第31話 喪失と慟哭

 マルハスに続く東街道を、全速力で移動する。

 途中、聖騎士や防衛に派遣された冒険社カンパニーの馬車とも合流し、ロロの強化魔法とフィミアの賦活魔法を施して加速させた。

 多少速度は落ちるが、手勢はいればいるほどいい。

 特に、防衛戦の場合は。


「見えた、マルハスだよ!」


 先頭を行くロロが、前を指さす。

 少しだけ小高くなったここは、見下ろす形でマルハスが見えるのだ。


「ちっ、もう始まってんぞ……!」

「新市街と未踏破地域の境界線から少し押し込まれていますね。新市街の一部から火の手が上がっています」


 〈望遠の瞳テレスコープアイ〉の魔法で現地を確認したサランが、現状を俺たちに伝える。

 その言葉は、結界が一部破られたことを意味していた。


「悪い、俺たちは先行する!」


 後方の聖騎士と冒険者たちに向けて声を張る。

 すでに押し込まれている以上、押し返しはできなくとも足止めは急がねばならない。

 『メルシアおれたち』なら、それができるはずだ。


「わかりました! すぐに追いつきます! 〝聖女〟様、勇者殿、ご武運を!」

「オレらもできるだけ急ぐ! 持ちこたえてくれや!」


 後方に軽く手を上げて、俺は馬の腹を蹴る。

 小さく息を吐きだした馬は、ぐんぐんと速度を上げて、坂を下り始めた。

 それに、仲間達が続く。


「ぐれぐれ!」


 隣を走る純白の走大蜥蜴ラプターが、勢いをつけて駆ける。

 負けず嫌いらしい俺の馬は、それに続くようにさらに速度を上げた。


「サラン、避難状況の目算は!?」

「すれ違った人数からして、五割から六割ってところですね。冒険者と聖職者は全員残っているようです」

「くそ、間に合うか……?」

「教会が避難所として機能しているはずです。信じましょう、ユルグ」


 『五芒結界』の中央に設置された教会は、こういう事態に備えたものだ。

 十全に機能しているとは思うが、あまりそれを過信してもいられない。

 少なくとも、新市街には入り込まれている。


 すれ違った中におばさんやロロの弟妹の姿はなかった。

 それに、タントの爺さんやコンティ、ギルド職員の姿も見ていない。

 つまり、知った顔はまだまだまだマルハスに留まっているということだ。

 

