後半

 化け物はマイディアの腕を食べてからしばらくすると、突如動きを止めました。そして、もぞりと表面の皮膚がうねると同時に急速に縮んでいき、あっという間に普通のタコとさほど変わらないサイズになりました。

 後に残されたのは、しっちゃかめっちゃかになった家具と、血しぶきが飛び散った壁や床と、右腕のほとんどをなくしたマイディアだけです。そのマイディアは、残った左腕でひょいとタコを持ち上げ、きらきらと輝く目で眺め回します。

(やった〜〜〜!上手くいった!これで歴史の遺物と化した生物兵器を手に入れた!!!これは貴重な研究対象になるぞ………!嬉しい…!魔力…肉体連動値…うん、まずは定期的な魔力のバイタル検査と………って、そうじゃない!)

 そこでようやくマイディアは、この生物兵器を生成した本来の目的、そして、ミルフィーユのことを思い出しました。

 振り向くと、ミルフィーユは放心状態で座り込んでいます。てとてとと近寄り声をかけるマイディア。

「ミルフィーユちゃん」

 ビクッと肩を震わせるミルフィーユ。ようやく我に返り、細かく震える指でマイディアの失くなった右腕を指します。

「マ、マイディアさん…うで…腕が」

「ん?ああ、これね」

 マイディアがそう呟いた途端、ぐちゃり、という音と共に、千切れた腕の断面から再び腕が生え始めます。

「え………?」

 そこからはあっという間。ものの数秒もしないうちに右腕は元通りになってしまいました。もしも神が人間を作った過程を早回しで見せられたなら………それはそんな光景でした。

「こういうの平気なんだ。私たちにとって肉体は付属品だから」

 人間と魔法使いは別の種族。その最大の違いこそがこれでした。

 人間は物理的な肉体から成る種族に対して、魔法使いは精神的な魂から成る種族。人間はいかに頑強な精神を持っていても、肉体が生命活動を停止すれば死んでしまいます。その精神、魂は脳の電気信号や化学物質のやり取りによって支えられ、肉体の死とともに消滅します。しかし魔法使いは違いました。

 魔法使いは魂から成る種族。そもそも、肉体を持たずに存在する魔法使いも多くいます。そのままでは他の種族からは目にも見えず触れられないため、他の種族と交流するために肉体を生成し、媒介とする必要があるのです。

 さながら、糸で人形を操るように。

 それは彼らにとってはあくまで媒介のため、いくら傷付いても気にもならなければ苦痛も感じません。再生も容易く、痛みも感じません。痛みとは、肉体に危険が迫っていることを知らせるシグナル。肉体の生命活動=死である生物のためのもの。ただの媒介にそんな機能を持たせる必要はないのですから。

 しかし、普段一般人は魔法使いと関わることがない今、ほとんどの人間は魔法使いに関わるそんな知識は持っていませんでした。

 ミルフィーユもまた、そうでした。

「………………」

 未だ青白い顔に冷や汗がつたうミルフィーユの沈黙をどう受け取ったのか、マイディアは部屋の中に転がっていたナイフを拾い上げてくると、「ほら」と言って

 首に真っ直ぐ、深く切れ込みを入れて見せました。

 シュッ!というような、噴水から少しの水が噴き出すような音とともに、一瞬、血が勢いよく出てきて、ミルフィーユの顔まで飛び散ったかと思うと、止まり、さらに次の瞬間には、大量の血が流れ出て見る見るうちに服をつたっていきます。元々腕を失った時の血で汚れていた服はさらに染まり、裾からぽたり、と血痕を床に落とします。

 しかし、マイディアが首を一撫ですると、その出血もすぐに治ります。

 ふと、ミルフィーユに血が飛び散っていることに気付いたマイディアが、「ああ、ごめんね、汚しちゃったね」と慌てて服をさぐりますが、ハンカチやタオルの類いは身につけていません。服も血でびしょぬれです。

