森の魔女はメイド少女と仲良くなりたい
日暮
前編
ーーー昔々、あるいは遠い未来、世界のどこか、とある山深い所にとある国がありました。優れた技術を持ち、資源も豊か。そのためかよく栄え、大勢の人が暮らしていました。
しかし、考えてみれば不思議な話です。ここはとある山深い所。そう、山の中。周囲は高い山々に囲まれており、山の幸以外にはそう豊富な資源があるようにも思えません。人々の行き来も難しそうです。ではなぜここまで栄えているのでしょうか?
「助けて〜!助けてミルちゃん!」
国の中でもとりわけ人口の多い街。の、外れにちょっとした林がありました。林といってもそれなりに広く、のっぽの木々は昼間でも少しの光しか通しません。森といっても良さそうな場所です。少し油断したらすぐ迷ってしまいそう。そのため昼間でも外から人がやってくることはほとんどありません。
そんなうら寂しい森の中。その奥まった場所、まるで隠れ忍ぶかのように一つの家がありました。少し大きめで、でも屋敷というには小さい。絵本の中にあってもおかしくないような、そんなおしゃれな家です。しかし、今日は………あるいは、今日『も』そんな素敵な家にはまるで似つかわしくない悲鳴が聞こえてきます。
「はいはいはい。どうしましたか?」
声の主がいる部屋に飛び込んできたのはこの家でメイドとして働くミルフィーユ。まだ若い、少女といってもいいような年齢の女性です。若いながらも、眼鏡がよく似合う、いかにも利発そうで美しい女性です。
そして声の主は、この家の主でもあり、ミルフィーユの主人でもあるマイディア。美しい黒髪が特徴的な女性………なのですが。
部屋にはそんなマイディアの姿は影も形もなく、代わりに、巨大な紫色のタコの怪物のようなものがうねうねと這っていました。
「………………え?」
利発そうであり、そして実際に利発でてきぱきと仕事をこなす優秀なミルフィーユも、これには固まってしまいます。すると、タコの怪物の脚の下からマイディアが顔を出しました。
「ミルちゃん!助けて!こいつの!脚が………」
どうやら怪物の脚にのしかかられてしまい、絡み合う複数の脚の間から出ることができないようです。ミルフィーユは素早く怪物の様子を伺いました。怪物はこちらに敵意や害意があるようには見えません。それどころかこちらのことを大して気にもかけておらず、マイディアが押しつぶされているのは偶然そうなっただけのようです。それを見てとるや、ミルフィーユはぱっとマイディアに駆け寄りました。怪物の脚を持ち上げ、マイディアの手を取り、なんとか彼女を引っ張り上げます。
「あ、ありがとう………」
弱々しく呟くマイディア。しかし、それどころではありません。今は特に何もしてこなさそうな怪物でも、いつ気が変わるともしれません。天井に頭がつきそうで、広がった八本の脚が部屋中を埋め尽くす。そんなタコの怪物に今襲いかかられてはひとたまりもありません。ミルフィーユはそのままマイディアの手を引きながら部屋から転び出ました。
「はあ、はぁ………」
ドアを勢いよく閉め、乱れた息を整える二人。ミルフィーユは青ざめていますが、マイディアの顔色は少し赤みがかっています。タコの怪物と遭遇した驚きや興奮によるものでもあるのでしょうが、それだけでもないようです。
(あ、うわ、手、繋いだ、初めてだ…。初めて手繋いじゃった〜!!………て、そんなこと考えてる場合じゃない!………でも柔らかかったな…手を繋ぐってあんな感じなのか………。…って、そんな場合じゃないんだって〜〜!!)
