第10話 南下の先で

 ルプス・ランバーズにいくつかの情報を託し、俺たちは鏡面の湖から南下を始めた。

 あいつもまだそちらは調べていないというので、期待をしていたが……あいにくと、そう甘くはなかった。


 森の外縁に沿って歩くこと一日。

 徐々に変わりゆく景色に嫌な予感はしていたが、やはりといった感じ。

 有体に言うと、森の東端から広がるこの平野部はリデコール山脈に囲まれた袋小路状の地形であった。

 つまり、ここに到達するには険しいリデコールの山々を越えるか、危険な未踏破地域の森を抜けるしかないということだ。


「参ったな、これは」


 野営の準備を進めながら、俺は壁が如く感じる山を見上げる。

 これを越えるのはなかなかに事だぞ。

 ……お陰で第二〝淘汰〟の鏡面湖の秘密は守られそうだが。


「残念でしたね。山を越えることはできるのでしょうか?」

「ここを越えるのは、森を抜けるのと同じくらい大変そうだ」


 フィミアの言葉に苦笑しつつ、そのプランもありかとは思う。

 ここまで来たのだから別ルートを模索するのも悪くないかもしれない。

 ただ、登山用の装備ではないので、やはり引き返すしかなさそうな雰囲気だが。


「そういえば、サランさんはどうされたんでしょうか?」

「ロロと一緒に山の調査に行くつってたけど……まぁ、後で聞いてみようぜ」

「その、久しぶりに二人きりだと思いまして」


 ふわりと笑うフィミアに、少しばかり胸が高鳴る。

 冒険中は意識しないようにしていたのに、そっちからかよ。

 まったく、気が抜けちまったらどうしてくれる。


「二人きりなのも久しぶりだが、こうして旅をするのも久しぶりだ。こう野営ばかりだと、駆け出しのころを思い出す」

「あの頃のユルグは随分と粗暴でしたよね」

「お前はつんけんしてたけどな」


 噴き出すようにして、軽く二人で笑い合う。

 出会った頃、俺たちの印象はお互いにあまりよくなかった。

 教会本部からサランが引っ張ってきた治癒担当の聖職者は最初から二つ名持ちで、いけ好かない女だったのだ。

 その当時のサランに対する印象が随分と悪かったという事もあるだろうが、『正しいこと』ばかりを口にするフィミアは少しばかり煙たかった。

 〝悪たれ〟であった俺には、少しばかり真っすぐが過ぎたのだ。


「わたくし、つんけんなんてしてましたっけ?」

「毎日お小言を言われた気がするが?」

「聖職者の務めですからね」


 ふいっと目を逸らすフィミア。

 最近のコイツは、聖職者をやめたらしい。

 小言の代わりに、夜ごと甘い声で啼くようになった。

 そう考えると、何処か背徳的な気分にならないこともない。


「む、よくないことを考えていますね? ユルグ」

「まさか。抱擁ハグは?」

「いります」


 苦笑いで両手を広げると、駆け寄ってくるフィミア。

 そんな恋人を包み込んで、ぎゅっと抱きかかえる。

 二人きりであれば、少しくらいこういう時間があってもいいだろう。


「安心します」

「そりゃ結構なこった。いろいろあったからな……あんまり抱え込むなよ、フィミア」

「ユルグこそ。ちゃんと相談してくださいね・」


 痛いところを突かれて、俺はまたもや苦笑する。

 毎度、先走ってしまうのは俺の悪いところだと自覚はしている。

 もっと大人にならないといけないとは、ちゃんとわかっているのだが。


「勇者である前に、あなたがあなた自身であることを忘れないでください」

「そこまで肩書に引っ張られるつもりはねぇよ」


 フィミアの髪を撫でやりながら、軽く思い返す。

 ……やっぱり、俺が勇者らしかったことなんて一度もなかったな。

 いつだって、俺は『俺の判断』で、『俺らしく』振舞っていた気がする。


「わたくしは、聖女として引っ張られる生き方をしていましたから」

「そうか? 出会った頃よりゃ随分といい女になったけどな?」

「いい女、ですか?」

「ああ、初めて会った時はわりと印象悪かったしな」


 フィミアが腕の中で露骨に肩を落とす。

 さて、そこまでショックを受けるような話だっただろうか。


「わたくし、印象が悪かったのですね……」

「ずいぶんと生活態度についてお前に叱られた。……一個も治んなかったけどな」

「言われてみれば、あの頃の私はあなたを自分に合わせようとしていたのかもしれません──思えば、無知で傲慢でした」

「まぁ、いいじゃねぇか。代わりにお前が堕落してくれたんで、俺はやりやすい」


 額に口づけて、俺は軽く笑ってやる。


「存外、悪くありませんね。生臭というのも」

「外では言うなよ? 問題になる」

「わたくし、外面には自信ありですよ?」


 小さく笑ったフィミアが、ぐっと背伸びして俺に唇を近づける。

 届かない距離だけ身をかがめて口づけを交わし、俺はそっとフィミアを解放する。

 まだ遠いが、調査に行っていた二人の気配を感じたから。


「そろそろ帰ってくる」

「少しだけほっとしました。ありがとうございます、ユルグ」

「マルハスに戻ったらちゃんと可愛がってやる。少し我慢しろ」


 俺の言葉に、頬をそめたフィミアが曖昧に笑う。

 こういうところはまだまだ初心でなかなかに可愛らしい。

 そんな事を考えているうちに、ロロ達が戻ってきた。


「ただいま」

「おう。どうだった、山は?」

「明日、もう一度調査に行きます」


 サランの言葉に、俺は軽く首をかしげる。

 てっきり、明日は森に入って別ルートの帰路を探索するのだと思っていた。


「洞窟があったんだ」

「しかも、人工のものです」

「こんな場所にか?」


 俺の言葉に、サランが頷く。


「発見は全く偶然でしたが、調査の必要があります」

「わかった。じゃあ、明日はそれでいいな?」


 全員で小さくうなずき合って、確認する。

 せっかくここまで来たのだから、気になるものは何でも調べておくべきだ。

 そう何往復もしたい場所じゃないしな。


「そうと決まれば、とっとと寝よう。結界杭は設置済みだが……ロロ、念のために〈警戒アラート〉の魔法を頼む」

「了解。少し広めにしておくね」

「では、私は水を」

「わたくしは鍋の準備を始めますね」


 一斉に動き出す仲間に軽くうなずいて、俺はふと山を見やる。


「さて、こんな場所に何があるんだろうな」


 そんな俺の独り言は、夕闇迫るリデコールの山々に静かに吸い込まれるようにして消えた。

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