 ふと思いついたように、たった今しがたまた血まみれになった右手を切り落とそうとします。しかし、力が足りずなかなか切り落とせません。しばらく格闘していたかと思うと、諦めたように指を順番に切り落としていきます。ごりっ、ごり。床に落ちた指はしばらくぴくぴくと痙攣しましたがすぐに動きを止めます。

 もちろん、すぐにまた元の白く細い指に再生します。そのきれいな指で血を拭おうと、ミルフィーユの頬に手を伸ばします。触れても嫌がられないかな、などとドキドキしながら。

 しかし

「………………っ」

 ミルフィーユはびくりと肩を震わせるとその手をさっと避けてしまいます。

「ミルフィーユ…ちゃん……?」

「………私、部屋の片付けしますから。マイディアさんは疲れたでしょうし、ゆっくりしていてください」

「う、うん………」

 マイディアには、その言葉にただ頷くことしかできませんでした。

 

 マイディアの姿が見えなくなった後、ミルフィーユはいくつものごみ袋と掃除道具を持って、先ほどまでタコの化け物がいた部屋に入りました。まずは散らばった物を脇にどけ、床や壁に飛び散った血しぶきを拭き取りにかかります。こんな状況は異様なはずなのに、なぜでしょう、思ったより動揺せずに済んでいます。いえ、先ほどは動揺していたはずなのに、今になってみると、不思議といつも通りの意識を保っているのです。こういう状況に置かれたとき、人はもっと取り乱すものかと思っていたのに。今はなんだかふわふわするような、どこか浮かれたような、そんな気分の他には何もないのです。淡々と作業をこなしていきます。

 ふと、あるとき

 ぐにゃ

 足元でそんな気配がして

 足の下を覗き込むと

 何かのかたまりが転がっていて

 でも多分それは人の体のひとかけらで

「………………っ!!」

 近くの袋に、胃の中のものをほとんど吐き出してしまったミルフィーユ。出すものがなくなった後もしばらくうずくまったままでした。

 

(あああ、どうしようどうしよう。もう絶対嫌われた。なんでかわかんないけど絶対嫌われた。あの感じはだめなやつだ。あれはもうだめなやつだ)

 一方こちらは別の部屋で待機中のマイディア。机に突っ伏し、心の中はネガティブな考えでいっぱいです。

 マイディアにはどうしてこうなったのか分かりません。作戦は失敗せず、それどころか大成功しました。操作魔法。名前を刻むと見せかけて自分の腕を食べさせて眷属にする。ミルフィーユの話を聞いて、痛みによって刺激された化け物が自分を食い殺そうとすることを想定した作戦。マイディアの思い描いていた通りになりました。

 それなのに。

「………………」

 ミルフィーユがどうしてあんな反応をしたのか、それが彼女にはわからないのです。どうしてなのか、本当に。

「またこうなっちゃうのかな………」マイディアはぽつりと呟きます。

 マイディアの元には今までも何人かの人間が訪れ、仕えた過去があります。そして、皆最後には逃げるように去っていきました。

 魔法使いと人間は別の種族。違う価値観。それに加え、元来魂だけの存在である魔法使い。その魂を今は肉の器に押し込んで操作しているため、マイディアはいまいち不器用で、今回のような魔法、現実に干渉する魔法も失敗が多かったのです。

 そもそも、魔法使いが本来得意とする魔法は、操作魔法のような精神に干渉する魔法なのですから。

「どうして………………ミルフィーユちゃんなら、そうならないかと思ったのに」

 しかし、ミルフィーユは今までで最も長くこの家で働いてくれていたのです。だからこそ、マイディアの期待も、そして今の不安もいっそう大きく膨れ上がるのです。

(もしミルフィーユちゃんにも見捨てられたら………どうすればいいの…やっぱり人間と仲良くなるなんて無理なのかな…。魔法や学問の研究にひたすら打ち込むのが魔法使いの本来のあるべき姿なのかな……。………でも………寂しい。寂しいよ…そんなんじゃ言い足りないぐらい………)

