雪の家



 ❆



 目を覚ますと、私は家の一人掛けソファに座っていた。


 氷壁ひょうへきに埋もれた家の中は、キッチンも、暖炉も静寂せいじゃくを保っている。今が昼なのか夜なのか、それすら分からない。

 

 勢いよく飛び起きる指令を身体に送ったが、言うことの聞かない身体はゆっくりと動く。


「増築しないと」


 寒がりのリーナが震えていた。

 それに、最後に見せてくれた幸せそうな笑顔を守りたい。


「まずは暖炉に火をたこう。それから食事だ」


 寒さと空腹で身体がうまく動かせない。


 換気口はまだ生きているのか?

 もし換気口が埋まっていたら、火を付ければ空気が薄くなり意識を失う。

 今、雪の家を守れるのは私しかいない。倒れるわけにはいかない。

 

 暖炉の中をのぞき換気口を確認するが、すすで汚れているのか外が暗いのか、とにかく暗くて分からない。

 夢の中でリーナが指した、雪に埋もれつつもかろうじて生きていた換気口を思い出す。

 大丈夫。きっと。


 暖炉に石炭と乾いたわらを入れ火種をつける。しばらくすると藁の火は炭にうつり、周囲はほのかに暖かくなっていく。


 火をキッチンにも移し、かまどを温め、妻直伝のスープに根菜をたっぷり足したものを手早く作る。

 わんを持ってソファに座り、温かいスープをすする。


 暖炉はすっかり暖まり、家中に張り巡らされたパイプを通して家中も暖かくなり始めた。

 燃焼で空気が薄くなる様子はない。よかった。


「リーナ。君が教えてくれたとおりだ」


 スープの芋を頬張りながら考える。


 何はともあれ、玄関を開けなければ話にならない。

 増築どころか、いずれは尽きる水や石炭も補充できない。

いや、そのまえに換気口を雪から守らねば命はない。死ぬのは惜しくないが、リーナの願いは叶えてやりたい。


 椀を片付け、まずは窓の外を確認する。

 完全に氷壁ひょうへきに囲まれている。


 さらに氷をよく確認する。

 純度が低く透き通っていない、白い氷だ。


 私は氷に触れ、その色や硬さなどから窓が雪に埋まってからどのくらい経ったかアタリをつける。

 雪は押し潰され氷に変わり、さらに年月を経て圧縮されると純度が高くなり、透明に透き通る。


「窓の下の方は一昨年の、上は去年に降り積もったものだろうな」


 私は子供の頃から家の回りに積もっていく雪を見て、万年氷まんねんごおりに触れて、育ってきた。これくらいは見当がつく。


 問題は、去年と今年の降雪量だ。

 息子と別れてからは沈思ちんしふけりぼんやりと過ごしていたため、窓からさらに上の玄関にかけて雪がどの程度降り積もったのか、分からない。


 玄関が開く確率は……


「五分五分だろう」


 考えがまとまり、階段を登り玄関に向かう。


 父が身体を悪くした時に作り、長年修理して使ってきた階段。ユーハが子供の頃にした落書きはそのままだ。

 扉に手をかけ押す。びくともしない。


「まあ、そうだよね」


 私は地下3階まで降り、乱雑な資材置き場から太めの木材を手にする。

 地上階に戻り、それをドアにあてる。勢いをつけて、どん、と突く。

 ……が、これもびくともしない。老人の力では足りないのか、雪で扉が埋まっているのか。


 夢で換気口の先以外は完全に雪に埋もれていた家を思い出す。

 いや。窓外の氷の色と圧縮具合から悪く見積もっても、そこまで埋まってはないはずだ。

 あれはリーナからの警告だったのだと思う。早くしないと雪に埋まるよ、と。


「諦めるわけにはいかない……。リーナに怒られる」


 木材の角度を変え、突く位置を扉の上方に変える。

 すると、違う感覚と音が返ってくる。向こう側に空間があるような感覚がする。


「よし」


 さらに木材で玄関扉を、どん、どん、と突く。

 扉を開けるのは叶わないだろうが、上の方だけでも壊せれば外に這い出れる。外に出られれば、雪を除けられる。


 ……どん、どん、どん。


 かなりの時間、玄関を突いた。息もあがる。

 扉外の雪が積もっていない空間は小さいようで、扉が壊れる兆候はまだない。


 とんとんとん!