ぶんぶんと頭を振るマイディアを怪訝そうに見るミルフィーユ。しかし、タコの怪物のことで動揺しているとでも思ったのか、スルーすることにでもしたのか、そのことは触れません。
「あのタコの怪物、何なんですか!?」
「あうっ。ん、ん、えーとね」
「………」
「ま、魔法の実験、してて………」
そこまで聞いた所で、心の中でこっそりため息をつくミルフィーユ。
「…また失敗したんですか?」
「うっっ………はい、そうです…」
どうやらこれがここの日常茶飯事のよう。ミルフィーユの態度は明確にそれを物語っています。そして、当然のように出てきた魔法というワード。そう、それがこの家の日常であり、この国を支えてきた正体なのです。
これは、魔法が支配するとある国に過ごす、ある一人の魔法使いと、ある一人の人間の少女の物語です。
森の中のおしゃれな家。主にダイニングルームとして使われているのは木製の大ぶりなテーブルと柔らかいソファーが目立つ部屋です。そこでお茶を飲み一息つく女性二人。どこからどう見ても優雅な午後のティータイム………の、はずですが………。
室内はややピリピリした空気に包まれています。少なくとも、マイディアにはそう感じられます。
(う、うう…。どうしよう、またやっちゃった………。何やってんだろ私…。ミルフィーユちゃんも呆れてるよね…)
ちらりと正面に座るミルフィーユの様子をうかがうマイディア。その時、ミルフィーユが沈黙を破りました。
「それで、あのタコなんですけど………あれは…その、どういうタコなんですか?どう見ても普通のタコじゃないですよね?」
その瞬間、ちょうどミルフィーユも顔を上げ、二人の目が合うものの、それも一瞬。あわててマイディアが視線をそらしてしまったのです。テーブルに視線を落としたままか細い声でマイディアが答えます。
「あれは………昔、魔法使いたちが使ってた兵器、みたい」
「兵器………」
「そう。………人間と争ってた頃の」
魔法使い。それは、この国において、ただ魔法が使えるだけの『人間』のことではありません。『魔法使い』とはれっきとした一種族であり、魔法使いと人間は別の生き物なのです。生態も行動原理も、時に似ていても何もかも違う。
そして、過去においてはお互いに血で血を洗う生存戦争が繰り広げられたことも。今はもう、伝承でしか語り継がれない話でしたが。
先ほどのタコの化け物は、そんな時代の遺物だと言うのです。
はあ………と、ため息を一つつくミルフィーユ。
「どうしてそんなものを召喚しようと………」
「召喚じゃなくて生成だよ」
ちょっとイラッとするも、かろうじて押し留めるミルフィーユ。若さに見合わぬ忍耐強さ。メイドの鑑です。
一方のマイディアもマイディアで、ミルフィーユがイラッとしたことには何となく気付いたものの、何がそうさせたのかは分からず焦りが増すばかりです。
「えーと、どちらでもいいんですが、とにかくなんでそんなものを作ろうと思ったんですか?」
「あ、えーと………」
口ごもるマイディア。理由があるにはあるのですが、今となっては言いにくいのです。少なくとも、彼女にとっては。
「ちょっと実験してみたくて………。ごめん」
「…元々兵器として使われていたタコ?なんでしょう?危険じゃないですか。それを押してでもやる価値があったんですか」
「そう言われると自信はないけど………ただ」マイディアは、ここで初めて顔を上げ真っ直ぐにミルフィーユを見て言いました。
「どんな魔法でも、絶対に安全、なんてことはないんだ。むしろリスク、危険、そういうものと隣り合わせになる方が多い………。でもリスクや危険と、得られるメリットは表裏一体でもある。あのタコも確かに危険なものだけど、魔法が上手くいって使役できればそれだけメリットもある。だからこそ昔の魔法使いたちもあの魔法を編み出し、継承していった。どんな魔法も、危険だからって挑戦しない理由にはならないし、危険だから価値がないとは言い切れないよ。………まあ、私が落ちこぼれだから、なかなか上手くいかないし、ミルフィーユちゃんに迷惑ばかりかけちゃってる、けど………」
最後の方は我に返ったのか、やはりしどろもどろになりながら語るマイディア。
「………………」
マイディアには珍しく、強い意思を感じる言葉に思わず黙ってしまうミルフィーユ。
しかし、こんなトラブルを引き起こしたにも関わらずこの物言い。対策を立てることも出来なさそうです。そもそも最近のミルフィーユは対策を諦めています。主人が起こすトラブルへの対処も仕事の内と割り切ることにしているのです。