 マイディアの心にどろどろした思いが渦巻きます。

(このままじゃ私………死んじゃうかもしれない)

 これは人間と違って、それぐらい悲しい、という比喩表現ではありません。

 魔法使いにとっては魂の死こそが死。心の苦痛に苛まれ、絶望し、生きるのを完全に諦めてしまったときにその魂はこの世から消滅するのです。心が死んでも生き続ける人間とは違うのです。

(ああ………あの頃と一緒だこのままじゃ………)

 人間たちを雇って働いてもらうようになるまで。それまでのマイディアにとって魔法の研究は楽しく、興味深く、魅力的でした。しかし。

 次第にそれだけでは埋まらない思いに支配されるようになっていったのです。

 孤独感。虚無感。今の時代まで生き延びれなかった魔法使いの最も多い死因。魂の存在である魔法使いを殺す毒。

 死なないよう、生きることを諦めてしまわないよう、必死に耐えた日々。長い長い、永遠とも思えるような………。

 それは辛く、永く、それでいながら虚無としか言いようのない日々でした。

(ミルフィーユちゃん………。いなくなって欲しくない………)

 マイディアの目線の先には先ほどのナイフ。

 もうすっかり血は乾き、何とも言いようのない色のシミが残っているのみです。

 (また見捨てられたら、もう生きられないかもしれない。このまま死ぬしかないのかもしれないなら それぐらいなら)

 手を伸ばし、ナイフを掴みました。そして立ち上がり、歩き始めます。ミルフィーユの元へ。

 

 もう無理だ。

 もう、辞めよう。

 掃除と片付けを何とかこなすミルフィーユの頭にはそんな考えがずっとぐるぐるしています。

 『魔法使いってだけあって、やっぱ、ちょっと変わってるみたいだけど………もしかしたらミルフィーユさんならうまくやれるかも』ミルフィーユの頭にこの仕事を紹介してくれた知り合いの言葉が響きました。

 学生時代、卒業を控え就職先に悩んでいた時に紹介してもらい、興味本位もあって働き始めたのです。

「………………」

 でも甘かった。そう思わざるを得ませんでした。異種族とは言え、人間と変わらない見た目で変わらない言葉を喋っているのだから。だから通じ合えるだろうと、そう思っていたのです。

 多少…いや、かなり人見知りなのか、話してる時もほとんど目を合わせてくれなくても、ちょっと挙動不審でも、魔法の失敗が多く、やたらと部屋数が増えて迷宮のようになってしまった家の中を探索する羽目にさせられたり、本が鳥のように家中を飛び回る中家事をする羽目になったりしても………。

 それでも、仕事の相手としては何とか、何とかやっていけるだろうと思っていたのです。

 それも今日、完全に破綻してしまいました。よく頑張った方だ。そう自分に言い聞かせます。よく頑張った、と。

 次にマイディアに会ったら、仕事を辞めると伝えよう、と。

 その時。

 カサ、と冊子のようなものが散らばったものの中から出てきました。

(………………ん?)

 ふと目に留まったのは、その冊子の表紙に自分の名前が書かれていたからです。

 『ミルフィーユちゃんへの贈り物』

「これって………………」

 表紙をめくると、マイディアの手書きの絵とメモが書き込まれたページが続いています。ほとんどは書物や文献からの書き写しのようですが、時折マイディアのコメントも書き記されています。ふと、その中に紫色に塗りつぶされているためひときわ目を引く絵がありました。上手いとは言い難い絵でしたが、そのシンプルながらも特徴的な形から、すぐにタコだとわかります。どうやら先ほどのタコの化け物のようです。その下に、こんなメモがありました。

