き延びてしまった。負った傷害といえば、右耳が聞こえなくなった事と体にひどく惨たらしい火傷の痕が残ってしまった事くらいだ。

つまり、僕はまだ五体満足だった。

あの飛行船に乗っていて、無傷であったものなどいない。けれど、生き残ったものは案外いる。浮遊感に五感を全て支配されたあの時、僕はてっきりみんな死ぬものだと思っていたけれど、落下エネルギーだけでは全ての人間を殺し切ることはできなかったらしい。飛行船は浮力をヘリウム、動力を“超球“の蒸気力に頼っているので墜落時に引火の規模が小さかったのもその理由の一つのようだ。


そういうわけで、僕は肉体的には生き残った。でも、やはり僕はあの時死んだのではないかと、そう思う。

僕は、変わった。変わってしまった。変わらざるを得なかった。

あの時僕は「兵士」の一部になることを体験してしまったからだ。

「みんな」であること、一様なアンカンタブルの一部であることの心地よさを、知ってしまったから。

後戻りすることはできない。一度自転車に乗ることのできるようになった人は、もう二度と、「自転車に乗ることができない人」には戻れないのだ。

その事実は僕に「死」を与えた。

より具体的にいうならば「個人」としての僕は死んで、新たに「兵士」が一人生まれた。

そして僕は、前線に志願した。

それは一種の代償行為であったのだろう。

今まで感じてきた孤独感、死に対する漠然とした恐怖。それらが僕の心に作った穴を、深い深い大穴を、埋めるように、人を殺した。

今までよりもたくさんの血__それは敵の血でも味方の血でもあった。__を見ることになったけれど、全く気にならなかった。

死の恐怖をアドレナリンと麻薬に頼って頭の隅へと追い払い、死線をくぐる。

敵を殺せば殺すほど、味方が殺されれば殺されるほど、僕はより良い「兵士」となって孤独と不安を払拭できた。

もちろん、そんなことだから、何度も死にかけた。何度銃弾に引き裂かれたか知れず、僕の体はイギリス人作家の書いたゴシック小説に登場する化物のようにツギハギだらけだ。

けれど、不思議と、死ぬことはなかった。


      ◯


終戦の、その知らせを聞いたのは、未明のことだった。

士官服を着て立派に髭を生やした男が、2〜3人を随伴させて衛生壕までやって来て、戦争が終わること、僕達のような学徒兵は本国に帰されることを告げて去っていった。

その時、僕はベッドの一角に縛り付けられていて__というのも足を縦断で撃ち抜かれたからだが__窓から見える夜明けの空をなんとなく見ていた。

空は、鮮やかな藤の色をしていた。



僕は今、本国へと帰る船の上にいる。

もちろん、船と言っても飛行船ではなく、普通の、海を渡る船だ。

船は最も“超球“の恩恵を授かった工業製品の一つと言ってもいいかも知れない。

従来の蒸気船が石炭を燃やして水を沸かし、沸騰した水から飛び出した水蒸気のエネルギーでスクリューを動かしていたのに対し、“超球“を用いた蒸気船は直にエネルギーを取り出せる。これによって一隻を動かすのに必要となる船員は今までよりも30%ほど少なくなり、機関室が船内を占める割合は半分程度になった。

さらには、“超球“を用いた新しいエンジンの機構は石炭ベースのエンジンに比べてとてつもなくシンプルであり、船の建造は驚くほど簡単になった

そのために海上輸送にかかるコストは安くなり、安い輸送コストが資本主義と帝国主義を世界各地に届けて回った。

今や世界は航路によって一つとなり、海上輸送は世界中の一部地域に産業の繁栄をもたらしたのだ。

そんな、なんでもないようなどうでもいいことを考えてみる。

考えたところで、なんの意味も意義も大義もないというのに。でも、そんなことでも考えないとやってられない。


僕は不安だった。

何もわからないのだ。本当に、何も。

当たり前のように持っているはずだった感情、情動の機微も、わかっていたはずだった僕の「個人」としての個性、ひいては旧友や家族に手紙を出す、そのやり方さえも、何もわからない。

思い出そうとしても、頭の中の靄が思い出の完全な再起の邪魔をする。

細かいディティールがわからないのだ。

小さいころに観た、大して面白くもない映画のワンシーンのように。

むしろ今の僕には歩兵銃に弾薬を詰め、激鉄をおろし、引き金を引く。そうやって人の命を奪う方が遥かに、リアルにイメージすることができる。

いつの間にか僕の中で、戦争と日常の現実感が全く逆さまにひっくり返ってしまったようだ。

これは報いなのだろうか。

あの日、落ちていく飛行船の中で、人間性を手放した事への。

たくさん人を殺して、たくさんの人に殺されかけて、その中で孤独と不安を消し去ろうとしたこと、自分の心を守るために多くの血を欲した事への。


      ◯


戦争に最適化された現在の僕は、平和に適応できなくなってしまっていた。

またしても僕は、社会から、詰まるところ「みんな」からはみだしてしまうという恐怖、孤独感に苛まれることになる。

今度は何で埋めれば良いのだろう?

戦場のように、命の奪い合いで埋めることはできない。

聖書なら、こういう場合「愛」と答えてくれるだろう。

あるいは倶舎論ならば「空」とでも答えるだろうか。

けれど残念なことに、どちらも僕にはピンとこなかった。


だから、僕は過去を振り返ることにした。

もう一度、思い返してみることにしたのだ。あの、死線を掻い潜った時の安心感を生きてていいって思えるような自己肯定を。

それははっきり言って現実逃避でしかない。

でも、それでも、何にも縋らずに漠然と不安の暗闇に飲み込まれるよりは幾分かマシなはずだ。

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