「…わかりました。じゃあ次はどうするかを考えましょう。あれがおとなしくしてくれている内に」
ミルフィーユの沈黙を不機嫌と受け取ったのか、内心あわあわとしていたマイディアですが、その言葉にぱっと顔を輝かせます。
「それなら大丈夫!もう考えてあるよ!」
「え。そうなんですか?どうすればいいんですか?」思わず身を乗り出すミルフィーユ。次の瞬間、マイディアの口から出た案は意外なものでした。
「名前をつけよう!」
思わずぽかーんとしてしまうミルフィーユ。その姿を見てまたもあわあわとしながらマイディアが説明します。
「あ、えっと。何かに名前をつける………っていうのは魔法的には馬鹿にできなくて、すごく重要視されてるんだ。それで、何かの種族を使役するときも、まず魔法の準備段階として相手に名前をつける…っていう作業が………」
しどろもどろになりながら一生懸命説明するマイディア。しかしミルフィーユにはピンと来るものがあったようで、「…そういえば、この国でも名前は大事なものとして扱われてますよね。もしかして魔法使いの文化が由来なんですか?」と相槌を打ちます。
マイディアはパッと顔を輝かせると「うん、きっとそうだと思うよ!」と答えます。ミルフィーユと魔法の話ができるのが嬉しくて仕方がない、といった様子です。
名前。ミルフィーユの言う通り、確かにこの国には名前を大事にする文化がありました。生まれたばかりの時は親が名前をつけるのですが、18歳を迎えると、自分で自分の名前をつけ直す慣習があるぐらいです。もちろん、親からもらった名前をそのまま名乗ることもできますが、しかし、自分で考え直した名前を名乗り始める人も決して少なくありません。
「…そ、そういえば、ミルフィーユちゃんは、名前どうしたの?ミルフィーユって、自分でつけた名前?」思い切って聞いてみるマイディア。
「まあ、その話は後にしましょう。今はとにかくあの化け物をなんとかすること」容赦のないミルフィーユ。
「はい………。んーとね、だから、操作魔法に当たって名前をつけるのは大事………っていうか、それなりの魔力を持ってたり、状況によってはその行為自体が操作魔法として成立するんだ。魔法使いが相手の名前を決めるだけで眷属にできたりね。今回は相手が相手だからちょっと厳しいけど…でも、そうだね………名前を考えて、それを相手の体に物理的に刻む。うん、その方法でいけると思う」
「ちょっと待ってください」思わぬ展開に思わず口を出してしまうミルフィーユ。
「え、え!?今何て言いました!??」
「え!?えーと、えーと、操作魔法において…」
「そこはいいです!あの化け物に名前を刻むって言いました!?」
「うん」
何の気無しに肯定するマイディアにめまいがしそうな気さえするミルフィーユ。
「そんなの無理に決まってますよ………」
「どうして?」一方のマイディアは心底わからない、といった様子で、可愛らしく首を傾げます。
「………どうしてって…そんなことしてあの化け物を刺激したら、暴れ始めるかもしれないじゃないですか………」
「あ、そっか………。ミルフィーユちゃんを危ない目に合わせるわけにはいかないなあ……。うーーん」考えるような仕草をしたあと、ぱんと手を打つマイディア。次のアイディアが浮かんだようです。
「ならこれはどうかな?同じく操作魔法で、相手に自分の肉体の一部を食べさせる、というものがあるんだ。今の私ならこれもできる」
しかし、ミルフィーユは当然これにも眉をひそめます。
「いえ…それもちょっと…」
「………あ、大丈夫!肉体の一部って言っても、人間でも気にならないようなほんの一部分でいいんだよ!血の一滴とか、切った爪とか、髪の毛とか……」
「………………」
………ミルフィーユからすると、一部とはいえ、それらを食べさせるのもちょっと気持ち悪い感じがします。相手はタコの化け物ではありますが、それにしてもわざわざ食べさせるためだけにそれらを用意するのも遠慮したい所です。
「いえ……それも…やっぱりやめませんか?何か他には………例えば…その、魔法で攻撃して退治してしまうとか」
ミルフィーユの提案を受けて青ざめるマイディア。
「………それは!……ダメだよ………。せっかく蘇らせれた太古の兵器という貴重な研究材料だし…それに、私じゃ攻撃魔法は上手くいくかわからない………。何か暴走して大変なことになっちゃうかもしれないし………」
「それは…そうかもしれませんね。………困りましたね」