 『太古、人間達と敵対していた頃に対人間用として開発された。そのため魔法使いには珍しく主に物理的な攻撃を得意としており、その鋭い牙で標的を噛み砕ける。だが、後年、人間にとって豊富な栄養成分を兼ね備えた生物であることがわかった。人間と魔法使いが和解し共生関係を保つようになってからは、主に人間の食糧として重宝され、魔法使いからの授かり物として崇められた。………ミルフィーユちゃんにプレゼントするにも適しているのかも』

「………………」

 そう、あのタコの化け物は、元はミルフィーユにプレゼントするためのものだったのです。しかし制御に失敗し、巨大なタコに押しつぶされる羽目になってしまったのでしょう。そして、ミルフィーユに迷惑をかけることになってしまった以上、それを言い出せなかった。

 ミルフィーユはぎゅっ、と思わずページの端を握りしめました。

(どうして………)

(どうして………あの人はここまで私に良くしようとしてくれるんだろう)

 わかっていたのです。マイディアが決して悪人ではないことも。迷惑ばかりかけられているけれど、悪い人じゃない。それに、こんな自分に好意を寄せてくれているであろうことも。

(今日だって………)

 自分の名前について聞いてくれたときの彼女の顔を思い出します。人見知りなりに、頑張って聞いてくれていたであろう彼女の顔を。

 ミルフィーユ。その名前は確かに自分で名付け直した名前でした。小さい頃お店で見かけた、職人の手による精巧な芸術品のような美しい菓子の数々。甘いお菓子が好きな彼女はそれに魅せられて、子供だからと許されるままにショーウィンドウを眺めに行っていました。

 18歳を迎え名前を変えるかどうかの選択を強いられた時、親と折り合いの悪かった彼女は新しい名前、自分で考えた名前を名乗り始めることにすぐ決めました。その時、子供時代のことを思い出したのです。あの時のお菓子の中から響きの良いものを。そう考えてつけたのです。

 しかし、そんな名前の由来を聞いてくれたのはマイディアが初めてでした。学校で話すような相手はいましたが、その外で一緒に遊ぶような友達は今までほとんどできたことがなかったのです。よく周りの人たちから「あなたってクールな方だし完璧って感じで近寄りがたい」などと言われます。そのことを少し気にしてもいました。

 でも、どうすればいいかわからなかったのです。そして、親からも………。

 『何よ、あなたは本当に可愛げがないわね。弟を見習いなさいよ』

 ぎゅっと、今度は片腕で自分を包み込むようにして服を握りしめました。

(そう見えるのは、意図してそうしているわけじゃない。あえて言うなら生まれ持った自分の性質だ。それなのに)

 しかし、自分も今まさにそれゆえに自分に好意を持ってくれている相手を避けようとしている。

(でも…やっぱり………)

 先ほどの光景を思い出し、腕が噛みちぎられる音を思い出し、血の匂いを思い出し、再び胃の奥から何かがせり上がってきそうで思わずこらえました。

 それに、今までかけられてきた数々の迷惑も。そもそもこの贈り物も、なぜタコの化け物やなんかを選んだのでしょうか。その他のものもマイディアの独断に基づいたもののようで、ミルフィーユからすると特に欲しくもないものばかりです。

(………やっぱりダメだ。私にはこれ以上あの人とは付き合いきれない………。ごめんなさい)

 手にしていた冊子をそっと机の上に置き、片付けの続きを始めました。冊子には背を向けたまま。

 

 掃除や片付けを終え、部屋を出るミルフィーユ。掃除道具を片付けた後、マイディアの元へ行こうと廊下を歩き始めると、「あ」とか細い声。ちょうどマイディアがやってきた所だったようです。が。

