第10話 訊くべきではなかったこと

「まずいことになった……」


 自宅でコーヒー豆を挽きながら、足りない頭を捻る。

 確かにサランには「好きにやれ」と伝えはしたが、少しばかり……いや、かなり困ったことになってしまった。

 あいつ、俺とフィミアがって話に持っていこうとしてやがる。


 なんでも、サルディン正教における神話上の勇者と聖女は『そういうもの』であるらしい。

 だからといって、俺とフィミアをする必要がどこにあるのか。

 ……あるんだろうな、おそらく。

 少なくとも、サランの描くプランの中では。


 豆挽きを一回し、もう一回しとするが、いい案は浮かばない。

 サランを怒鳴り倒して置き去りにしてきてしまったが、何とかならないかと頭を下げるべきだったやもしれない。

 それはそれで業腹ではあるが。


 結局、考えがまとまらぬままコーヒーを淹れ終わってしまった俺はテーブルに座り込んでため息をつく。

 そのため息が終わると同時に、扉がノックされた。


 誰が来たかはわかっているので、返事もせずに俺は扉を開く。

 立っていたのは、荷物を抱えたフィミアだった。


「今日からこちらで暮らすようにサランに言われたのですけど……」

「ああ、俺も聞いてる。家具はもう運び入れてあるから、後は好きにやってくれ」

「事情を教えていただけます?」


 そのように言われて、俺は愕然とする。

 まさかあの野郎、何も言わずにフィミアをよこしたのか?

 でもって、こいつはこいつで考えなしにそれに乗ったのか?

 どうなってるんだ、まったく。


 まあ、ここはパーティ拠点としての意味合いもある。

 フィミアの私室だってあるわけなので、疑えというのも酷な話か。


「サランからは?」

「必要なことです、とだけ」

「お前さんの予想は?」

「教会からわたくしを遠ざける方策、でしょうか?」


 あの腹黒眼鏡め!

 情報を絞って、フィミアを誘導したな?

 してやられた。


「とりあえず、荷物を置いてこい。こいつはちょっと二人でしっかりと詰めなきゃならん案件だ」

「そうなんですか? では、少し待っていてくださいね」


 ぱたぱたと軽い足音を立てながら。階段を上っていくフィミア。

 その後姿を見ていると、ふと気が付いてしまった。

 なんだかんだと表向きに文句を口にしても、そこまで拒否感をもっていない自分に。


 例えば、フィミアがロロのものでなかったとしたら……俺は喜んでこの状況を受け入れたかもしれない。

 そんな、ありもしない仮定をする程度には受け入れてしまっている。


「はあ……」


 どうにも、これはよくないな。

 うっかりあってしまってからでは遅いのだ。

 それでもって、俺はあんまり自分の自制を信用していない。


 戦事いくさごととなればあっという間に失せる俺の自制心が、色恋や性欲では正常だなんて都合のいい話はきっとない。

 一度火が入れば、きっと俺はやらかしてしまう。


「難しい顔で唸ってどうしたんですか? ユルグ」

「こういう時、教会で懺悔するんだろうな」

「わたくしでよければお聞きしますけど?」


 一番相談しにくいやつが、小首をかしげて微笑む。

 なんともやりにくいが、懺悔の前にまずは現状について当事者同士のすり合わせをしなくては話にならない。


「フィミア、確認しておきたいんだが……俺って、勇者なのか?」

「はい、そうなりますね。実際に〝淘汰〟を退けていますし」

「そもそも、〝手負いスカー〟はその〝淘汰〟とやらだったのかよ? 俺たちを惑わせるためにフカシこいたんじゃねぇのか?」


 俺の言葉に、フィミアが小さく首を振る。

 自信満々に、少し笑って。


「自称であったのは確かですが、ユルグが勇者としての力を揮ったのは確かですよ。自覚があったでしょう?」


 あの時──確かに俺は、異常なまでに湧き溢れる力を感じていたし、なにより……あの、『歪んだ魂』を叩き潰した感触は今でも覚えている。

 だが、それが何であるかなど、今まであまり深くは考えてこなかったし……せいぜい、フィミアが施してくれた特殊な強化魔法だろうくらいにしか思っていなかった。

 まさか、こんな大事になるとは。


「はあ、わかった。よし、それはそれでいいとしよう。で、だ。サランのやつが言うには、俺はお前と一緒にいなきゃならんらしい」

「古いしきたりでは、そうなりますね。〝聖女〟は勇者を聖別し、支えるものというのが教会での一般的な教えとなります」

「それは、えーと……いや、やっぱいい。話はわかった。悪いが、必要に応じてそれらしく振舞ってくれ」


 目をそらした俺の前に歩いてきたフィミアが、背伸びをして俺の両頬をその手で挟む。

 少しひんやりとした柔らかい感覚にやや驚く俺を、フィミアがじっと見た。


「何かを隠しましたね? ユルグ」

「教会にだって黙秘の律があるじゃないか。気にするな」

「まあ、わたくしが教えたことを覚えていてくださったのですね、うれしいわ」


 にこりと笑ったフィミアだが、笑顔のまま首を横に振る。


「でも、ダメです。話してください」

「勘弁しろ」

「言わないと、サランさんに助言を求めます」

「もっと勘弁しろ」


 あの陰険眼鏡が余計なことを吹き込みでもしたら、もっと致命的な状況になりかねない。

 それだけは、どうしても避けたい。


「わーったから、離せ」

「はい、どうぞ」


 手を放して、ちょこんと椅子に座るフィミア。

 随分と姿勢がいい。これは、誤魔化しがきかない『聴く姿勢』だ。

 しかたない、話しげろっちまうか。


「お前がさっき言った、支えるの内容に……は含まれるのかってのを確認したかったんだ」

「……」


 笑顔のまま固まったフィミアの顔が、見る見るうちに耳まで真っ赤に紅潮していく。

 ほらみろ、訊くべきじゃなかった。


「どどど、どうして、そのようなこと……を?」

「サランが俺にそう吹き込んだからだよ……!」

「ええええ……」


 手で顔を覆って足をパタパタとさせるフィミアに、なんだか俺まで気恥ずかしくなってしまう。

 ああ、まったく……これじゃあ、本当に童貞のガキに戻っちまったみたいだ。

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