第19話 朝のさえずりに
──翌朝。
差し込む光と、小鳥の声で目覚めた俺は固まった身体をほぐすべく大きく伸びをする。
暖炉のおかげで寒さはしのげたとはいえ、酔っ払いにベッドを明け渡したので寝心地は野営とあまり変わらなかった。
とはいえ、同衾などしてしまえば間違いが起こること必至だったのでこうするしかなかったのだが。
まったく、サランのやつ。
おかげで、どうにもそわそわして落ち着かない。
王都にだって娼館くらいあるとは思うが……国選パーティだの、勇者だのといった厄介な看板を背負っちまった以上、迂闊にそういうところにも行けない。
これは、しくじったな。
もしかして、俺……詰んでないか?
「ユルグー……?」
気が付くと、毛布を引きずったフィミアが寝ぼけ眼でよたよたとこちらに歩いてきていた。
昨日、飲みすぎたせいだな。
いつもなら朝からしゃんとしてるくせに、今日のこいつはどうにも危なっかしい。
「起きたか?」
「まだ、眠い……」
「じゃあ、ベッドに戻ってろ」
「ユルグは?」
ふにゃふにゃと子供っぽい話し方をするフィミア。
もしかすると、これが素なのかもしれない。
普段のコイツは、若いくせに少しばかりしっかりし過ぎだ。
「俺のことは気にするな。ほら、後で起こしてやっから」
軽い身体を抱え上げて、毛布ごとベッドに運ぶ。
少しはだけて露になった滑らかな鎖骨と肩のラインが目に入って、思わず目を逸らす。
仲間相手に抱く感情ではないが、今の俺には些か毒が過ぎるな、これは。
「ふかふか……」
ベッドに沈み込んだフィミアが、寝ぼけた様子でふわふわと笑う。
こうしていると、昨日に鈍器で上位猿人を叩き潰した女とは思えないな。
穏やかな寝顔は、なんだか
そう考えると、逆にこいつに劣情を一瞬でも抱いた自分に強い自己嫌悪が押し寄せた。
ロロの恋人で、仲間で、妹みたいに思ってるはずなのに、一時の欲に任せて貪りたいなど、そこらの獣にも劣る。
こうして王都くんだりまで来はしたものの、やはり俺は勇者なんてガラじゃない。
なっちまったもんは仕方がないが、向いてないのは明白だ。
誰かに代わってもらえると一番いいんだがな。
軽くため息をついていると、ベッドの端に腰かける俺の背中にそっと手が触れた。
「フィミア? どうした、眠ってたんじゃないのか?」
「ユルグが、辛そうでしたから」
誰のせいだと思ってる。
ああ、違うな。フィミアを責めるのはお門違いだ。
こいつはこいつで、おそらく言いくるめられてサランに従っただけだ。
つまり、サランが諸悪の根源と言って過言ではなかろう。
「話してください」
「大丈夫だ」
「無理した顔をして、ため息をついてましたけど?」
ベッドに横になったままふわりと笑うフィミア。
こいつったら、今の自分がどんなに危ない状況に置かれているかわかっちゃいない。
まだ寝ぼけているんだろうか。
「なぁ、フィミア」
「はい?」
「お前、自分が嫌になったことはあるか?」
「ありますよ。人間ですからね」
小さく苦笑しながら体を起こしたフィミアが、俺の背中をさする。
「例えば、あの日。あなたに『勇者選定の儀』を施した日……わたくしは、自分の迂闊さがひどく嫌になりました」
「気にするなと言ったじゃないか」
「それでも、わたくしはあなたのつらい過去を笑い話にしようとしたのです。聖職者として──いえ、人として、友人としてあってはならないことでした」
フィミアの声に、少しばかりの後悔が滲んでいる。
俺としてはそう気にしていないのだが、フィミアにとってはそうでないらしい。
「あなたは昔、自分は価値のない人間だと言いました」
「言ったか? そんな事」
「ええ、まだ駆け出しのころ。自分には大した価値などないから、治癒はロロさんを優先してくれと」
言った気がする。
あの頃の俺たちはまだまだ未熟で、フィミアにしても今ほど強い治癒の奇跡は起こせなかった。
だから、何かあった場合の優先順位を伝えるためにそんなことを言ったような気がする。
「マルハスで生活するうちに、あなたの過去を何度も耳にしました」
「悪評ばかりだっただろ?」
「……はい。それがあなたにあのような言葉を言わせたのだと、茶化した後に気が付いたのです」
背後で小さくぐずる〝聖女〟。
それを見たくなくて、俺は振り向かない。
女の泣き顔は苦手だ。それが俺のせいだとなると、余計に。
「いや……こんな話がしたかったわけじゃねぇんだ。嫌なことを思い出させたな」
「では、ユルグが話してください。今度は、わたくしに」
おっと、まずったな。
フィミアに語らせておいて、俺が口をつぐむというのは不義理になっちまう。
かと言って、〝聖女〟相手に「ちょっと性欲のはけ口に困っていて。実もお前もそういう目で見てるんだ」なんて言えるわけがない。
「いろいろあんだよ、俺にも」
結局出てきた言葉がこれとは、俺というやつはつくづく頭の回転が悪い。
「どんなことがですか?」
「いろいろつったらいろいろだ」
「何か隠していますね? ユルグ」
「黙秘の律だ、〝聖女〟サマ」
「何でもそれで秘密にできると思わないことですよ」
納得できなかったらしいフィミアが、毛布から這い出して俺の前に回り込んでくる。
起き抜けの女の匂いが、ふわりと鼻をくすぐって思わず俺は目を閉じた。
視界に入るなら、せめてしっかりと着込むなり毛布を纏うなりしてほしい。
そんな薄っぺらな寝間着だけで、男の前に姿をさらすもんじゃない。
「ユルグ、聞いているのですか?」
「もちろんだ」
「どうして、目を閉じるのですか? 顔まで逸らして」
「いろいろあんだよ、察してくれ!」
俺の顔に手を触れるフィミアから逃れようとした瞬間、バランスが崩れた。
咄嗟に両手を広げて、倒れ込むフィミアを抱きかかえる。
俺の身体の頑丈さだと、当たり所が悪いと怪我をさせちまう。
「おっと。はあ……気を付けろ」
「は、はい。すみません、ユルグ」
俺の上で妙に緊張した様子のフィミア。
……しくじった。これは大しくじりだ。
ここまで頑張ってきた俺の努力が水の泡だ。
「とりあえずどいてくれるか?」
「……そうしたいのですが、腰が抜けてしまったみたいで」
顔を真っ赤にしたフィミアが申し訳なさそうに笑う。
笑い事じゃないんだぞ、〝聖女〟サマ。
「そら、もう少し寝ておけ。俺は少し、散歩してくる」
「は、はひ……」
フィミアをそっとベッドに投げ込んだ俺は、くらくらする頭のまま部屋を後にした。
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