第4話 何人たりとも

 濃い紺色が征していた空も徐々に色を取り戻し、山から光が射し込めてきた頃には街の入口に到着した。


 ドラゴンに遭遇して以降生きた心地はしていなかった。もう2度と朝日を拝むことはないだろうと諦めかけていたが、ドラゴンに遭遇したこと以上にあり得ないことが起きた。


 『起きた』というより『寝た』という方が正しいのだろうか。


 一人の少女の力により、真夜中の森で遭遇した全モンスターを沈静化に成功した。


 まるで夢を見ているのではと何度も思ったのだが、こうして無事に朝日を浴び、日光の熱を感じるということは今が現実なのだと改めて実感する。



「ラ、ライザ!! 無事だったのか。帰りが遅いから心配していたんだぞ」

「すまない。探知機の回収をしてたらちょっと道に迷ってな」


 実際は違う。このエリアに生息していないドラゴンは森に現れ、普段寝ているモンスターのスタンピードさえ発生していた。


 発生状況とドラゴンの位置関係から、スタンピードの行く先の延長線上にタールマイナが位置していた。大群の魔物の群れが真夜中に街を襲えば甚大な被害は免れなかったであろう。


 こうして穏やかな朝を迎えている街をみると一安心する。


 しかし、今となればそれを伝えた所で信じてもらえない。信じてもらえたとしても要らぬ不安を与えるだけだ。


 木の上から落ちてきた1人の女の子が『おやすみなさい』と呟いたら、ドラゴンは意識を失った。


 その後、


 寝ぼけているドラゴンに対し元いた場所へ帰るように指示したら素直に従った事も、


 ドラゴンの出現により暴れ狂うモンスター達も余すことなく眠らせ沈静化した事も……


 全て伝えた所で、誰が信じるのだろうか。


 俺は何も語らず通りすぎようとしたが、呼び止められてしまった。


「ライザ……お前って奴は」

「何だよ?」


「森で逢い引きした子と朝帰りとはな」

「なっ……」


 いやいや、違いますけど?! ドラゴンやモンスター達を眠らせたあと「おやすみ~」とだけ言い残し、再び昼寝の続きに勤しんでいるのはこの子です。


 無防備にグウスカと寝ているこの子を真夜中の森で置き去りするのは気が退けたので仕方なく背負って連れて来ただけですけど。


 確かに、エズラトからすれば、女の子をお持ち帰りした様にしか見えない。流石に俺でもわかる。


 分かるけど、今はわからないでくれ。


 弁明をしようかと一瞬躊躇したが、すぐに諦め、否定することはせず「もうそれでいいよ」と返し、帰路を急いだ。


 これ以上背負ったまま誰かに見られるのも恥ずかしいし、それに、この状況を疑われる事なく話せる自信も信頼も俺には無い。


 街の入口を抜けると、いつも通りの朝がやってきていた。仕入れの為に急ぎ足で駆ける荷馬車に、朝食用に並べられたパンを出す露店。それに、噴水広場のベンチに腰かけながら小鳥に餌をまく老婆。


 見慣れた景色は当たり前のように俺の目の前に拡がっていた。


 昨夜、森で遭遇したドラゴンがこの街へ到達していた場合、今頃は崩落した壁や鎮火の目処が立たない街中を走り回る兵士がいただろう。普段と変わらない筈なのに、まるで夢でもみているような不思議な感覚。素敵な嘘に騙されているような錯覚。


「さて……連れて帰ってきたものの、どうしたものか」


 ぐっすりと気持ち良さそうに寝ている子を背負って俺の家まで無事に帰宅した。


 無事? 

 いや、違うな。大事件だ。


 帰宅するまでの間に眼を覚ましてくれるだろうと安易に思っていたが、まさか家に着くまで起きないのは想定外だった。


 噴水広場のベンチに置いて帰ろうとも思ったが、今の時期の朝は陽射しが強く酷だろう。脱水状態になられても困る。


「部屋は散らかっているから、ベッドで勘弁してくれよ?」


 未だに寝ている子に話しかけながら、そっと下ろし寝かしつけた。返答も無く安心しきったご様子で寝息を立てている。


 刺繍が優雅さを際立たせているスカート。シワにならないように細心の注意を心がけながら寝かせた。


 女の子を寝かせた経験のない俺は彼女に何かあってはいけないという強迫観念に襲われ、必要以上に気を使ってしまった。


 だが仕方ない事だ。女性と仲良くなる人生を歩んで来なかった俺側の責任だ。こんなことなら同年の女の子ともっと仲良くしておくべきだったと今更ながら後悔する。


 そんな俺の気持ちを知る由も無いこの子は。水色のワンピースに白地のエプロンを着けたまま可愛い寝息をたてていた。装飾品は大きなリボン以外にこれと言って無く、それだけは外しておいた。腰まで伸びたサラサラの髪がベッドにふわりと拡がった。