 扉の上方から音がする。


「アルットゥ様! アルットゥ様!」


 聞き覚えのある、懐かしい声。


「アルットゥ様! いらっしゃいますか!?」


 じいやさんの声だ。


「私はここに!」

「玄関扉を掘り出します! 下がって少しお待ちください!」


 扉をへだてた反対側から雪をかく音がし始めた。




「坑道の郵便受けから半年以上も手紙が受け取られていないと知らせを受け、様子を伺いに参りました」

「そうでしたか……。ご面倒をおかけして、すみません」


 掘り起こしてもらった玄関扉からじいやさんを家に招いた。

 狭い家内で座れる場所は一人掛けソファしかなく、地下から椅子を運んできた。作り足したスープを二人ですすり、人心地つく。


「雪原の中から家が見つけられず……。まさか、ほぼ雪に埋もれていたとは思いませんでしたよ」

「息子が来なくなってから増築が億劫になってしまい……。しかし、それでよくうちが分かりましたね」

「古い記憶を頼りに彷徨っていたら、雪原に煙が上ったので。運良く吹雪も落ち着いた時だったので、見つけられました」


 リーナとの夢を見て暖炉に火を入れたおかげだ。


「先代夫妻やユーハ坊ちゃん、それにリーナ様にも、くれぐれもと頼まれてましたのに……。訪問が遅れ面目めんぼくございません」


 そうだったのか。

 長年、私はもう独りだと思っていたのに。皆、そんなことを言い残していたなんて。


「そうでした!」


 じいやさんが飲みかけのスープを置いて、鞄を探る。


「坊ちゃんと言えば……、ユーハ様からの手紙をお持ちしました」


 じいやさんは私に一通の手紙を両手で渡す。


「郵便が回収されていないと聞いて、これをお渡しするのが私めのもう一つの役目でございます」


 家業を立て直すために何年も前に新大陸へ渡った息子ユーハ。

 彼から手紙をもらうのは初めてだ。新大陸との定期便はないと聞いていたので、手紙は来ないものと思っていた。


 懐かしい、息子の字。

 私の記憶より少しだけ力強く達筆になった筆跡が、経た年月と、息子が辿ってきた道のりを伺わせる。


 新大陸に渡った後もすぐ事業はうまくいかず、苦労したこと。

 ここ数年でやっと事業が軌道に乗ったこと。

 苦労を共にした向こうの勤め人たちに新大陸の仕事は任せて、部下頼みにしていた都会の本社に戻ること。

 向こうで子供が2人生まれたこと。子供たちを都会の学校で学ばせたいこと。


 そして次の初夏には、昨年就航した定期船に乗って雪の家に帰郷すること。

 子供たちが雪の家の生活に興味津々で、万年氷地方の生活を体験させるために夏いっぱいは滞在したいこと。


 ……などが書かれていた。


『父さんから子供たちへ、雪の家の暮らしを教えて欲しい』


 嬉しい申し出の後にも、手紙は続く。


『万年氷他方で新しい事業を始めたいんだ。

 都会や新大陸の裕福層は新しい刺激を欲していて、万年氷地方の暮らしに興味を覚える人も多い。

 万年氷地方に家を建てて、管理して、そういう人を呼び込んで、雪の家の暮らしを体験してもらう事業を立ち上げたい。


 父さんは反対するかもしれないけど……。父さんが引退したら故郷の文化は絶えてしまう。僕は、僕のやり方で、故郷を守りたいんだ。

 これには父さんの協力が欠かせない。

 どうか考えておいて欲しい』


 手紙を読み終えた私は、俯いて思案する。


 若い頃だったら激怒したかもしれない。

 ここの暮らしは見せ物じゃない、金儲けに利用するなんて、と。

 しかし……。家々が氷雪原ひょうせつげんから消えていき、遠くない将来には雪の家の文化が完全に途絶えるのは事実だ。


 それにしても。極寒の過酷な環境下で、面倒な増築と住み替えが必要な雪の家の暮らしに興味があるなんて、なんと物好きな。

 その昔、雪の家にやってきた物好きな女性の笑顔を思い浮かべる。彼女の瞳は何事も興味津々に見つめて、輝いていた。


 いずれにせよ──。

 今の独り暮らし用の雪の家は狭い。息子家族が滞在するなら増築しなくては。


 ……いや、息子と孫たちに増築を手伝ってもらおう。数年に一度の増築はきっと物珍しい。

 代わりに地下の部屋を使えるように整えておこう。


「アルットゥ様。これから忙しくなりますな」


 じいやさんは微笑んでリーナのスープをすする。


 手紙を置き、私も椀を口に運ぶ。


 懐かしい、優しい味がした。



 ❆


 

 あれから半年。


 とんとんとん。


 玄関扉のノック音が雪の家に響く。待ちわびた私は急いで扉を開ける。


「おじいちゃん!! 久しぶり!」

「おじいちゃん……?」

「じーじ、じーじ」


 笑顔だったり、恥ずかしがっていたり、指しゃぶりをした3人の子供たち。私は彼らを雪の家に迎え入れる。


 その後ろでは息子のユーハたちが、笑っていた。


Fin.

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氷雪原にポツンと建つ雪の家 yuzu @yuzu_noveler

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