考え込んでしまうミルフィーユ。マイディアはその姿を見て、自分のせいだと内心また落ち込んでしまいます。
(何やってるんだろう…私…せっかく人間の女の子と仲良くなれるかと思ったのに………)
マイディアは今までずっと一人でした。ずっと一人で魔法の研究に明け暮れていたのです。しかし魔法使いにとってそれは珍しいことではありません。魔法使いは人間と違って食事や睡眠も必要なく、休息も最小限で済みます。人間のように集団で生活する必要も無く、それを特に望みもしない魔法使いも多くいます。人間と関わることがあるのもごく一部の魔法使いだけ。
だけど、そんな普通の魔法使いたちとマイディアは違っていました。
マイディアはずっと、人間に憧れていました。自分と違い、社会の中で他人と暮らす人間に。マイディアもまた、家族や友達が欲しかったのです。
マイディアは、ぎゅっ、と服の裾を握りしめます。
「…ミルフィーユちゃん、やっぱり最初の作戦で行こう」
「…名前を刻むことで自分の使役下に置く魔法ですか?でも………」
「大丈夫。いいアイディアを思いついたんだ。上手くいくかもしれない。ミルフィーユちゃんは部屋の外にいて。私が何とかするから」
「………でも…」
「大丈夫、私がやったことなんだから。私が何とかする。ミルフィーユちゃんに迷惑はこれ以上かけない。だから………」
嫌いにならないでほしい。
その先の言葉は、どうしても言えませんでした。自分にそんなことを言う権利はないような気がして。そんなマイディアを、ミルフィーユはただ不思議そうに見ていました。
「それじゃ、私はここにいますから………危なそうだったらすぐに逃げてくださいよ」
タコの化け物が潜む部屋の前、ドアを開け放せば部屋の中が見える位置にミルフィーユは控えることにしました。
「うん………ありがとう」
答えるマイディアの手にはナイフが握られています。これで化け物に名前を刻むつもりなのです。
「名前はどうしたんですか?」
「へ?ど、どうって?」
「タコにつける名前ですよ。………決めてあるんですよね?」
「あ、ああ………」
マイディアは少しがっかりしました。一瞬、お互いの名前についての話題の続きを持ち出してくれたのかと思ったのです。この状況だとそんなわけはないのですが。
「『家族』や『親友』って意味を持つ言葉にするよ」
「家族……親友………?」
「うまくいけば、研究対象としてだけじゃなく、眷属、ペットみたいなものになるから。ペットって家族や友達みたいな存在なんでしょ?」
「………………」
「それじゃ、行ってくる」
マイディアはドアを開け、部屋の中に踏み入ります。事前の話し合い通り、ドアは開け放したまま。ミルフィーユからも中の様子が見えるように、です。
改めて見るとますます気味が悪い化け物です。巨大で圧迫感があるし、けばけばしい紫色の表面はぬらぬらとてかり、鈍く光を反射しています。
しかし、マイディアは躊躇なく、手にしたナイフを化け物の脚の一つに突き刺します。
「!」
ミルフィーユは思わず息を呑みます。ナイフの先からは紫色の、おそらく化け物の血が溢れ出てきます。そして、次の瞬間
「 」
何とも形容しがたい鳴き声とともに、化け物は暴れ始めます。脚をバラバラに動かし、部屋中の家具も本棚も壁もおかまいなし。その一つに突き飛ばされ、マイディアも倒れ込みます。すると、タコの化け物の目がぎょろりとマイディアの方を向いたかと思うと、脚の一つを器用に動かしマイディアの足首に巻き付け、そのままマイディアを引っ張ります。
「! マイディアさん!」
タコの化け物が胴を少し浮かすと、その下には隠されて見えなかったけれどぽっかりと空いた黒い穴がありました。………どうやら化け物の口のようです。そしてその中には、鋭く光る牙が数本。
ミルフィーユは思わず駆け寄ろうとしてしまいましたが、マイディアはそれを手で制します。そして、意外にも、彼女らしくない、得意気な顔でにっと笑って見せました。
「よかった。思った通り」
そしてマイディアは、今まさに自分を飲み込もうとする化け物の口に対して
自分から右腕を差し出しました。
「 え」
形容しがたい音。
今まできいたことのない音。
それは
皮膚が破れる音。
肉が潰される音。
骨が砕かれる音。
血が噴き出す音。
人の腕が、食い千切られる音。
ミルフィーユが、それまで聞いたことのないものでした。
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