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今日は高知県で最後の札所へと向かう。修行の道場にもいよいよ終点が見えてきた。
今朝は久しぶりにのんびりと過ごし、妻の生家から平田駅までは義父に車で送ってもらった。
「延光寺まで送っていこうか?」
義父が気を利かせてくれているのは理解しているが、自分の足で歩くことに意味があるのでと丁重に断りを入れた。今まさに車で走っている道を今度は徒歩で、しかも十倍ほどの時間をかけて戻ってくるのだから、そんな無駄なことをしないで札所へ直行したらどうかという義父の提案は至極まっとうなものである。しかし逆に言えば、その非合理性のなかにこそ歩き遍路の真髄があるのだと言えなくもない。
平田駅から延光寺まではせいぜい四十分ほどの道のりである。宿毛市の中心部へと延びる国道五十六号線を外れ、なだらかな坂道を山の方へ登っていく。三十九番札所延光寺の境内は成木に取り囲まれているにもかかわらず、山門を正面から見ると、どことなく町中の住宅地にあるお寺のような雰囲気が漂っていた。山門が道路に面しており、その両脇に石塀が並ぶという外観のためかもしれない。
山門をくぐり抜けると、金剛福寺と同じように大きな亀の石像に迎えられた。延光寺の赤亀は背中に梵鐘を背負い、外見がずいぶんユーモラスである。境内にはイブキの古木を始め、たくさんの立木が生えていた。
『四国遍路の寺』は五來重による四国霊場についての有名な講義録だが、不思議なことに延光寺は本の中でまったく触れられていない。四国遍路を海洋宗教の一形態として論じる五來重から見れば、梵鐘を背負った赤亀は大いに興味を引かれる対象だったはずである。にもかかわらず『四国遍路の寺』が延光寺にページを割いていないのは、ひょっとすると五來重がここを訪れたことがないからなのかもしれない。いや、さすがにそれはあり得ないだろうか。そんな延光寺の境内は庭木の手入れが行き届いていて、私は全体的に整然とした札所だという印象を受けた。
周りを見渡すと、歩き遍路ではなさそうだが、本堂をお参りするお遍路さんの姿もあった。今日、私はほとんどまだ歩いておらず、気力も体力も十分だったのだが、境内を吹き抜ける小風が気持ち良く、私は長めの休憩を取った。
延光寺まで登ってきた小路とは別の竹やぶを通り、今度は宿毛市街地の方へと歩き始めた。私は歩いている内に、今日は次の観自在寺へ向かうのをやめておこうかと思い始めていた。休暇の残り日数を考えれば今回のお遍路の最終日は明日にせざるを得ず、そうであれば今回のお遍路でお参りできる最後の札所は観自在寺となる。
そうかと言って、今から観自在寺へ向かっても納経所はすでに閉まっているだろう。私は遅い出発を悔やんだが、よく考えてみれば急ぐ理由など特にないのだった。よし、今日は休もう。そう決めた矢先、私の決断に応えるかのようにヘンロ小屋が現れた。この偶然が何だか面白く、私はしばらくここで休ませてもらうことにした。
翌日。松尾峠の登り口に、地元の小中学生による手作りの立て札が設置されていた。
「がんばってください! 宿毛の魚はおいしいですよ!」
郷土教育の一環として、四国遍路について学ぶ時間があるのかもしれない。ここから標高三百メートルの松尾峠を一気に登っていくのだが、修行の道場の締めくくりとしていかにも相応しい。
かつて、松尾峠は交通の要衝で、土佐と伊予を行き来する人たちで賑わった。しかし、昭和四年に宿毛トンネルが開通すると人足は途絶えてしまう。新しい道ができると人の流れが変わるのはいつの時代も同じである。
交通の便が良くなれば、その地を訪れる旅行者が増えると考える人は多いだろう。だからこそ、高速道路や新幹線の延伸を目指して奔走する人たちがいるのだ。でも、利便性の向上に伴って移動時間が短縮されると、出発地と目的地の間にある町の多くはただ通過されてしまう。アクセスが良くなったせいで立ち寄る旅行者が減ってしまうのだ。松尾峠に残る茶屋跡が、その事実を明白に物語っている。点と点を結ぶ線上をゆっくりと味わいながら歩いてゆく歩き遍路は、時代を逆向きにたどる存在なのかもしれない。
高知県と愛媛県の県境、峠の頂からは宿毛湾が一望できた。この湾で新鮮な海産物がたくさん揚がるのだろう。私は微風を浴びながら木陰のベンチで宿毛湾を眺めつつ、しばしの休憩を取った。
長かった修行の道場が終わり、ここから菩提の道場が始まる。すっきりとした心持で歩き始めた矢先、松尾大師に捨てられていた一本のペットボトルが目に留まった。
