コリウスの憂鬱


 きりぎりすは、私を抱く時、必ず眼鏡を外している。みさきちゃんと重ねているんだろうな、ということは言われなくてもわかっていた。その様子を、私の恋人は間近で見ている。

 恋人は、ああしろこうしろと私たちに指示し、私たちは恋人が望むままに演技をした。

 私も目を瞑って、恋人に抱かれているのだと錯覚する。私たちは共犯だった。

 けれど、いくら私に生殖機能がないからって、こんな乱暴にされるのはいいことじゃない。私は恋人をきっと睨みつける。恋人は、いつか見た太陽の塔のお日様みたいな不気味な顔で次の指示を下す。

 きりぎりすの細い指が首のほうに伸びてきて、全てが壊れ、私は意識を失った。



 私の恋人は、ものすごくずるくて最低なクズ野郎だと、誰もが口を揃えて言うだろう。なんで、別れないのって。私も、そう思うよ。でも、一度心から好きになったものって、そう簡単に嫌いになれないんだよね。だって、みんなもカレー、好きでしょ。美味しかったら、また食べたいって、思うでしょ。それとおんなじことじゃないかな。

 現に今も絶賛デート中だというのに、おしゃれなカフェで自分の分しかパフェを頼んでいない。私が物欲しそうに眺めていると、


「なに、欲しいの?」


と意地悪な笑みを浮かべた。

 これはいつものことだから、私は黙って頷いて、彼が私の口まで苺を運んでくれるのをじっと待つ。けれど、彼は不敵な笑みを浮かべるばかりで、一口も私によこさなかった。そういう私だけが知っている顔があるのがいいんですよ、とむしろ快感を覚える私は俗に言うマゾヒストなんだろうか。

 前髪が長くて目にかかっている。男の子は2ヶ月に一回は美容院に行かないといけないらしいけれど、恋人は4、5ヶ月に一回しか行っていない。目元が隠れているせいで側からはわからないけれど、実は切長の奥二重で、テレビに出てくる人気の俳優さんに似ている。きっと、大学デビューして髪を染めたり、パーマをかけたりしたらものすごくモテるはずだ。今は高校生だから、それなりのことしかできないけれど。

 いや、恋人は素材がいいのに、おしゃれには無頓着というか、地味なのだ。ブレザーだって、他の男の子はセーターを着たりおしゃれを楽しんでいるのに、恋人といったらシャツはくしゃくしゃ、髪の毛はたまに寝癖がついたままだ。私は毎日黒い髪をとかして、前髪も目の上5ミリをキープ、今日みたいなデートの日は、綺麗に髪を纏めているというのに。私が何度指摘しても、「俺なんかがどうこうしたところで変わらないって」と交わされてしまう。変わりたいならまずは見た目からでしょ、と思うけれど、何度言っても変わらないから、私の言葉は恋人に届いていないも同然だ。私の言葉は恋人のそれと違って、何の効力もない。

 こんなことを言ったら、クズでも実は顔がいいから付き合ってるんだね、とか言われそうだ。顔がいいから、何でも許せちゃうんだねって。実際、りかちゃんには何度も言われたし、「私は彼を性格で選んだよ。やっぱどれだけ顔が良くてもさ、中身があれだと、ねぇ」なんて嫌味を30分も聞かされた。

 別に顔で選んだわけじゃないし、選ばれたのが私だっただけだけれど、世に言う性格が1番!なんてのはおとぎ話で、それはほんの一部なんじゃないかと思う。結局のところ、人は顔が9割だ。私が恋人に選ばれ続けて、今年で二年目になるのも、私の顔が1番良かったからに違いない。スタイルが良くて、Dカップの、清楚で可憐な女の子。私は恋人の理想のお姫様で、私にとって恋人は永遠の王子様だ。

 だって、私の恋人は、私のことを世界一可愛いと言ってくれる。たまに、ぎゅっと抱きしめてくれる夜がある。私はそれだけで十分幸せだった。たとえこの先ずっと彼の手に本当の意味で触れられないとしても、私はそれでもよかったのだ。

 彼は駅から高校に向かう約10分間、毎日私のことを考えている。例えば、私たちが出会った時のこと。

 私たちは、彼の父の実家の大分県に帰った時に、同じく母の帰省でおじいちゃんの家に来ていた私と出会った。それから、年に一回、夏の暑い日に公園で遊ぶようになった。私は父の転勤で色んな県を転々としていたのだけど、ようやく落ち着いて止まることになったこの場所で、彼と再会し、今に至る。恋人ができない彼の恋人役に、私は立候補した。

 それから、恋人ごっこを重ねるうちにうぶな彼が私のことを好きになってしまって、の恋人になったこと。彼が部屋で私を押し倒したとき、偶然、襖を開けたおばあちゃんに見られて気まずかったこととか。色々あったけれど、そのいろんなことを思い出す時間が、日に日に減っている気がする。私がL◯NEを送ったら、前は1分も経たずに返事をくれたのに、最近は3〜4日は既読がつかないし、未読無視ばっかり。りかちゃんには、それって付き合ってるって言わないんじゃない?大事にされてないんだよ、とものすごく心配されている。

 余計なお世話だ。私には私の愛の形がある。私はね、私が生まれた時からずっと決めていることがあるんだ。

 それは、恋人に好きな人ができるまでのお飾りでいること。恋人が、本当に好きな人と出会うまでは、ずっと一緒にいてあげること。

 これは、恋人のことしか考えられない、頭の悪い私にできる最低限で最高のプレゼントなんだ。

 どんな逆境であっても結ばれなくてはならない、なんて欲張りはしちゃだめ。希望は持ち始めたところから絶望に変わる。私が彼のお嫁さんになれないことは、この世で1番私が知っているのだから。


 















 







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