第28話 なまぐさ聖女

「眠れねぇ……」


 納得はした。理解もした。

 これが俺たちにとって必要な時間で、最善の選択だとわかってはいる。

 だが、焦燥感と不安が心臓の音を大きくして、それが耳障りで眠れない。

 俺とてそれなりに疲れているはずなのに。


 一階で酒でも出してもらうか……と、ベッドから起き上がろうとしたその瞬間に、扉を小さくノックする音が聞こえた。


「どうぞ、開いてるぜ」


 そう声をかけると、控えめに扉が開かれた。

 軽い足音と異様なまでの気配隠しで、誰が来たかはわかっている。


「起こしてしまいましたか?」


 寝間着姿のフィミアが、申し訳なさそうに苦笑して立っている。

 もう話題作りの必要などないというのに、わざわざ俺の部屋に来るなんて、危機感とか貞操観念が足りないな、この〝聖女〟サマは。


「いいや、起きてた。どうも眠れなくてな」

「わたくしも、眠れなくて」

「ロロに頼んで眠りの魔法でもかけてもらうか?」


 俺の軽口に、フィミアがくすくすと笑う。


「それもいいですけど、良かったら少し付き合ってくれませんか?」

「おいおい、生臭聖女に磨きがかかったんじゃないか?」


 後ろ手に酒瓶を隠し持っていたフィミアに、軽く笑う。

 『シルハスタ』に居た頃は、そこまで飲む女というイメージはなかったが、どうもここのところのコイツは飲み過ぎではなかろうか。

 まぁ、俺もさっきまで酒でも飲みに行こうと考えていたので、どうこう言えるものではないが。


「お詫びも兼ねて、いいのを持ってきましたから」

「詫び?」

「わたくしが不甲斐ないばかりに、ここで足を止めざるを得ませんでしたし」


 テーブルに酒瓶を置いて、苦笑するフィミア。


「あれは俺が悪い。逸りすぎた」

「それでもです。〝聖女〟としてあなたをフォローすべきわたくしが、あなたの足を引っ張ってしまった」

「待て。よく聞けよ? フィミア」


 椅子に座って目を伏せるフィミアの前に跪いて見上げる。

 淑女レディの前では、こうするのが都会の作法だと習った。


「〝聖女〟とか勇者とか言う前に、俺たちは仲間だろう? 大切な友だ。それを気遣えなかった俺を責めこそすれ、謝ることは何もねぇ。そうだろ?」

「ユルグ……」

「俺が悪かった。お前にこんなことを言わせるべきじゃなかった」


 そう下げた俺の頭に、フィミアの手が触れる。

 頭を撫でられた経験というのがあまりに少なくて、驚いてしまったが……存外悪くない。


「ユルグはいつも無理して優しくするので、心配です」

「多少の我慢は戦士の嗜みだ。あんまり俺を甘やかさんでくれよ。弱くなる」

「少しくらい甘えてくれたら、可愛げもあるんですけどね」


 顔は見えないが、フィミアの纏っていた空気が軽くなったのがわかった。

 それにほっとして、俺は顔を上げる。


「さぁ、もう部屋に戻って寝ろ。酒はありがたく頂戴するがな」


 俺の言葉に、フィミアが少しむっとした顔をする。

 知ってるぞ。お前がそういう顔をする時は、何かごねる時だ。


「そんなに急いで追い出すことないじゃないですか」

「ダメだ。そもそも、軽々しく男の部屋に入ってくるもんじゃない」

「ユルグが、どうぞって言ったんじゃないですか」


 そう言われて、俺は考え込んでしまう。

 フィミアの言っていることは正しい。

 部屋をノックされた時点で誰だかわかっていたのだから、別に招き入れる必要などなかったはずだ。

 だというのに、何だって俺は「どうぞ」などと言ったのか。


「どうかしたのですか?」

「いや、どうしたっていうか。分からねぇんだよな」

「? なにがです?」


 首を小さく傾げるフィミアに、俺は首を振って応えた。


「いや、何でもねぇ。とにかく、部屋に戻れ。明日も早いんだぞ」

「いいじゃないですか。どうしてそんな邪険にするんです?」


 わかってるのか、わかってないのか。

 仲間として、あるいは〝聖女〟として俺に過ぎた信頼を寄越しているのかもしれない。

 そうでなきゃ、誘惑してるのか?

