公安TS美少女キラー早乙女

たしろ

第1話

 三十歳まで童貞を守り抜けば得られる力を、人は『魔法』と名付けた。

 日にしておよそ一万と千、並大抵の覚悟では至れぬ境地に与えられる権能は人智を遥かに超えたものである。

 幾千と与えられる選択肢。

 その中から一つだけ選べと迫られれば、殊更に取り上げるべきはこれに他ならない。


 ――美少女TS転生。


 魔法を得た者の実に8割が選ぶこの力は、今や一つの社会問題すら生み出している。



 ショッピングモールの端にある簡素なゲームコーナー。

 子供たちで賑わう土曜の昼過ぎに、明らかに異質な影が一つ、遊戯台の周りを彷徨いている。

 男の名前は諏訪浩太郎、28歳童貞の小太りなフリーターだ。


「キミ、プリキャン、すきぃ?」


 壁にもたれて遊戯台を眺める少女に浩太郎は話しかけた。

 罪悪感のせいか声は震えて、そのため一層と不審者然とした様相を呈している。

 しかしそんな浩太郎に少女は屈託のない笑顔を向ける。


「好きだよ! でもあたし、お金持ってないから……」


 第一声を耳にした時、浩太郎の理性のタガが吹っ飛んだ。

 視線を合わせて放たれる「好きだよ」などという言葉は、ろくに恋愛もしてこなかったアラサーにとって劇薬以外の何物でもない。

 しかしながらここまではおおよそ浩太郎の想定通り、口説き文句は決めている。


「おじさん、こう見えてお金はそこそこ持ってるんだよねぇ……」


 100円玉で膨れあがったマジックテープの財布を取り出し、自慢げに少女に見せるアラサー。

 子供相手にならマウントを取れる程度の経済力も、当の小学生を前にしてならば後ろ盾として十分だ。


「だからさ、よかったら一緒にやってかない?」

「うん!」


 少女は大袈裟に頷き、浩太郎の手を引いた。

 我が世の春を謳歌しながら、遊戯台までの一歩一歩を踏み締める浩太郎。

 順番待ちの列に並び、席に着くのをじっと待つ二人。


「た、楽しみだね!」

「うん」


 会話は当然弾まない。


「あー、なんか喉乾いてきちゃった」


 少女の言葉に浩太郎はピクリと反応する。

 薄らと感じていた周囲の視線から抜け出す口実を見出し、小心な浩太郎が動かない道理がなかった。


「じゃあジュース、買ってこようか?」

「えっ、いいの?」


 少女が大きな声を出したせいで視線は一層二人に集まった。

 焦る浩太郎を横目に、少女は「何にしようかな」と悩んでみせる。

 その間にも待機列が一つ二つと進んでいく。


「うーん、今日はミルクティーの気分かなぁ」


 返答を聞くなり浩太郎は列を飛び出そうと身をひねる。

 が、その袖を少女が掴んで止めた。


「お兄さんが行っちゃったら、あたしプリキャンできなくなっちゃうから……」


 うつむき目を逸らす少女。

 順番待ちの待機列に前はいなくなっていた。

 およそ無理な願い出が喉元まで来ていることは想像に容易い。

 小さな口からそれを言わせまいと、浩太郎は財布を取り出して少女に握らせた。


「すぐ戻ってくるから、キミが心配することは何もないよ」


 精一杯のキザな台詞を残して浩太郎は自販機を探しに向かう。

 手元に残った確かな重みに、少女は今まで見せなかった下卑た笑みを浮かべる。

 女々しく駆ける無駄に大きな背中は、もはや少女の眼中には無い。


「結構あるな、焼肉いけるか?」


 遊戯台に着くなりポケットからスマートフォンを取り出して店を探す少女、その背後にタイトな黒スーツ纏った男が立っていた。


「プリキャン、やらないのか?」


 浩太郎など話にならないレベルの圧倒的な危うヤバさを前にして、少女の本能が痛いほどに足をすくませる。


「コインヲイレテネ! レッツプリキャン! コインヲイレテネ! レッツプリキャン!」


 下手くそな裏声で遊戯台の音を真似る男が、少女の持つ財布から100円玉を取り出して投入口に入れる。

 誰もがドン引きする中で誰一人として通報しないのには男が少女の背後、左手に掲げる手帳に理由があった。

 公安五課、対魔法使いの専門家だ。


「おじさん、なんなの……こわいよ……」

「お前におじさん呼ばわりされるのは遺憾だ」