「無事でいてくれよ……!」


 神に祈るなんて、俺らしくないと思いながら俺は空を見上げる。

 フィミア経由とはいえ、俺を勇者なんてもんに仕立て上げたんだ。

 少しくらい気を遣ってくれたっていいだろう? 神様よ。


「避難民です!」


 フィミアの言葉に、前方を見る。

 なけなしの家財と女子供を乗せた馬車が数台、こちらに向けて走ってくる。

 その中には、ロロの弟妹──ビッツとアルコの姿もあった。

 神様も捨てたもんじゃないと胸をなでおろすが、おばさんの姿はない。


「ビッツ! アルコ!」

「兄ちゃん!」

「母さんは!?」

「子どもが先だって、残ったんだ……! 兄ちゃん、ユルグ、母ちゃんを助けて!」

「わかってる。お前らはこの場をできるだけ早く離れろ! いいな?」


 声を張り上げて、馬車の横を通り過ぎる。

 俺は冒険者で男だ。結果で語らなきゃ意味がない。


「行こう、ユルグ。全部を元通りにしなくっちゃ!」

「ああ。魔物どもに思い知らせてやる……俺の庭を荒らすとどうなるかをな!」


 ◆


 『マルハス』と書かれた真新しいアーチを抜けて、ほぼ無人の旧市街を駆け抜ける。

 トムソンがいないので厩舎に預ける訳にもいかないので、ギリギリまで行って乗り捨てるしかない。

 あいつが調教した馬だ、適当にやってもうまく生き延びるだろう。


 新市街に入ったところで、馬から下り剣戟が聞こえる方向へ駆ける。

 見たところ、防壁の破損は軽微だ。

 入り込まれはしているが、押し込まれはしていない。


「……火の手は猿人ボルグールの仕業か。サラン、水だ!」

「霧ですか、雨ですか?」

「焼けた家が多少崩れても構わねぇ、一気に降らせろ! そしたら次は霜だ!」

「いい手ですね。承知しました。新市街北側の猿人ボルグールは私が処理します」


 そう告げて、ふわりとサランが姿を消す。

 〈あっちこっちフリックポータル〉の魔法を使ったか。

 事務作業で動き回った経験が活きてるな。


「わたくしは教会へ参ります」

「おう、可能なら避難を促してくれ。ダメそうなら、坊主どもに〈聖域強化〉で閉じこもれって伝えろ!」

「はい! すぐに戻ります」

「ぐれぐれ!」


 グレグレを走らせてフィミアが走り去る。

 それを見送ってから、俺はロロに向き直った。


「お前は宿に行っておばさんを──」

「ダメだよ。ボクだって『メルシア』の冒険者なんだ。やるべきことをやるよ。新市街南側の状況確認と応援に入るから、ユルグも行くべきところに行って!」


 指を振って強化魔法を施すロロ。

 その瞳には強い意志が宿っており、俺は何も言えなくなった。


「母さんなら大丈夫。だって、ボクらの母さんだよ?」

「……ああ、そうだな。俺たちの仕事をしよう」


 軽く拳を触れさせて、その場で二手に分かれる。

 俺が向かうべきは、おそらく防衛前線となっているはずの、冒険者ギルドだ。

 こういう時、あの場所は指揮所として機能するようになっており……こと、こういった〝大暴走スタンピード〟時には、要塞としても使用される。


「──……ッ」


 思わず、足を止めてしまう。

 すでに冒険者ギルドは、手ひどく破壊されていた。

 これは、そこらにいる猿人ボルグールの仕業ではない。


「くそ、どうなってる!」


 崩れかけた冒険者ギルドに駆け寄ると、誰かが倒れているのが見えた。

 瓦礫の隙間にちらりと見える赤茶の髪に、ぞわりとしたものが湧き上がる。


「カティ!」

「あ、ユルグさんだー……」

「しっかりしろ!」


 傷がひどい。

 右腕は骨が折れているし、左の腹は大きく裂かれて、頭からも血が流れている。


「お早いお戻りですね、ギルドマスター」

「おい、しゃべるな。すぐに教会に連れて行く。治癒してもらおう」


 焦る俺の頬に、カティの左手が触れる。


「頑張りました。みんな、逃げられましたか?」

「何で逃げなかった。無茶し過ぎだ」

「わたし、ギルマス代理ですのでー……」


 弱弱しく笑う、カティ。

 俺が、任せたのだ。お前ならできるなんて調子の良い事を言って。

 その結果が、これだ。


「結界の一つは突破されましたけど、群れの分散には成功しました」

「おい、もういい。しゃべるな」

「……聞いてください、大切なこと、なんです」


 息も絶え絶えなカティの瞳が、俺を見据える。

 死を覚悟したものが最期に見せる目だ。

 受付嬢がしていい目ではない。


「森の奥に、何かいます。魔法か何かを使う、魔物モンスター、です」


 左手で、森を指すカティ。


「それが、結界の祠を壊しました。わたし達の、弱点を知っている、かもしれません。破壊力のある、光を、放ちます。次は、教会かも、しれません。でも、ユルグさんなら、なんとか……できます、よね?」


 血の気の失せた顔で、笑うカティ。

 地面に広がる血と一緒に、カティの命が薄く広がって消えていく。

 零れ落ちていってしまう。


「わかった。それを潰せばいいな?」

「はい、ここで……報告を、待ってます。ご武運を、マスター」


 左腕を俺の首に回したカティが、静かに俺に口づける。

 血の味がするそれは、まるで別れのあいさつのように思えた。


「待て、カティ。逝くな……! まだだ!」


 脱力するカティの身体を、抱きしめて吼える。

 これまで、冒険者として何人も死ぬやつを見てきた。

 見てきたのに、これは……少し耐えられそうにない。

 軋むような心を無理やり抑え込んで、俺は言葉を絞り出す。


「カティ、俺は行く」


 静かになってしまったカティをそっと横たえて、立ち上がる。

 〝淘汰〟だか何だか知らないが、この代償を支払わせなければならない。

 徹底的に取り立てて、完全に擦り潰し、滅ぼしつくしてやる。


 ──その、悉くを。


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