第13話 出立の日

「カティ、明日からしばらくここを空ける。お前がマスター代理だ」

「はい?」


 一通りのミーティングを終えて支部長室に帰還した俺は、さっそくカティに仕事を放り投げる。

 唖然とした顔で固まるカティの正面に立って、肩をぽんぽんと叩き俺は笑って見せた。


「サランの指示でな王都まで行くことになった。戻んのは二か月後の予定だ」

「えええ、嘘ですよね? その間、わたしがマスター代理だなんて無理ですよ!」

「いいや、お前ならできる」


 無茶振りをしている自覚はあるが、本音でもある。

 『開拓都市』、そして『新市街』立ち上げ時の大混乱した時期を、俺とロロの補助があったとはいえ、たった一人でさばいてきた女だ。

 優秀なスタッフが揃っている今なら、問題なく回せるはず。

 少なくとも、俺が二か月ばかり不在にするくらいでどうこうなるとは考えにくい。


「大丈夫だ。冒険者どもはもう十分にカティと信頼関係ができてるし、ギルド職員も優秀な連中が詰めてる」

「でもですね、わたし……事務局長なんて言ってますけど、元はただの受付嬢でして」

「いまは違うだろ?」


 そうとも、今は違う。

 こいつはこれで、俺好みの肝が据わった女だ。

 なんだかんだと言いつつ、逃げたり投げ出したりはしない。

 そんな俺の信頼が伝わったのか、カティが小さくため息をついて頷く。


「もう、わかりましたよ。サランさんの指示ってことは、きっと重要なことなんでしょうし」

「悪いな、しばらく留守を頼む。こんな事、お前にしか頼めないしよ」

「……その言い方はずるいですよう。もう」


 両手を広げてハグを敢行してくるカティを、あえて迎え入れる。

 こいつの過剰なスキンシップも、しばらくはお預けだからな。


「王都のお土産、お願いしますよ」

「おう。何がいい?」

「お任せします。あと、一杯奢りですからね」

「わーった。帰ってきたらな」


 軽く抱擁を返して、カティの背中を軽く撫でる。

 次に会うのは、春が来てからだ。

 少しくらい、お互いの熱を覚えておくための時間があってもいい。

 ……サランには釘を刺されていたが、このくらいは許してもらおう。


「もう酒樽一つくらいツケがたまってますからね?」

「そこまでじゃねぇだろ。だが、まぁ……せっかくだ。王都で美味くて高ぇ酒を一本買ってきてやる。それで勘弁しろ」

「悪くない提案ですね。代わりに、おつまみはわたしが準備しますよ、田舎ヒルテには美味しい食べ物がたくさんありますから」


 腕の中でカティがくすくすと笑う。

 どうやら、ご機嫌取りはうまくいったらしい。


「こういうとき、キスの一つでもするものでは?」

「おいおい、それで済むほど初心うぶじゃねぇぞ、俺は」

「そんなこと言って、絶対手は出してくれないんですよね。ユルグさんは」


 かわいい挑発に乗って、カティの額にそっと唇を触れさせる。

 一瞬だけ驚いた様子で固まったカティだったが、次の瞬間には少し頬を染めて悪戯っぽく笑った。


「もう。どうしてここで額なんですか? 紳士なのか意気地なしなのか、どっちです?」

「帰ったら教えてやるよ」

「ユルグさんは、すぐそうやってはぐらかす」


 そう口にしながら、ぎゅっと俺に抱きついてくるカティ。

 ふわりといい匂いがして、少しばかりの理性が蒸発した。

 サランに言い含められてなきゃ、危なかったかもしれない。


「気を付けて行ってきてくださいね」

「おう」


 温もりの名残惜しさにしばらく抱き合って、しばし。

 十分に英気を養った俺は、カティに軽く手を振って支部長室を後にした。



 ──翌朝。


 移動用の馬をトムソンに用立ててもらった俺達は、修繕されたマルハスのアーチを潜って久しぶりの街道に出た。

 フィミアはいつものようにグレグレに乗っていて、白鱗の走大蜥蜴ラプターは妙にうれしそうにしている。


「馬での移動は久しぶりだから少し緊張するね」

「ああ、しかも……王国の端から端みたいなもんだからな」


 ロロに頷いて、俺は栗毛の馬の首を軽く撫でる。

 トムソンが準備してくれたこいつは大型の騎乗馬で、軍馬にも使われる品種であるらしい。

 俺が近づいてもビビらなかったので、それなりに相性はいいはずだ。


「前回の移動と同じに、魔法で馬を強化して移動しよう。まず目指すのは、冒険都市アドバンテだ。それでいいよな? サラン」

「ええ、問題ありません。その後は北西街道を通って、王都を目指します」


 冒険都市アドバンテは王国中央部にある交易都市でもある。

 まずは、そこを目指すのが移動順路としては確実だ。

 それに、道中でいくつか情報集めをしておきたい。


 件の〝淘汰〟とやらが、未踏破地域だけにあるとは限らないのだ。

 であれば、各地の情報が集まってくるアドバンテは、立ち寄らざるを得ない場所なのだ。


「『大陸横断鉄道』ができれば、便利なのにね」

「ああ、一度は乗ってみたいよな」

「そのためにも、きりきりと働いてくださいね。何をするにも、金が要るんですから」


 夢のある話に、夢のない話をかぶせてくるサランに少しばかりげんなりしつつも、一人だけ馬でなくグレグレに騎乗するフィミアを振り返る。


「どうだ、いけそうか?」

「ぐれぐれ!」

「大丈夫みたいです」


 やる気十分といったグレグレに、小さく笑うフィミア。

 絵になるペアに頷いて、俺はロロに視線を向ける。


「馬とグレグレに雪上歩行と体力強化の魔法を頼む」

「うん、わかった」


 左右に指を振りながら、小さな燐光を放つロロ。

 詠唱もブレもない、見事な魔法。

 相変わらずの離れ技に、サランまでが目を細める。


「ついでに〈防寒レジストコールド〉の魔法もかけておいたよ」

「おう、ありがとな。それじゃあ、最初の目的地はヒルテだ。日が落ちる前に到着するぞ」


 俺の言葉に、各々が頷いて進み始める。

 あの日、故郷に戻るために辿った街道を、今度は王国の西へと抜けるために走る。

 朝日が雪を照らす中、王都スルディナへの旅はこうして始まった。

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