 マイディアの姿を見た途端、思わず「う」と小さくうめいてしまいました。マイディアはしばらくの猶予があったにも関わらず、血がべっとりついた服のままだったのです。

「ミルフィーユちゃん」

 手を後ろに回し、とてとてと走りよってくるマイディア。ミルフィーユは耐えきれず、ダイニングルームに戻るふりをして、くるりと踵を返しました。

 少し困惑しているような気配が後ろから伝わってきましたが、背を向けたまま話し始めます。

「………ちょうどよかったです。話したいことがあったので」

 すると

「………ミルフィーユちゃん、いなくなっちゃうの?」

 思わずぎくりとするミルフィーユ。なぜこういうときにどんぴしゃで当ててくるのでしょうか。

「…どうしてそう思ったんですか?」

「…今までずっとそうだった。私のとこへ来て、辞めちゃう人たちみんな。何かあって、でも言わないままどこかへいっちゃう。ほとんどみんなが最後にはそうやって、そっけなく、話があるって言って………」

 そう語るマイディアは後ろ手に持ったナイフをぎゅっと握ります。

 一方、ミルフィーユは何も言えません。思えば、お互いに腹を割ってこんな話をすることは今までなかったのです。

「それで…みんな…みんな最後にはいなくなっちゃうの。でもその理由がわからなくて。何が理由なのか。私…私ね…ずっと家族とか友達とかが欲しくて………。魔法使いは他者との関わりに興味がなかったり、むしろ拒絶してるような人も多くて………。人間なら仲良くしてくれる人もいるかもって思ってたんだけど………。でもやっぱりムリなのかな。こんなに違う者同士じゃムリなのかな………。私たちも、結局仲良くなれなかったんだね」

「………………」

 そう語るマイディアは、後ろ手に持ったナイフを強く強く握りしめます。

 そして

 

 

 

 

 

「マイディア」

 ミルフィーユはくるりと後ろを振り向くと、マイディアの顔を両手で優しく挟み込み、俯き加減だった彼女の顔を半ば強引に上げさせました。二人の目が合いました。

「ひょえっ!?はい!」

 マイディアはびっくりして、思わず手にしていたナイフを落としてしまいました。カランと小さな音を立てて床に転がったそれに、しかし二人とも目もくれません。

(………。ああ、この人…こんな怯えた顔をしていたのか…)

 眼鏡越しに真正面からとらえるマイディアの表情は、まるで迷子になった子どものようでした。

「…マイディア、やっぱり私はここを辞めます。あなたさえ良ければ、今日にでも」

「………………」

「もう私はここの使用人じゃありません」

 マイディアの表情がさらに歪みます。しかし

「だから…今度は友達になりましょう、マイディア。今日から私たちは主人と使用人ではなく、対等な友達同士です」

 その言葉に目をぱちくりさせるマイディア。戸惑い、今までのようにつっかえながらですら言葉が出てきません。その姿にミルフィーユは思わず微笑んでしまいます。

「え…え…と、とも、だち…?」

「そうですよ。家族や友達が欲しかったんでしょう?」

「………っあ、うん………」

「だから私とそうなりましょう」

 きょとんとしたマイディアの顔が少しずつほころんでいきます。まるで夜明けの空に陽の光が滲み出ていくようでした。嬉し泣きのような、微笑みつつも切ないような、そんな表情でした。

「マイディア、友達として忠告します。もうさっきみたいに、自分の身を危険に晒すようなこと、いたずらに傷付けるようなことはしないでください」

「…あ、で、でも私は別に大丈夫だよ?」

「…たとえあなたが平気でも、です。見ているこちらも辛いんです。いえ、肉体が傷付く様はむしろ人間の方が、見ていてより辛いぐらいです」

「そ、そうなの?」

「…自分がそうでなくとも、目の前で人が傷付くのを見れば、自分の心も傷付くことがあるんです、人間は」

「…そ、そうなんだ」

「ええ。………だから目の前の相手を大事にしたかったら、そして大事にされたかったら、まずは自分を大事にしてください。相手が人間なら、心だけじゃなく、身体も」

「………は、はいっ」

「………そして相手と自分との同じ部分、違う部分をもっと知るようにしましょう。それこそが人間の…コミュニケーションというものですから」

「コミュニケーション………。誰かと仲良くなるために…?」

「…ええ。最も、私も人のことは言えませんけど」

 少し苦笑いするミルフィーユ。マイディアの顔から手を離し、一歩引いた位置からマイディアを眺めます。その姿は、相変わらずべっとりと血まみれです。よく気をつけると鉄臭さもほのかにただよっているようです。

