第5話 食文化の違い
「ライくん、お砂糖さん何処だったっけ?」
ヒュノが住み着いてから何日かが過ぎた。今まで独り暮らしだったときとは違い、俺以外の声が住居内に優しく響き渡る。
調理場から聞こえてくる一定のリズム。鼻唄の旋律と共にヒュノの手に握られた包丁は今日も何かを刻んでいるようだ。
親父が亡くなって、月日はどれだけ経ったのだろう。独り暮らしに慣れすぎた俺にとって、俺以外の人間が立てる生活音はとても新鮮で刺激的で、そして悲劇的にも思えた。
「なぁ、ヒュノさん。これはいったい……」「はぃ、今日は緑黄色野菜のソテーだよ~」
余程この世に未練があったのだろう。皿の上に横たわるマンドラゴラは苦悶の表情を浮かべながらガタガタを震えていた。
……っと言うか、コイツまだ生きてるし。
「は~い!!どうぞ、遠慮なく食べて食べてぇ~~」
『食べる』
やはりヒュノは確かに言ったよな? 俺の聞き間違いでなければ、この人面草を俺に喰えと命じたように聞こえたのだが。
やれやれ、文化の違いとは本当に恐ろしいモノだと痛感させられる。ヒュノの暮らしていた村では、ほぼモンスターよりの植物を緑黄色野菜と分類し、そして召し上がっておられたようだ。
「どうぞ遠慮なく食べてね~」
「やはり食べないと……駄目か?」
「もしかしてライくんは肉食派? 駄目だよ、たまには野菜もしっかり食べないと~」
いや、マンドラゴラは見た目が草っぽいだけで、食べれば赤紫色の肉汁が吹き出しそうな気がする。コイツから動物性タンパク質が採れるのか、それとも植物由来のビタミンが摂取できるのか気になるところではある。
そして、夜明けから聞こえていた叫び声の正体はコイツだったことを俺は今知った。
「コイツ、まだ生きてないか? さっきまで叫んでいたよな」
「大丈夫! 新鮮で身体にも良いよ~」
良く見るとマンドラゴラの口に角砂糖が突っ込まれていた。叫んでいたコイツを黙らせる為に調味料の塊を使用したのだろう。するとヒュノは皿を囲うように灯りのついたキャンドルを次々に並べ初めた。
「これは……」
「どう?素敵でしょ?! お洒落なダイニングテーブルに早変わり~」
にへへと無邪気に笑うヒュノ。キャンドルを運ぶ姿だけ見ると、とても可憐で是非絵画に残したい程だ。こんな美少女が独り暮しの俺の部屋にいていいのかと疑問を抱く。
ヒュノはあの宗教村出身の可能性が極めて高く、下手な様子を見せた瞬間に騎士兵団側に身柄を確保してもらおうと思っていたのだが……
『ヒュノは怪しさを隠す気が全くないんじゃないのか?』
これじゃあ、私を早く捕まえてくださいってお願いされているようにしか思えないのだが。
これは、罠か……う~ん。
目線をダイニングテーブルへと戻すと、マンドラゴラの丸焼きが乗った皿に、それを囲むように並べられたキャンドル。
俺の知っている食事風景とは程遠く、生け贄の祭壇のようにしか見えない。
「やっぱりこれは食事なのか? あ、もしかして俺寝ぼけているのかな。それともこれは夢の途中なのだろうか」
ヒュノが住み着いてから生活は一変した。金銭的に厳しい俺を心配してか「私が料理つくるね」と言い出し、夜中に部屋を飛び出したのが悲劇の始まりだった。
昨日は、人の言葉を喋る鳥を捕まえて帰ってきた。調理する前からずっと俺と眼が合っていて、悲壮な声で「オ前ヲ呪ウ。オ前ヲ呪ウ」と鳴かれたときは流石に気まずい雰囲気になった。
そんな俺の気持ちなんか、ヒュノは知るよしもなく、大きな鍋にそのまま豪快に揚げ始めたから、俺は思わず自分の眼と耳を塞いでしまった。
そして、今日はマンドラゴラ……。
「ヒュノさん。ヒュノさん」
「ほっ?! なに?」
「もしかして、この家に連れて来た事に怒ってたりする?」
狂暴なモンスターが活性化している夜の森で彼女独りを残す事に気が退けたとはいえ、無許可でタールマイナに連れて来たのは事実。
料理を通して俺に全力で詫びろという隠されたメッセージがあるのではと何度も考えてしまう。尋ねた瞬間、ヒュノの笑顔が曇る。