どうしてここに捨てていってしまうのだろう。私はしばらくの間、そのペットボトルから目が離せなかった。空のペットボトルが邪魔なのは事実だが、正直に言って、そんなに大した荷物なのだろうか。それに、しばらく先まで行けばきっとリサイクルボックスがあるだろう。私は嫌な気持ちになりかけたが、自分が持っていけばよいだけだと思い直し、空のペットボトルを拾い上げた。
私は峠道を下り続けた。今日も日差しは強いはずだが、木立が直射日光を遮ってくれている。麓と比べて標高がある峠は風もあって気持ちが良い。そう言えば、今日は足が痛まない。昨日の半日休みが確かに効いているようだった。本当に辛い時は歩くのを一日休めばよかったことに、私は今になって思い至った。軽快な足取りで遍路道を進んでゆくと、やがて愛南町のはずれへ出た。しばらくは左右に人家が並ぶ細い路地を歩いてゆく。幹線道路と違い、ここは車がほとんど通らないようだった。
遍路道沿いにある休憩所は水道が整っていて重宝した。汗でびっしょりになったTシャツを絞り、簡単に水洗いした。程よく水気を含んだTシャツは肌に触れると涼感があり、歩くのにうってつけだ。しかし、この気温ではものの三十分もしない内にすっかり乾いてしまうだろう。
休憩所のベンチに腰掛けながら、今日は歩くのが快適だと改めて思った。今来た道を振り返りながら地図で確認してみると、遍路道は南側を走る国道五十六号線とおおむね並行でありながら、所々山道をショートカットして歩いてきていた。これが歩きやすい道だったのは確かだが、私の情緒に影響を及ぼしたのは道路事情ではないだろうと思う。足の痛みが消え、だから足元に集中する必要もなく、今日は顔を上げて景色を見ながら歩けている。こうしてみると、延光寺から観自在寺への道で、私はようやく歩き遍路を堪能しているのだった。
たまにすれ違う車のナンバープレートが高知から愛媛に変わり、私は自分が愛媛県に入ったことを実感した。そして、ナンバープレートだけでなく、高知と愛媛には大きな違いがあるようだった。それは、遍路道を示すステッカーの数である。
遍路道は決して単純な一本道を行くのではなく、途中には分かれ道がいくらでもある。そんな時、分岐の先に進行方向を示す矢印や歩き遍路のステッカーが見えれば、そちらが正しい遍路道と分かる。ところが、高知県内はこのステッカーが少ない。それが、愛媛県に入ったとたん、あちこちで目に付き始めた。少なくとも私の印象ではそうである。
初夏にはホタルが舞うという僧都川に沿い、あぜ道を歩いてゆくと、宿場町の雰囲気を残す路地の一角に四十番札所観自在寺は佇んでいた。山門からまっすぐに伸びた通路の先に本堂があり、そのすぐ右隣に大師堂が並んでいた。
高知県内の札所では何度か亀に出迎えてもらったが、愛媛最初の札所で私を迎えたのは三匹の蛙だった。大蛙が二匹の小蛙を背中に背負っている。親子孫と三(さ)かえ、お金や福がかえり、病気は引きかえるそうだ。
観自在寺は「四国霊場の裏関所」と呼ばれるが、ここは一番札所霊山寺から最も遠くに位置する札所なのだ。ずいぶん遠くまで歩いてきたものだと、さすがに感慨深い。お遍路を区切るにはちょうどよい札所だが、私は気力体力がみなぎっていて、今日はもう少し歩きたい気分だった。この夏の巡礼でここまでポジティブな気持ちになったのは初めてだ。
ポケットから地図を取り出して開くと、十キロほど先の柏までは国道五十六号線が遍路道となっている。とりあえず柏まで歩いてみよう。実際に歩いてみると遍路道は何の変哲もない国道だったが、別に不満はなかった。途中、進行方向を同じくするバスが何本か私を追い抜いていった。
道路が大きくカーブを描いた先に柏バス停留所が見えた。ここなら、次回のお遍路を再開するためにバスを利用することができる。私はその利便性を買い、ここを終点に選ぶことに決めた。そう言えば、春のお遍路もバス停で区切ったのを思い出し、これも何かの縁なのだろうと感じた。
バス停の向かいにコンビニがあったが、もう飲み物を気にする必要もない。そう考えると、夏のお遍路をどうにか無事に終えたという実感が湧き上がってきた。停留所のベンチに腰掛けて四十分ほどすると、宿毛駅へ向かうバスがこちらに近づいてくるのが見えた。
(「町境のトンネルを抜けると、そこは雪国だった~四国巡礼日記 third season~」へ続く)
地獄、あるいは灼熱のお遍路(四国巡礼日記 second season) 土橋俊寛 @toshi_torimakashi
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