第8話 年賀状を書きながら

 一人部屋にこもり、妻をやり過ごし、今までかけてきた迷惑を思い返し自己嫌悪に陥り、そろそろ年賀状を書かないと、と思い、昨年までに来た年賀状を出し、この前印刷しておいた来年の年賀はがきを一枚一枚書いていく。

 今まで付き合いが続いているということは仲が良いということだが、どういうわけか、一人一人のことを思い出しながら書くと、その人と頻繁に会っていた時期の自分を思い出し、またしても自己嫌悪に陥ってしまう。

 運動神経が鈍いことにコンプレックスを抱えていた自分は、単にスポーツができないだけでは済まない様々な社会で生きて行く上での欠陥を持っていて、協調性運動障害の動画でも紹介されていた方向音痴や理解力不足などで、回りの人達に迷惑を掛けた。 

 普段は今の仕事や家庭や目の前のことに精一杯で忘れているが、子育てを通じて自分が息子の年頃だった頃を思い出しては落ち込み、年賀状を書き始めると、やりとりをしている人達と頻繁に会って関わっていた時期の自分がどんな人間で、どんなことをして、といった思い出が甦ってきて、それらの記憶のほとんど全てに失敗の記憶が重なっている。

 嫌な気持ちになって、筆が止まる。


 自分は軽度の協調性運動障害だったのだろう、今もそうだろう、ということが分かったが、何も変わらない。

 職場や友人に、自分は協調性運動障害だ、と公言しても、それで?となるだろう。可哀想と思ってもらいたいのか、と思われるだけだろう。

 かえって、できることもあるのに何もできない人扱いされたりして、マイナスになる気もする。いや、今の社会システムの中では、必然的にそうなるだろう。

 だからこれからも、変わらず、何も言わず、苦手なことは苦手なままで、あるいは、中年になって突然逆上がりができたように、克服することを期待して、日々を送って行く以外にはない。

 運動にしろ仕事にしろ、やればできる、ということはない、ということを多くの人が実感しているにも関わらず、やってできないのは努力不足なのだ、とする信仰のような精神が世の中全体に蔓延していて、それを一人の力で覆すのはほぼ不可能だが、世の中の空気は明らかに昔とは変わってきていて、運動ができない、ぐらいでは、僕の子供の頃のように物凄く馬鹿にされたり責められたりするようなことはなくなっているように思う。

 かと言って、僕が子供の頃に味わった屈辱感や無力感は心の中に消えず燻り続けている。

 発達障害の認知度は広がってきていて、この先、DCDへの認知度や理解も進んで行くのかも知れないが、そうだとしても一定の能力や器用さが必要とされる世の中は変わらないので、DCDを抱える人は引け目を感じ続けながら生きる以外ない。

 ただ、DCDという障害を知ったことで、今までの自分の失敗や生きにくさや他人に掛けた迷惑は、自分一人のせいではなかった、ということは分かり、少しは楽になったように思う。


 息子は中学に進学し、陸上部に入った。個人競技の方が好きなようだ。僕よりは上手くできるだろう。









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運動ができない。 松ヶ崎稲草 @sharm

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