異世界転生なんてあるわけがない

@samayouyoroi

園田氏の考察と疑問

私はネクタイを締めて階下に降り、食卓に座り京子と朝の挨拶を交わした。私がそうであるように、彼女の挨拶も機械的だった。もう何年もこういう関係が続いている。私達の仲は冷え切っていた。それはいくつかの理由で修復は難しいものだった。


「翔太は?」

私は彼女にそう声をかけた。


「まだじゃない?」

彼女は興味なさそうにそう言った。


私はその声音に鈍い苛立ちを感じた。私は彼女が浮気をしているのを知っている。何がセカンドパートナーだ。何と言おうとそれは浮気ではないか。かつての京子を知る私は怒りより苛立ちを感じていた。しかし私は京子とは離婚はできなかった。


そう考えた矢先にぬらりとした様子で男が現れた。相変わらずの四角い顔を見て私は何とも言えない気分になった。ひどい寝癖で見れたものではない。


「寝癖くらい直せ」

私はそう言った。


しかし彼は私の言葉に面倒そうな顔をしただけだった。私と彼はそれ以上の会話を交わそうとはせず、お互いを無視してお互いにそれぞれのスマホを見始めた。私の目に入ったのはまた異世界転生の広告だ。意識しなくてもこの単語は目に入る。


この異世界転生というのは、突然の事故死の代償として超常的な力を得た状態で異世界に転生して英雄になるというのが大筋だ。呆れてものも言えない。


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世の中には宝くじに当たる人間も居るように「事故死の代償として超常的な力を得て別世界に転生しそこで英雄となる」という人間も居るのかも知れない。しかし私には疑問がある。異世界だろうと何だろうと、単身または少人数で世界を救う勇者に選ばれる確率はどれ程なのか?と。


私にはそれは、例えばマイケル・ジョーダンやビル・ゲイツの娘に転生できる可能性より低いように思えた。創作の世界と言ってしまえばそれまでだが、私にはどうしてもそのプロットが受け付けないのだ。あまりにもご都合主義的過ぎる。


私は他人から「上流階級」「選民」などと呼ばれていた事もある。それに対する不快感も含めて、どうしてもそういうプロットが許せなかった。


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ここで少し私の事を語ろう。


私の家は元々は藩主で明治維新で華族となったが、第二次世界大戦の敗北後に全ての特権を奪われた後に広告会社を立ち上げた。その後は世間にその名を知られる大企業となったが、私自身は直系ではなく、その経営に携わる事はなかった。


そして私は血筋と関係なく某大手都市銀行に就職し、そこでも縁故採用だのプリンスだのという陰口にもめげずに努力を重ね、33歳の時についに年収2000万円の大台を超えるまでになった。そして財産分与で世田谷の土地付き一軒家といくつかの土地を受け継ぎ、単なるサラリーマンながら6億円から7億円という資産を持つに至った。


これを聞けば先述のやっかみも当然とも思えるかも知れないが、よく考えて欲しい。私の資産は一般的な労働者の視点では大したものかも知れないが、それでもそれは例えばビル・ゲイツの娘が受け継ぐ資産の何千分の一にも相当しないのだ。


しかしその「異世界転生した英雄」は、例えばビル・ゲイツの娘として生まれるよりもさらに希少な確率である筈だ。創作とはいえ安易過ぎる。


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今になってようやくそれを認める事ができるが、私はそれほど頭が良くはない。もちろん学力は高かった。塾にも予備校にも行ったし家庭教師もつけてもらったからだ。しかし努力して進学すればする程、私は「本当の頭の良さ」に打ちのめされた。


初めて聞く言語を30分ほど聞いただけで簡単な会話を話せる男も居た。酩酊して立ち上がれない状態のまま27人分の頭割りを瞬時に答える者も居た。私はそういう「本当に頭のいい者」に打ちのめされながらも努力を続けるしかなかった。


私は自分の経験において、それまで何の努力もせず、人生設計も考えた事もないような人間が、ただ事故死というペナルティを負っただけで、超常的な能力を得て異世界などという都合のいい世界に転生し、そこで英雄となるプロットが絶対に許せない。それは輪廻転生でも貴種流離譚でもなく、ただの怠惰な妄想にしか思えないのだ。


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ぴろりん♪


スマホから軽妙な音がしてゆなりんからの着信を知らせた。またどうでもいい彼氏の自慢話だ。私がまだ若い頃──というのはおかしいが、昔はこういう事は親の白目を無視しての電話での長話と決まっていたものだが。まあ本質的には変わっていない。


「そろそろ8時よ」

京子がそう言った。


「もうそんな時間か」

そう言って彼はスマホを置いた。


彼は日々支店長として激務に追われているので、自分の妻が浮気している事など全く知らない。もし知っても果たしてどういう反応を示す事やら。


冬のボーナス支給日に心筋梗塞で倒れ、気が付いた時は京子のお腹にいた筈の珠緒となっていた私は、異世界転生など決して信じないし許せない。私は変わらず頭は良くないし、せっかくの財産も全てこの寝癖男──園田健司のものになったのだから。


だが私は時々考える事がある。私は園田珠緒であると同時に健司でもある筈なのだ。この目の前に居る園田健司という男は一体誰なのだろう?


(完)

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