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二晩お世話になった宿の女将さんに別れを告げ、私は一昨日歩いてきた道を逆向きに北上し始めた。金剛福寺から市野瀬のバス停までは「打ち戻り」で、少しばかり逆打ちの気分を味わえる。


逆打ちとは、四国霊場を八十八番から一番へと通常とは逆に反時計回りにお参りするお遍路の歩き方である。一番から札所を昇順に参る「順打ち」と比べ、逆打ちはご利益三倍などという話も聞く。いずれ普通の巡礼に飽き足らなくなった玄人が挑戦するのだろうが、私が春に出会ったリピーターのお遍路さんは誰一人として逆打ちには関心がないようだった。曰く、「だって、逆打ちなんて、歩くのを楽しめない」ということらしい。


遍路道を示すステッカーの定番の掲示場所といえば電柱だが、これは順打ちのお遍路さんに対面する向きに貼られている。そのため、逆打ちの歩き遍路にはステッカーが見えず、自分が正しい遍路道を(逆向きに)歩いているかどうかを知るには、いちいち後ろを振り返って標識の有無を確かめなくてはならない。リピーターの方たちが口をそろえて言うには、そんなことまでして歩きたくないのだそうだ。


二日前に歩いたばかりの道はさすがに迷いようもない。私は逆打ちの気分を楽しみながら歩いていると、ゆるやかな登り坂の途中で広い駐車スペースを備えた市野瀬のバス停が見えてきた。休憩スペースと一緒にトイレも設置されているので、ここで少しだけ休憩していくことにした。色んな飲料メーカーの自動販売機が十台近くも並んでいるのだが、ここで休憩する人がそれだけ多いということなのだろう。


バス停先の三叉路を左手に折れ、真念庵を経由して三原村へと抜ける。これは多くの歩き遍路が選ぶコースの一つである。


真念庵を過ぎ、一時間半ほど歩いて三原村に入った。道沿いに構えた無人販売の良心市がのどかな雰囲気を醸している。売り物は自分たちで育てた果物や野菜で、スイカやリュウキュウなどが並ぶ。リュウキュウとはハスイモの葉柄部分のことで、高知県では酢の物などにして、昔からよく食べられてきたそうだ。そして、どうやらメインは「ほくほくのほっこり姫」という名前が微笑ましいカボチャのようだ。ひとつ二百円の値札が付いていた。


三原村では県道をほぼ道なりに進み、迷いようのない遍路道だった。ただ一か所、成川峠を除けば。


成川峠の登り坂は途中で分岐しており、右手が正しい遍路道で、左手は峠道をひたすら登っていっても結局は行き止まりである。なぜ私がそれを知っているのかと言えば、もちろん道を間違えたからだ。息を切らせながら峠を登り切った挙句、この道がどこにも通じてないと分かった時は怒りが込み上げてきた。思わず、ふざけるなと叫んだ。静かな山中に私の怒声が響き渡った。


地面に転がったゴツゴツとした石や木の枝には苔がびっしりと生し、道はかなり滑りやすかった。そんな自然路を苦労して登り、今度は滑りやすい下り坂をそろそろと進んだ一時間ほどが丸ごと無駄になった。


もちろん私にも落ち度はある。足が痛むせいで足元の状態に集中し、どうしても俯きがちになっていた。分岐地点まで戻ってから周囲をぐるりと見渡せば、遍路道の道標が遠くに小さく確認できた。でも、これは正解が分かった後だからこそ言えることで、遍路道には草がびっしりと生い茂り、そもそも初めはここで道が分かれているという認識すらなかったのだ。


ようやく本来の遍路道に復帰して峠を越えると、深いため息が出た。しかし、ため息を吐いたからといって時間が取り戻せるわけでもない、ともあれ、歩き続けるしかない。


遍路道は再びアスファルトに変わった。太陽の日差しを遮るものが何もなくなり、体力の消耗が激しくなってきた。ヘンロ小屋か、あるいはせめてベンチだけでもあればと思ったが、物事はそう都合よくはいかないものだ。


小川に沿って歩いていると、木立が作る小さな日陰が見付かった。ありがたい。私はリュックサックを降ろすと道路の縁に腰掛け、川の方へ足を投げ出した。


しばらく休んでいると、後ろから声を掛けられた。振り向くと、金剛福寺で言葉を交わした歩き遍路さんがいた。私たちにはすでに仲間意識が芽生えていて、また会えたことが嬉しくなる。春とは違い、水ぶくれに大いに悩まされていた私は、彼も同じかどうかを尋ねてみた。


「足はどうですか? 僕は二日目には水ぶくれが潰れてしまったんです」


「私も同じです。二日目でした」


聞いてみると、私と同じく春先にお遍路を区切り、夏に再開したのだという。


「春の時は終盤まで水ぶくれなんか出来なかったんですけどね」


これも私と同じだ。夏は足にダメージを受けやすいのだろうか。


彼は三原村の遍路宿に泊まるそうだ。たぶん、ここからなら二時間ほどで着いてしまう距離だろう。まだ陽は十分に高いが、「夏は短く歩いて早く宿に入ります」とのこと。理にかなっていると思う。このあたり、私は貧乏性で、どうしても少し無理をして長く歩いてしまう。今日中に次の延光寺を打つのは無理だが、その近くまでは行きたいと考えてしまうのだ。


「それじゃあまた」と口にすると彼は歩きだした。


私は瀬音を楽しみながら、もう少しだけここで休んでいくことにした。白衣のポケットに突っ込んでいた地図を取り出し、さて、どこまで歩こうかと考えた。梅の木公園や中筋川ダムは一つの候補だが、結局、私が選んだのは平田駅だ。平田駅から延光寺までは二キロほどの距離なので、翌日のお遍路を始めるには悪くない場所である。


中筋川に架かる黒川大橋からは眼下に梅ノ木公園を見ることができるのだが、高い場所が苦手な私には恐怖心を感じさせる眺めでもあった。橋を渡ると道が二手に分かれており、宿毛市へ向かうには直進して黒川トンネルを抜けるのが最短だが、私は道を左手に折れて中筋川ダムを見ていくことにした。正確に言うと、ダムそのものではなく、ダムを間近に眺められるという屋根付きの休憩所に魅力を感じたのだ。


休憩所は、中央柱が八角形の天井を支えており、巨大なキノコのように見える。トイレと自動販売機も設置されており、私はここでも飲料水を一本買い、あっという間に飲み干した。休憩所からはダム堤体の下流側が見えるが、水位までは分からない。休憩して元気が出てきたので、私はダム湖の水位を確かめようと上流側に回ってみた。


中筋川ダムの上流にあるダム湖の水位はかなり低下しているが、この猛暑で雨もほとんど降らないとなれば、まあ当然なのだろう。私には、水位の低さが酷暑の中を歩いて覚える疲労感と重なるように感じられた。


太陽がようやく手を緩め始めた頃、土佐くろしお鉄道の平田駅にたどり着いた。地図を読み違えていて、予想よりも早く着いたのは嬉しい誤算だった。地図を確かめると平田駅の周辺にも遍路宿があるようだったが、今夜は妻の生家に泊めてもらえることになっていた。妻は宿毛市の出身なのだ。宿毛駅まではここから二駅である。


エレベーターでホームに登り、東西に延びる線路を眺めながら、このくらい平らな道はさぞ歩きやすいだろうなと、無意味な考えが頭に浮かんだ。程なくしてホームに入ってきた一両編成のワンマン列車に乗り込むと、明日歩くはずの道が車窓から見えた。

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