 出逢った夜はドラゴンに気を取られていて、この子を見る余裕は全く無かった。そして今更に気づく。


『この子の名前も知らないや』と。


 どちらのお嬢様かも存じ上げておりません、俺は。


 身なりを見るにどこかの貴族様なのだろうとは察したが、それでも森で独り木の上で昼寝を堪能するお嬢様がこの世にいることに驚きである。


 幼馴染みであるエズラトの様子を見ても、この子の捜索願が出ている感じも見受けられなかった。


そして、何より不思議なのはドラゴンを無力化した、あの力。一夜で街をも滅ぼし兼ねない化物を一瞬眠らせた後、巣へ帰るように命令したあの力はいったい……。


「うん……ここって……」

「おっやっと起きてくれたか? ここは俺の家だ」


「あぁ、あの時の喋るクッション人さん」

「そんな綿だらけの人種がいたら怖いだろ? 普通の人間っ、ライザだ」


「おはようございます、ライザさん。私は……ヒュノ。お布団お借りしちゃいました~」


 初めて人間扱いをしてもらい、少しばかり感動してしまう俺がいた。


 それに安心した。このまま目覚めないかもしれないという不安と、寝込みを襲われ、知らない場所まで連れて来られたと泣きじゃくるかもしれないという絶望感を味わう可能性があったからだ。


 起きたてすぐのヒュノは機嫌も良さそうで何よりだ。俺に対する嫌悪感は全く感じなかった。


 ヒュノが目覚めたあとは食事を取った。彼女がいつ目覚めてもいいように軽食を用意して正解だった。何の疑いも詮索もせず「いっただきま~す!!」と元気良く挨拶したかと思えば、一生懸命食べてくれた。


「ご馳走様でしたぁ」

「ベッドで寝て、これだけ食べたんだ。もう独りで森なんかで寝落ちせず、真っ直ぐ家まで帰れるだろ?」


「えっと実は……」


 今までの声のトーンとは違い、少し暗くなった。もしかして、家出少女なのだろうか。


「家も家族も、私が住んでいた村も無いんです、襲われちゃって、えへへ……」

「それはその……すまなかったな」


「い、いえ……私達は神様に選ばれず、永眠することが運命だったのかなって今はそう思うようにしています。ほら、私達って寝るのが好きだったから!」


 取り繕う笑顔で無理矢理陽気にしようと心がけていた。


「見てみろよ、外」

「そと?」


 俺はヒュノに街を見せた。


「わぁ~!! 広くて素敵な街。私こんなところに連れて来られてたんですね~」


 連れてこら……そうだな、間違いではないな。俺が勝手に担いで無許可で連れて来たのだから。


「広いけど、あの辺り見てみろよ」


 俺はとある地区を指差した。そこは嘗てモンスターの街への侵入を許してしまい、焼かれたエリアだと伝えた。壊れた外壁は修復の目処がたっておらず、街行く人もそこを避けるように歩いていた。


「最近ではな、モンスターの侵入なんて珍しくない。兵士達は夜警で忙しくしている。それに日中、森で遭遇するモンスターの数が以前より数倍近く増えてきている」

「そ、そうだったんですね~」


「気をつけろよ? あんなところで昼寝なんてしてたら、すぐにモンスターの胃袋行きだぞ?」

「気をつけます……」


 ヒュノはこの街を褒めたが、実際は素敵な街とは言い難い。モンスターの侵入を許す度に街は騒然とし、今では夜でも静かに寝ることさえ難しい日が多くなった。


 それに加え、森でモンスターが活発化している影響で他国からの物資の流入も極端に少なくなってきた。


 影響は物価面でも現れた。働き手の年齢の人間は昼夜問わず働いている。この街で睡眠をしっかり取れている者はごく僅かだ。多くの人間は、十分な休息を得ないまま仮眠で凌いでいるのが現状だ。


 すると、ヒュノは真剣な表情で俺を見ていた。


「貴方は、寝ている私が怖くはありませんでしたか?」


 ヒュノの質問の意図はわからなかった。だが、俺はヒュノの質問で昨夜の事を思い出す。彼女の不思議な力によりドラゴンを無力化した。眠りを与えるその力を怖くはないかと問われたのだろう。


「安心して寝られる事は幸せなことだ、この街では特にな。寝られるのであれば寝るべきだ。俺もあんたもだ。もし、寝れないときは俺を頼ってくれ。寝ている間のボディーガードぐらいはしてやるぞ?」

「ほ、本当?!」


 ヒュノは驚いた様子でこちらを見てきた。


「あぁ。寝てはいけない生物なんてこの世にいない。何人たりとも他人の眠りを妨げてはならない」

「何人たりとも?」


「あぁ、『ナンピトタリトモ』だ」


 俺がそう答えると、ヒュノの表情はいっきに弛み「やったぁ~」と天を仰ぎながらくるくる回り喜びを爆発させていた。


「じゃあ決めた! 私今日からここで寝ますね!!」

「……はぁい? 嘘……だよな?」


 今なんと仰いましたでしょうかヒュノさま。腰抜け嘘つきの息子の俺に盛大な嘘をかますとは、こやつ並みの者ではないな。


「ほ? 嘘じゃないですよ。身寄りのない私に、また森でお昼寝をしなさい、と?」

「いや、それは……」


「他人の眠りを妨げてはならない、ナンピトタリトモォ! だよね、ライくん!!」

「うっ……」


 こうして俺は、眠りの姫と一緒に過ごす羽目になりました。無邪気に喜ぶ様子のヒュノを見て俺は安堵した。


『俺の作戦に気づかれていないようで』


 俺は逸早く彼女の正体に気づいていた。眠りの力を操れる人間は、宗教村の人間しかいない。


 俺の親父の名声を奈落に落とした諸悪の根源。それが宗教村だからだ。そこの生き残りだとするならば、俺はヒュノをタールマイナの騎士兵団側に付き出すべきだ。


 これからはヒュノの行動を監視し、頃合いを見計らって騎士兵団側に連絡することにしよう。


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