無限のクラゲ

鹿嶋 雲丹

第1話 無限のクラゲ

 私の旦那様は、夜勤のお仕事をしている。

 朝、会社から帰宅して、私の用意した食事を食べたら寝てしまう。

 旦那様が寝ている時は、けして寝室に入ってはならない。

 それは結婚前、旦那様と私とが交わした約束だった。

 でも、私だって、あまりかまわれないとさみしくて辛い。

 だから、こっそり覗いてしまったの。

 愛しの旦那様の寝室を。

 

 旦那様は、なにかを無心に食べていた。

 半透明な、人の形をしたクラゲのようなものを。

 私は、旦那様が食べているソレの正体を知りたくて、むしゃむしゃと食べ続ける旦那様をじっと見つめていた。

「ねぇ、君」

 やがてそれを食べ終えた旦那様が、ぼうっとしている私を振り返った。

「約束を、破ったね」

 その瞳は、いつもの旦那様のものだ。

「はい。破りました。すみません」

 私は素直に謝った。

「……それで君は、どう思った? 人の一部を食べている、私を見て」

「召し上がっていたアレは、人の一部なのですか? 私には、人の形をしたクラゲのように見えました」

「なるほど、ふむ。クラゲね」

 旦那様は感慨深げに手を顎にあてた。

「アレはクラゲではなく、人なのですか? でも、半透明の色をしていましたわ」

「一部。一部だよ、君」

「はい。一部なのですね、あなた」

 私は言い、自分の体を見てみた。

「私には、アレのような部分がありません」

「いや、あるにはあるが、今のままでは見えないんだよ」

 私は旦那様の説明に首を傾げた。

「アレは、人の欲だ。あっては害になる、欲」

「欲、ですか」

「そう。君とて、腹が減れば飯を食うし、私に会いたくて約束を破り部屋を覗いた。それも欲だ」

 なるほど、さすが旦那様だ。説明がとてもわかりやすい。

「私の欲は、あってはならないものですか?」

「うーん、それは今後の君次第だな。アレを食べている私を見て、気味が悪いと思わなかったかね?」

「いいえ、まったく。あなたが召し上がっていたものの正体がなにか、そればかりを考えていました。あなたの体に害のあるものでないのなら、一安心です」

 私は、ほぅと深く息を吐き出した。

「ふむ、君はなかなか懐が深いようだ」

「いいえ、旦那様。実は、旦那様が夜勤のお仕事に行かれている間、私も食べているのです」

 自らの体から生まれてしまう、どうしようもない欲を。

「そうしなければ、あなたが傍にいないさみしさから、私、発狂してしまいますもの」

「そうか……それはすまなかった。その欲、私が頂こう」

 愛しの旦那様が、ようやく笑ってくれた。

 旦那様の厚ぼったい、生ぬるい唇。

 ああ、愛おしい。ただひたすらに、愛おしい。

 私の唇から、クラゲのようなものが熱と共に、旦那様に吸い込まれていくような気がした。

 ソレは愛しい旦那様の身の内で、旦那様の宇宙の一部になるのだろう。

 そしてまた、クラゲは私から無限に生まれ続けるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無限のクラゲ 鹿嶋 雲丹 @uni888

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画