 男は手錠を取り出して少女の手首に掛けようとする。が、済んでのところで少女は席から転がり脱出した。

 ようやく手帳の存在に気づいた少女は自分の立たされている状況を理解するや否や、近くにいた少年の背後に抱きつき首に手を回す。


「正体を現したな、蒲郡哲治」

「うるせえ! その名前で呼ぶんじゃねえ!」


 怒りを露わにする少女――否、それは少女の形をした四十路の男・蒲郡哲治だ。

 哲治が腕に力を込めると、少年は顔を赤くして咽せる。


「おいおい、あんまり締め付けるなよ。そんな歳から変な性癖に目覚めたら責任取れないぞ」

「んなもん関係ねえよ! 俺だって散々苦しんで来たんだ!」

「それこそこの子には関係無いだろう」


 男の正論は哲治には届かない。

 少女の姿のまま声を荒げて汚い言葉を吐き続ける哲治、その姿を遠目で見つめる二つの眼が一縷の涙を溢した。


「嘘だ……」


 浩太郎の手からミルクティーのボトルが滑り落ちる。

 結露が弾けて宙で煌めく様にわずか数分の幻想ラブストーリーを投影し、浩太郎は哲治に向かって一心不乱に走り出した。


「マ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ‼︎」


 絶叫し腹を揺らしながら迫る姿に恐れをなし、哲治は少年を捨てて人混みに飛び込む。

 しかしスーツの男はその背後をしっかりと着いて行く。


「お前さ、せっかく美少女になってもやる事がスリや詐欺に食べ放題の焼肉ランチって人生楽しいの?」

「俺は好きなようにやってんだよ! テメェに文句言われる筋合い無いだろ!?」

「嘘だな、これじゃあ昔のお前と何一つ変わってない」


 図星を突かれて閉口する哲治。

 大学時代にパチンコで借金を作り、穴埋めしようと乗った儲け話から始まった詐欺師生活。

 ろくな趣味も無く、朝から晩まで犯罪に手を染め、たまの贅沢は食べ放題の焼肉屋で食べる一番安いコースのランチ。

 人生に楽しみなど見出せなかった頃のしみったれた生活が、いまだに抜けずに残っている。

 哲治は変わろうとしていないのではなく、変わり方を知らないのだ。


「過去の自分と決別するために選んだんじゃないのか、TS魔法を」


 哲治の足がゆっくりと止まる。

 恋愛もできず風俗にも行けず、三十歳を迎えた日の朝に抱いた決意を思い出し、哲治は奥歯を噛み締める。

 更生し、罪を償い、太陽の下で人生を謳歌したいと、そう望んだが故にもう逃げる必要はどこにもなかった。


「刑事さん……俺、今からでも変わることできるのかな?」


 不安にまみれた、しかしながら希望を求めるその声に男は優しく「ああ」と答えた。

 直後、哲治の体を襲う激しい衝撃。

 勢いよく飛びかかった浩太郎が哲治の細い身体を押しつぶすように捕まえる。


「はぁ、はぁ、つ、捕まえたよぉ! もう離さないよぉ!!」

「たす……けて……」


 肉布団の下から手を伸ばす哲治に、男はしゃがみこんで微笑んだ。


「お前は今から少女オンナになるんだよ。身も心も、本物の少女に」


 男は立ち上がると踵を返してその場を去る。

 次の瞬間、哲治たちの周りに淡い光が現れて、次第にそれが平面の壁を型取りはじめた。

 焦る哲治、一方で浩太郎は少女の体を弄るのでそれどころではない。

 魔法のような光景を前にして哲治は半ば放心気味に自身の目を疑う。

 しかし彼は以前にもこの壁を見ていた。

 それはおよそ10年前、魔法を授かった時のことである。


「そうか……刑事さん、あんたも……」


 声は途中で閉ざされた。

 水を打ったような静かさの中、男がぱちんと指を鳴らす。

 真っ白な立方体ができあがると共に、光は灰のように散り、何一つ残さずに消え去った。

 白昼堂々と起こされた神隠しにざわつく人混みをよそに、男は携帯電話を取り出した。


「こちら早乙女、蒲郡の身柄を確保。ついでに児童淫行未遂で一人逮捕」


 彼の名は早乙女天我、30代童貞にして美少女にならなかった男である。


 -完-

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