 いや……さすがにそれはないか。


「わかったわかった。もう、好きにしろ」

「では、乾杯と行きましょう」


 折れた俺に、フィミアがにこりと笑う。

 小言を言いたい気持ちもあるが、今はこいつを寝かしつけることが重要だ。

 酒でもなんでも付き合ってやるさ。


 そんな風に考え直した俺は、酒瓶の封を力任せに引き抜いた。


 ◆


 翌日。

 日の出と同時に起きて朝食をかきこんだ俺たちは、早々にアドバンテを後にした。

 昨夜にサランが手配してくれた乗騎のケアが上手く作用したらしく、馬たちもグレグレもかなり活気に満ちている。

 ここからはまた強行軍になる。

 ここで、しっかりと休息をとれたのは俺たちにとっても馬たちにとっても正解だった。


「……ユルグ? あんまり眠れなかったの?」

「まあな」


 自分ではしゃんとしているつもりだったが、さすがにロロにはばれてしまうらしい。

 まあ、自分でも今朝の自分は些かひどい状況だと理解はしているが。


「行程プランを変更しますか?」

「いいや、問題ない。俺は頑丈なだけが取り柄だからな。マルハスへ急ごう」


 サランの言葉に首を振って、気合を入れ直す。

 少しだけ心の整理がついたとはいえ、故郷が心配なのは変わらない。

 できるだけ急がねばならない。


「フィミアも大丈夫?」

「はい。わたくしも問題なく。しっかりと休んだので、体力も魔力も十分です」


 ロロの問いに、フィミアが妙にはきはきと答える。


「結構ですね。ここから、東街道を通って酪農都市ヒルテへ向かいます。タイミングが合えば宿を使いますが、基本的には野営になると思ってください」

「了解。できるだけ早くマルハスに帰らないとだしね」


 サランはこんな風に言うが、それでもある程度は宿場に到達できるようにプランを組んでいるはずだ。

 その方が、最終的な消耗が少ない。

 這い出しオーバーフロウが起きているという情報がある以上、到着直後に俺たちが動かなければならない状況になっている可能性は高い。

 特にサランは、避難指示や受け入れ先への打診などやることが多い。

 実働は俺やロロがすることになるだろうし、教会関係はフィミアに任せるほかない。


 ……つまり、急ぎつつも消耗を押さえなくてはならないのだ。俺たちは。


「ユルグ、必要以上に気負う必要はありません。あなたは駒です。全ての責任は私にあると考えてください」

「そこまでバカになれねぇよ、俺は」

「では、もっとしゃんと前を向いてください。あなたは頼れるリーダーでなくてはならない。私たちの前でも、開拓都市の前でも。──〝淘汰〟を前にした全ての人の前でも」


 陰険参謀め、回りくどい檄を飛ばしてくれる。

 だが、おかげで少しばかり気合は入った。


「おう、わかってる。だから方向転換はお前に任せた。上手く手綱を握れよ?」

「言われなくともそのつもりです。ちゃんと言うことを聞くんですよ?」

「抜かせ。ちゃんと言うことを聞かせるのもお前の仕事だろうが」


 軽口をたたき合いながら、街道を駆ける。

 フィミアがまた妙に湿気た視線でこちらを見ているが、それはそれで調子が戻ったと考えよう。

 昨日みたいに、重苦しく謝られるよりはずっといい。


「急ぐぞ!」


 すでに冬の重たい空は消えて、街道沿いには花が覗き始めていた。

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