「どうして?」
「ほら……急に連れて来られてヒュノもびっくりしただろ? それに、日中ずっと部屋の中にいるから退屈じゃないのか? 外出しても構わないし、この街を離れてくれても良いぞ?」
「ううん、大丈夫。ライくんが良いのであれば、まだお家に居させてほしいかな。それに日中私は外には出られないよ……」
「何故だ?」
「だって私、街の人達に嫌われちゃっているから……」
俺には分からなかった。初めて訪れた街で、それも日中に1回も外に出た様子も無い。それにもかかわらず、ヒュノはこの街の住民から嫌われていると断言した。
「ま、無理に外出しなくていいさ。それに嫌われているのは俺の方さ」
びっくりした様子で俺の顔を見るヒュノ。
「どうしてライくんが嫌われるの?」
「理由は簡単だ。俺が、嘘つき親父の息子だからさ」
「ライくんのお父さんのことはわからないけど、ライくんが嘘つきさんだったとしても、ライくんは良い人だよ?」
「俺が良い人?! ははは、それは騙されているさ」
そう。俺は良い人ではない。少なくともヒュノの味方には成れそうにもない。ドルミーラ教の生き残りであると確かな確証が揃えば事に移す計画を練っているならな。
眠りの力を有しており、滅んだ村出身だと公言している。後は物的証拠、もしくは第3者からの証言を複数確保できれば……
「騙されている。そ、そうなの?!」
俺の言葉を真に受けて酷く驚いた様子を見せている。初めて逢ったときからヒュノは表情が絶えない子だと感じた。素直さが溢れ出ており、嘘とは無縁の人間だろう。
「で、でもライくんは優しいよ?! 落ちる私を助けてくれたクッションさんだもん!」
何が『クッションさん』だ。ヒュノがたまたま落ちてきて俺が下敷きになってしまっただけだ。
「それに私を抱えて逃げてくれたし、お家に住まわせてくれているし、無理に外に出なくて良いって言ってくれたし!!」
「あのな……あまり他人を信じ過ぎるのは良くないぞ?」
「そ、そうなの?! お母さんは『何でも信じなさい。信じる者は救われる』って言ってたよ?!」
「綺麗事だな。そんな甘い事言ってたら、俺に襲われても知らんぞ?」
「えっ……」
俺の言葉を聞いたヒュノはジト目で俺を警戒し始めた。純粋過ぎるヒュノをからかおうとしたが、少々やり過ぎたようだ。
そりゃあ警戒しても仕方ないよな。得体の知れない、見ず知らずの、嘘つき親父の息子だと言った俺が「襲いますよ?」と脅されたら誰だって身の安全を心配するよな。
村が襲われ、身寄りも無い上に、逢ったばかりの男の家に連れて来られている。唯でさえ悲しみと不安に押し潰されそうな状況下にいるヒュノに恐怖まで与えて俺は何がしたいのか。
「いや、すまん。今のは……」
重苦しい空気が部屋いっぱいに充満した。
「まさか、人を襲って食べちゃうだなんて、そんな風習がこの街にはあるんだね~。文化の違いって凄いね!!」
「えっ、そっちかよ?!!」
人肉なんか食べる習慣とか有るわけ無いだろ。ってか、お喋り鳥にマンドラゴラ喰わせようとしたヒュノにそんな事言われたくないっ!!
「私、たぶん美味しくないと思うから、食べるのは今度にしてもらえると、嬉しいかな、えへへ」
何が「えへへ」だよ。そんな可愛い顔しやがって。肌も凄く綺麗だし、寝てるあんたを運んでいるときに凄く良い匂いしてたんだからな?! 絶対に美味しいに決まってるだろ!! 本当に噛みついてやろうか。
要らぬ心配だったようだ。
「じゃ、今日はヒュノを食べずにマンドラゴラで我慢するとしようか」
俺はそう言い、無駄にヒュノに意地悪な言葉を与えつつ、用意してくれたマンドラゴラのソテーにかじりついた。
それから、まる2日間。極度の腹痛で寝込んでいたようで俺はその間の記憶が全くない。ヒュノが身の世話をしてくれていた事を後に知ることとなった。
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