第三部
第1話 湯煙の中で
「うーむ……」
月を見上げながら、風呂の中で小さく唸る。
デカい厄介事が一つ片付いた。
そう、侯爵野郎の訪問と……追い返しだ。
相変わらず貴族はクソで、サランが〝人でなし〟であることを確認するという結果になってしまったが、その流れで語られた諸々の話に、俺は全く追いつけていない。
「なぁ、ロロ」
「なに? ユルグ」
「マルハスはどうなるって?」
「ええと、王定直轄地かつ教会特区になるって話だったね、たしか」
何度聞いても意味がわかなさ過ぎて、俺は湯に沈む。
どういうことか、さっぱり理解できない。
できないが、サランが俺とフィミア、それと自分の立場を上手く利用したことは理解できた。
「つまり何か? ここはヒルテ領じゃなくなって、王様が直接治めるってことか?」
じゃぼりと湯から顔を出して、ロロに尋ねる。
「王様と教皇様の二人でって感じだね。それで、実質的なあれこれはサランがするってこと」
「辺境の田舎町がえらくややこしいことになったもんだな」
「落としどころとしては完璧だと思うけどね」
にこにこと笑いながら、汗をぬぐうロロ。
男の俺から見ても妙に色っぽくて、相変わらずの美貌に軽いため息が出る。
フィミアは何でロロじゃなくて俺を選んだのかと、ちょっと不審に思うくらいだ。
「はー……それにしたって言ってみるもんだねぇ。まさか、サランがこんな大きなお風呂を作ってくれるなんて」
「ああ。俺の家にも浴室は作ってもらったが……これはなかなか気分がいいな。屋外ってのがいい」
「雨が降ったら困るかもだけどね」
ロロが懸念点を口にするが、それはそれで風情があるかもしれない。
……この風呂は俺とロロがサランにねじ込んだ場所だ。
冒険者の野郎どもは少しばかり不潔なところがある。
冬の間、一回も身体を拭いてないなんてヤツがいるくらいで、夏になればひどい臭いを発するヤツが、時々いるのだ。
適宜、ロロや魔術師に依頼して〈清潔〉の魔法を使ってもらうのだが、そもそもの衛生観念をしっかりしていないと、都市がデカくなった際に疫病に発展する……という建前でサランに開発を依頼した。
サランにしても、何か思うところがあったのかこれに二つ返事で首を縦に振った。
おかげで、このやたらとデカい公衆浴場が新市街の端にできたという訳だ。
王国広しと言えども、冒険者ギルド運営の公衆浴場があるのはここマルハスだけだろう。
「ここの掃除や維持は冒険者に依頼するんだっけ?」
「常駐の職員に元村長を雇ってる。他にも何人か管理に雇わせてもらったよ」
マルハスをここまで変えた以上、元の生業を続けられなくなったヤツへのフォローは必要だ。
すでに新しい仕事を始めてる奴もいるが、そうでない奴を取り残していくわけにもいかない。
マルハスが変わるなら、変わったマルハスでの生き方も示すのが筋というものだろう。
「あの、ユルグが雇い主だもんね。嫌な顔とかされなかった?」
「まぁ、何人かは。……村を去っちまったヤツもいるしな」
例えば、次期村長だったケントは立ち退きに最後まで抵抗して、結局マルハスを出て行ってしまった。
人生設計が変わってしまったことに、耐えられなかったのかもしれない。
まぁ、俺はアイツのことが嫌いなので、あんまり良心が痛んだりはしないが。
「あと、冒険者の受け入れが進むとガキがくるだろ? 雑用はいくつか作っておかねぇとな」
「ああ、なるほど。そうかもね」
どういう理由かもわからない、冒険者稼業に手を出すガキどもだ。
憧れかもしれないし、生活のためかもしれない。
ただ、身体もできてなきゃ、ノウハウもないようなガキがやっていけるほど、冒険者稼業は甘くない。
多くの場合は、
かつては俺とロロも、そんな考えなしの駆け出しだった。
それを考えれば、早い段階でサランに誘われたのは……命拾いしたと感謝するべきかもしれない。
「ギルドマスターは考えることがいっぱいで大変だね」
「はぁー……俺としては、いつお前に替わったっていいんだがな」
「無理無理! 絶対勘弁してよね。ボクはサポートが向いてるよ」
確かに、だ。
今の状況で俺とロロの立場が変わったところで、俺がこの優秀な幼馴染と同じ働きができるとは思えない。
ロロ・メルシアという男は、この開拓都市というでかい歯車を円滑に回す潤滑油のような男なのだ。
細かいことに気が付いて、先回りで解決してみせることもあれば、時に陣頭に立って指示も出す。
都市中の誰とも仲が良くて、警邏にこいつがいるってだけでその日はトラブルの件数が激減するくらいだ。
だからこそ、俺はこいつに何か役職名を付けてやりたいと思うのだが。
ああ、なるほどな。アドバンテの
「おや、お二人も来ていたのですか」
「サランか、珍しいな。お前がこんなトコに顔を出すのは」
「これもわたしの仕事の成果ですからね。確かめておこうと思いまして」
眼鏡を曇らせて公衆浴場に現れたサランは、果実酒の瓶を持っている。
奇遇そうなふりを装ってはいるが、俺たちと飲むために来たに違いない。
素直じゃないヤツ。
「エフロン侯爵の件では二人ともお疲れ様でした。おかげで、トラブルなくお帰り頂けましたよ」
「トラブルはあった様に思うが?」
「あなたが護衛兵団を全員のしてしまったことですか? それとも、侯爵にドスのきいた脅しをしたことですか?」
「どっちもお前がけしかけたんだろうが。まったく」
酒の瓶をひったくって、一口飲む。
よく冷えた
これも、これまでマルハスになかったものだ。
「これは美味いな。ロロ、飲んでみろよ」
「うん」
酒瓶をロロに渡してサランに向き直る。
「ていうか、あれでいいのかよ?」
「立場上、エフロン侯爵家とゾラーク伯爵家は、緩い政敵関係にあります。自分の庭を荒らされたような気持ちになったんでしょうね」
「おいおい、大丈夫か?」
「それを見越しての、王定直轄地と教会特区です。あなたとフィミアさんの立場を存分に使わせていただきましたよ」
ロロから受け取った酒瓶を上機嫌であおるサラン。
こうしてみると、こいつも随分と冒険者らしくなった。
酒の回し飲みなど、出会った頃のコイツなら絶対にしなかっただろう。
「正式名称は『〝淘汰〟監視対策特別直轄地』となります。端的に言うと、王と教皇の名において、好き勝手してもいいということですね。減税や免税の措置もありますし、王国兵団と聖騎士の派遣もあります。これから忙しくなりますよ?」
まったく。
次から次へと俺の故郷をややこしくしてくれるな、この陰険眼鏡は。
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