第40話 カティ・グリンベルの誘惑

「マスター、現地調査拠点の設営が完了したとのことでっす」


 真新しい冒険者ギルド建物の最上階にある、真新しい支部長室にカティが飛び込んできた。

 俺がギルドマスターに指名されたと同じく、この受付嬢も事務局長として正式に任命されたらしく、ここのところずっとご機嫌だ。


「カティ、後生だから俺をマスターって呼ぶのやめてくんねーかな?」

「無理ですよ。実際に、ギルドマスターなわけですし」

「そこを何とか」

「まかりません!」


 カティがにこにこと笑いながら、強い拒否を示す。

 というか、俺がこんな椅子に座る羽目になった一端は、この受付嬢にもあるのだ。

 なにせ、カティには調査員の面談があったのだから。


 俺のことをもう少し悪し様に言ってくれればよかったものを、どうも「ユルグさんはすごいんですよ!」なんてことを言ったらしく、それが今の状況に繋がってる可能性は大いにある。

 であれば、少しくらい俺の話を聞いてくれたっていいと思うのだが。


「いやー、ユルグさんと一緒は仕事がやりやすくて助かりますねぇ」

「そうなのか?」

「そうですよ。わたし一人じゃ、きっとうまくいきませんでしたし。冒険者の方って、やっぱり筋肉で話すところありますからね」

「最初だけだろ。いまさら俺の筋肉がいるとは思えねぇけどな」


 小さくため息を吐きながら、積まれた書類を一枚とって、スタンプを押す。

 どれもこれも、カティとロロ、そして優秀なギルドのスタッフが確認したものだ。

 俺が手ずからスタンプを押す必要がどこにあるのか問いたい。

 誰に問うべきかはわからないが。


「まあ、いい。明日からしばらく出るぞ、カティ」

迷宮ダンジョンの調査ですね? お早くお戻りください」

「おいおい、冒険者相手に無茶を言うんじゃねぇ。きっちりこなすまで帰らんぞ」


 迷宮ダンジョンの調査は、今後のマルハスの発展や開拓方針を決めるのに重要な仕事だ。

 ここで中途半端をやらかすわけにはいかない。

 『メルシア』の他にも二つのパーティが参加する予定だが、メインはやはり俺達だ。

 深い知識を持ったサランであれば、多くのことに気付くことができるはず。


「でも、マスターがいないと、なんだか締まらないんですよねぇ」

「そこをきっちりするのが事務局長の仕事だろうが」

「おっと、正論は禁止です!」

「なんでだよ!」


 くすくすと笑うカティが、俺の肩をもみ始める。

 カティの力じゃ大して揉み解されはしないが、こうしてもらう時間はなんだか好きだったりする。

 まあ……カティが美人で、俺が女好きなだけという見方もできるが。


「でも、本当に気を付けてくださいねユルグさん。わたし、心配してるんですよ?」

「俺がお前さんに必要以上の心配をかけたことがこれまであったかよ?」

「この間、意識不明で運ばれてきましたけど?」


 すっかり忘れてた。

 喉元過ぎれば何とやらってヤツだな。

 カティの言う通り、もっと気を付ける必要があるかもしれない。

 どうも、気を抜き過ぎだ。


 きっと、こんなデスクワークばっかりやらされてるせいだな。

 俺はもっと魔物モンスターの殺気がばんばん飛び交う場所にいないとダメだ。

 早いところ、ギルドマスターなんてやめさせてもらおう。


「当支部のマスターさんは、なんだかんだ言いながらいつも無茶するんですから。ときどき帰ってこないんじゃないかって不安になるんです」


 背後でそんなことを口にしながら、俺をゆるく抱擁するカティ。

 そこまで不安にさせていたとは、ちょっとばかり予想外だった。

 仮にも部下であるカティにそんな思いをさせていたと思うと、やや申し訳なく思う。


「できるだけ早く帰ってくる。そしたら一杯やろうぜ」

「そんなこと言って。まだ一回も奢ってくれてませんよ?」

「いまのとこ、マルハスにはお前と飲むにふさわしいバーも、連れ込み宿もねぇからな」

「まあ! さすが、都会の二つ名持ちはお上手ですねぇ」


 背後でカティが小さく噴き出すようにして笑う。