 しかし、今は先ほどまでよりそのことが気になりませんでした。ミルフィーユは不思議な気分でした。さっきまでは、あんなに生理的嫌悪を感じていた姿なのに。

(なんだかまるで………生まれ変わったような気分)

 マイディアはそんなミルフィーユを少し不安そうに見ていました。しかし、次の瞬間、ぽろりと一筋の涙をこぼします。

「ミルフィーユちゃん………。ごめんね」

 その言葉にミルフィーユは驚きます。

「一体どうしたんですか?何がごめんなんです?」そう言いながら、ポケットから取り出したハンカチでマイディアの涙をふき取ります。

「今までずっと…今も…」

「………?魔法の失敗が多いことなら大丈夫ですから。これからは特に」

「ううん…そうじゃなくて………。私たちは………やっぱり違う種族同士で…結局わかり合えないのに…私…私……自分のためにミルフィーユちゃんに都合のいいことを………言わせて…」

「…マイディアが言わせたんじゃありません。私の意思です」

「ううん………でも」

 その時、ミルフィーユがふわりとマイディアを抱き寄せました。「ひゃ………」なんて声を思わずあげてしまうマイディア。誰かに抱きしめられたのも、初めてのことだったのです。

「まったく、もう………仕方ないですね、あなたは」

「う、うう………」

「薄々気付いてましたけど、マイディア、相当気にする方なんですね?」

「………そ、そうかな」

「いいですか、マイディア。今言ったことは、確かにあなたのためでもありますが、確かに私自身の思いでもあります。………あなたのためと同時に、私のためでもあるんです」

「………………」

「…わかり合えなくてもいいですから。私たちはあまりにもお互いのことを知らなすぎましたね。これからはもっと、お互いのことを話し合いましょう」

「………っ、う、うん…」

「お互いの名前のこともね」

「………っ、ごめん…ごめんね…。でも…幸せ。幸せだ……私。幸せで…ごめん………」

「なぜ謝るんですか」少し苦笑いし、またマイディアの涙をふき取るミルフィーユ。

「名前の呼び方も、さっきみたいにミルちゃんと呼んでくれていいのですよ」

 少しいたずらっぽく笑ってそう言うと、マイディアから離れるミルフィーユ。マイディアはきょとんとしていましたが、次の瞬間、珍しく叫ぶような声で弁解します。

「え!そ、そそそんな馴れ馴れしい呼び方してないよ!?」

「してましたよ、さっき」

「いつ!?」

「タコに押しつぶされて助けを求めてた時です」

 じわじわと顔が赤くなっていき、「はぁーーー…」とその場にしゃがみ込んでしまうマイディア。

「そうだったっけ…?………驚きでつい…かな。ごめんね馴れ馴れしい呼び方して…」

「別に馴れ馴れしくていいじゃないですか。これからは友だちなんですから。私もマイディア、と呼びますから」

「うう………。恥ずかしい。まだ慣れない………」

 ミルフィーユはくすりと笑うと「これから慣れてください」と言って踵を返しました。

「さ、お茶にでもしましょう。マイディア、色んなことを話しましょう。あなたや私の名前の由来も」

そんな言葉に、マイディアは嬉しそうに微笑むと、やはりそのあと、少し切ないような顔でミルフィーユの首の後ろを見つめます。その襟は血で染まっていました。

「ごめんね………………」

 ミルフィーユには聞こえないぐらい小さい声で呟くと、立ち上がり、ミルフィーユの後を追います。

 

 

 二人が去った後には、床に転がったナイフだけが残されました。

 そのナイフからは、真新しい血がこぼれているのでした。

 

 おしまい

  

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森の魔女はメイド少女と仲良くなりたい 日暮 @higure_012

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