第25話 教皇談話

「やあ、よく来ましたね……フィミア。そして、勇者殿」


 サランに渡された箔押しの豪華な書簡。

 それは、サルディン正教の教皇本人からの召喚状であった。

 物々しい内容に反して、荘厳な神殿の奥で俺たちを出迎えた教皇の態度はどこか柔らかい。


 あの反吐が出るような第三席クズとはまるで違う雰囲気に、逆にこちらが飲まれそうだ。

 よく知りもしない相手だというのに、穏やかすぎるその空気感は、思わず気を抜いてしまいそうになる。

 この、俺がだ。


「教皇様。お久しぶりでございます」

「ええ、久しぶりですね。フィミア。ずいぶんとたくましい顔つきになりました」


 にこりと笑う教皇。

 顔の皴がさらに深くなって、なんというか……村にいる爺さんを思い出した。

 王国の信仰の一切を担う、教皇猊下相手に失礼な話だが。


「お名前を伺ってもよいですか、勇者殿」

「ユルグ。ユルグ・ドレッドノートと申します」


 何度も練習した甲斐あって、名乗りは噛まずに言えた。

 これ以上の会話が続けば、すぐにボロが出るだろうが。


「おや、拙僧が聞いた勇者とは違って、随分とお行儀が良い。フィミア、勇者殿に猫の皮を被せたね?」

「彼が努力して被った皮です。あまり覗き込まないであげてください」


 小さく笑いあう聖職者二人に、俺は心の中でため息をつく。

 猫は猫でも、今の俺は借りてきた猫みたいなものだ。

 だいたい何を話していいのすらわかっちゃいない。


「ユルグさん。この部屋にはマナーを指摘する者はいません。いつも通りで結構ですよ。あなた自身の言葉で話してください」

「ええと……」

「ユルグ、大丈夫です。教皇様は、そういうお方ですから」


 フィミアがそう言うなら、信じるか。

 それに……お上品な言葉を心がけたところで、すでにばれてるらしいしな。


「いい顔つきになりました。勇者はそうでないと」

「お言葉に甘えさせてもらうよ、教皇様。それで、俺たちを呼んだ理由を聞かせてくれないだろうか」


 俺の言葉に、教皇が小さくうなずいてフィミアを見る。


「まずは今代の勇者と、言葉を交わしてみたくてね。召喚状なんてものを使って時間を作ってもらったのですよ。サラン・ゾラーク殿へのサービスも兼ねてるけどね」


 にこりと人好きのする顔で笑う教皇。

 仮にも組織のトップがこんなに穏やかでいいのかと思うが……信仰を率いるからこそ、この空気感が必要なのだと思い直した。

 うっかりすると、俺まで入信してしまいそうなカリスマ性がある。


「教えてくれ、教皇様。〝淘汰〟は……また来るのか?」

「本題に踏み込むのが実に早い。いいですね、貴族相手よりもずっと気楽です」


 笑顔のまま、教皇が一冊の古びた本をテーブルに置く。


「教皇様、これは……?」

「フィミアにも見せたことがありませんでしたね。これは、教皇だけが受け継ぐ秘密の書。歴代の教皇が得た知見や予言を記載したものです」


 黒い表紙に金の箔押し。

 確かに高価には見えるが……そんな大それたものにも見えない。

 だが、ジョークで出すものでもないだろう。


「三百年前のラジャイ王朝時代……『銀の正十三角形』なる異界の神が、この大陸を席巻しました。人を含めた多くの生き物の在り方を歪める、まさに〝淘汰〟と呼ぶにふさわしい災害でした」

「乗り越えたのですよね、それを」

「ええ。その時も聖女に選ばれた勇者が命をとして対峙し……世界を救いました」


 やはり、勇者とはそういうものなのだろう。

 だが、引っかかることもある。

 〝手負いスカー〟は、やはり〝淘汰〟として、少しばかり不足だったということだ。

 手ごわい相手ではあったし、特別な力も有してはいた。


 しかし、今しがた教皇が語ったような世界の命運を左右するような危険であるとは、やはり思えない。

 それこそ、聖遺物で武装した聖騎士が数人いれば勇者でなくとも討滅できたはずだ。


「ですが、問題がありました」

「問題?」

「討滅したそれの残骸はこの世界に馴染み、変質を起こしました。この国の東端──今はヒルテ子爵領と呼ばれている地域に、歪みをもたらしたのです」

「まさか……」


 背中を冷たいものが這う感触がする。

 それが首筋を伝って、脳をじわりと揺らした。


「おかしいと思いませんでしたか? あのような僻地に強固な結界が敷かれていたことに」

「──……!」

「調査拠点があの場所にできたのは、『異神の残骸』を見張るためです」

「ならよ、〝淘汰〟は……」

「まだ、終わっていないんですよ。俗にいう〝第三淘汰〟時代は」


 フィミアが顔を青くする。

 そして、俺も緊張と恐怖で自分の心臓の音が大きくなるのを感じた。

 聖女がいて、俺がいるということは……勇者が必要な事態が起ころうとしているということだ。

 俺の、故郷で。冒険者の楽園となる『開拓都市マルハス』で。


「そもそも、〝第三淘汰〟と呼ばれるものの原因が、古代に起きた〝第二淘汰〟……裂界事変を起点に起きています」

「そこまでの記録があるのですか、教皇様」

「歴代教皇と聖女、そして勇者にしか話しませんよ、こんなことは。仲間に話すのはいいですが、漏らさないようにお願いしますね」

「それで? 裂界事変ってどんな〝淘汰〟だったんだ?」

「空が割れたそうです」


 端的な言葉に、言葉が出ない。

 空が割れるの意味が分からなかった。


「実のところ、今も割れたままです。我々に見えないだけでね」

「は? じゃあ、〝淘汰〟ってのは、どれもこれも終わってねぇってことかよ……!」

「正確には、そうなのでしょうね。そして、時折思い出したかのように牙をむく。それから無辜の人々を守るため我々のような聖職者と、あなたのような勇者がいるのです」


 どこか力なく苦笑する教皇。

 しくじった。まるで責めるかのような口調になってしまった。


「フィミア、そしてユルグさん。マルハスにお戻りなさい。きっと、そこに答えがあるでしょう」

「……わかりました、教皇様。必ず、〝聖女〟としての使命を果たして見せます」

「逃げてもいいんですよ、フィミア」


 教皇の言葉に、フィミアが小さく首を振る。


「大丈夫です。ユルグが、いますから」

「そうですか。頼もしいですね、本当に」


 その言葉に、教皇が皴の深い顔をくしゃりと笑顔にする。

 こんな風に言われては、俺も肚を括るしかない。

 そも、マルハスを見捨てるという選択肢は最初からないしな。


「ところで、フィミア。一つ確認しておかなければならないことがあります」

「はい、何でしょう?」


 真剣な顔をする教皇に、俺も少し緊張する。

 これ以上、深刻な情報はあまり知りたくはない。


「その……彼は少し野性的に見えますが、ベッドの中では、優しくしてもらってますか?」

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