 この妙な明るさは、こいつの誇れる持ち味だ。

 まだまだ緊張感の高いマルハスで、カティの笑顔に救われてるヤツは結構いる。


「でも」


 ぎゅっと俺の頭を胸に抱きこんで、耳元で囁くカティ。


「田舎娘をあんまりからかうのはよくないですよ?」

「そういうお前も、あんまり俺をその気にさせるな。何かあっても責任を取ってやれん」

「わたしは、無責任でもいいんですけどね?」

「バカ言うな。お前みたいないい女、つまみ食いで済むもんかよ」


 軽く笑いながら、冗談と本気を半分で返す。

 そう長い付き合いではないが、故郷マルハスのために働いてくれている女だ。

 それなりに情もあれば、こうして触れられても嫌悪感がない程度には気も許している。


「もう。ガードが固いなあ、ウチのギルマスは!」

「自制心があると言ってくれ。自信はなくさなくていいぞ、もう一押しだ」

「そのもう一押しが、遠いんですよ。……今日も惨敗です」


 ふわりと俺の抱擁を解いて、カティが離れる。

 豊満の感触には文字通り後ろ髪を引かれる思いだが、今はまだこのくらいの距離感でちょうどいい。


「では、嫌がらせに仕事を置いていきますね」

「勘弁しろ」


 小さく笑ったカティが、デスクの上に数枚の羊皮紙を置いて去っていく。

 新たな書類仕事にげんなりしながらそれをつまみ上げると、記されていたのは迷宮ダンジョン調査に関する諸々の資料だった。

 なるほど、俺の仕事ではある。


「さて、明日までに片づけられるもんは片付けておくか」


 そう独り言ちて、まだ殺風景な支部長室で俺はスタンプを振り上げた。


 ◆


「これは……ラジャイ時代、いえ、もう少し古いですね。埋没の状況からしても、おそらく第三〝淘汰〟時代の遺物が迷宮ダンジョン化したものでしょう」

「毎回毎回、よくもまあ、そんな事がわかるもんだな」


 迷宮ダンジョン入り口のレリーフを見て話すサランに俺は小さくため息を吐く。

 学のない俺からすれば、サランの知識の深さはもはや魔法のようなものである。


「何事も知識と経験ですよ、ユルグ」

「あいにく俺には足りんもんだな」

「いいえ、方向性が違うだけです。例えば、そこで砕け散ってる毒大蛙ポイズントード……どうして右側面からの攻撃で頭を吹き飛ばしたんです?」


 サランの指さす先には、さっき襲撃してきた蛙の魔物モンスターが無残な状態で転がっている。


「そりゃ、正面から叩くと毒液が周りに飛ぶかもしれねぇからだろ? 一回、ひどい目に合ったしな」

「それが、知識と経験です」


 サランの言葉に「なるほど」と呟く。

 つまるところ、得意分野と経験が違うだけで俺もサランも変わらんという訳だ。

 そう言われると、自分が少しばかり賢くなった気がする。


 気がするだけで、やはり学の無さは気になってしまうが。

 なにせ、読み書きすら怪しいもんだから、マスターの仕事の大半を誰かに任せる羽目になってしまっている。

 スタンプを押しているだけの人にならないために、もう少し俺も『学』に余力を振り分けねばなるまい。


「初回の侵入は我々『メルシア』で行います。残るパーティには、予定通り周辺の調査をお願いしましょう」

「おう。それじゃあ、先行警戒に行ってくるぜ」


 軽く手を上げて迷宮ダンジョンの入り口に向かう俺に、ロロとフィミアが強化の魔法を施す。

 いつもの手順に小さく気合を入れるが、後ろに一人足りないのには少しだけもの悲しさを感じた。


「気を付けてね、ユルグ」

「勝手に戦闘を開始しないでくださいね」


 ロロとフィミアに軽くうなずいて、薄暗い迷宮ダンジョンの中へと一歩踏み入る。

 ひんやりとした空気が足元から漂って俺の身体をきりりと緊張させた。


「しばらくぶりの迷宮攻略ダンジョンアタックだ。慎重に行かねぇとな……!」


 整然とレンガが積み上げられた広い通路を、俺は足音を殺して注意深く歩き始めた。


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