第33話 〝手負い〟の目指すもの

 マンティコアの老いた人面が、力任せの一撃に耐えられずに引きちぎられ空を舞う。

 頭部を失った〝手負いスカー〟は何歩かよろよろと後退り、その巨体をどさりと横たえた。


「よし、終わりだ」


 戦棍メイスの血を軽く払って、小さく一息つく。

 これで、マルハスの脅威は去ったのだとほっとした瞬間、「ユルグ!」と叫び声と共にロロが俺を突き飛ばした。


「んなッ……!?」


 驚いたその瞬間、ロロが蠍の尾に刺し貫かれて吹き飛ぶ。

 ──さっきまで、その場に立っていた俺の代わりに。


「あぐ……ッ」

「ロロ!」


 森に倒れ伏すロロの元に駆けよって、抱え起こす。

 蠍の鋭い尾先は、真銀ミスラル製の鎖帷子チェインメイルを貫通して、ロロの腹を大きくえぐっていた。


「もう。あそこで……気を抜くなんて、ユルグらしく……ないなぁ」

「しゃべるな。おい、フィミア!」

「わかっております!」


 グレグレから飛び降りたフィミアが、ロロに手をかざして治癒の神聖魔法を施し始める。

 しかし、うっすら紫に変色したロロの傷は一向に塞がる気配がない。


「呪毒……! いえ、わたくしなら治癒可能です。もう少し頑張ってくださいね、ロロさん」

「ユルグ、前だけ向いて。キミなら、できる」


 口から血を吐き出しながら、指を振って俺に強化魔法を放つロロ。

 それに頷いて戦棍メイスを担ぎ上げた俺は、〝手負いスカー〟に向き直る。

 サランの攻撃的な魔法に晒されながら、〝手負いスカー〟は今まさに起き上がるところだった。首のないまま。

 確かな手ごたえを感じたはずなのに、何でだ……!


「困っちゃうよね。そういう暴力振るわれると」


 転がった顔が、邪悪に笑む。

 異常な様相に、一つまみの恐怖を感じるがここで怯んでもいられない。


「バケモノが……!」

「気を付けてください。これは、ちょっと私も知らない状況です」


 サランが知らないとなると、王国では初観測の現象ってことだな。

 ってことは、対策も解決策も手探りってワケか。

 なかなか厄介だぞ、これは。


「俺が前に出る。お前はいつも通り『観測と観察と考察』だ」

「あなたが意外と冷静で助かりますよ」

「バカ言え、もうすぐキレる」


 そう口にした瞬間、俺の怒りが理性を上回った。

 目一杯の力で地を蹴って、再び〝手負いスカー〟に躍りかかる。

 俺の不注意が原因とはいえ、ロロの腹に穴をあけてくれた礼は、たっぷりと返さねばなるまい。


「無駄だって。僕は不死身なんだから」

「大した自信じゃねぇか。なら、本当にそうか確かめてやるよ」


 いつの間にか定位置に戻っていた頭部に向かって戦棍メイスを振り下ろす。

 件の魔法障壁に阻まれはしたが、サランが魔法によるアシストでそれをかき消した。

 この様子を見るに、サランの『観測と観察と考察』はすでに功を奏している。


「えぇい、小賢しいなぁ」


 苛ついた様子の〝手負いスカー〟がその両眼まなこから、魔法の熱線をサランに向かって放つ……が、猛スピードで駆けてきたグレグレがサランを頭で跳ね上げるようにして背に乗せて走り去り、事なきを得た。

 トムソンのやつ、グレグレに芸を仕込んだな?

 おかげで、助かったぜ。


「よそ見してんじゃ、ねぇ……よッ!」


 横薙ぎ、回転撃、振り下ろし、打ち上げの四連撃を〝手負いスカー〟にぶち込む。

 この馬鹿みたいに重たい大型戦棍メイスによる一撃はどれもが一撃必殺の威力を備える。

 それを連続で叩きこまれれば不死身だろうが、ただではすむまい。


「ぐ、あ……!」


 〝手負いスカー〟がたたらを踏んで、数歩下がる。

 手ひどい傷を与えはしたが、死んではいない。

 なるほど……不死身ってのはあながちウソでもないらしい。


「無駄だよ。僕を殺すことはできない。僕は……もうすぐ〝淘汰〟になるんだから。人間をたくさん食べて、食べつくす〝終末の獣〟になるんだ」

「俺一人仕留められねぇ獣風情が大きく出たもんだ!」

「なめるなよ! 人間風情が!」


 〝手負いスカー〟が絶叫じみた咆哮を上げる。

 瞬間、足がすくんだように自由が利かなくなる。

 しくじった、まさか『竜咆哮』まで使えるとは予想外だったな。


 振り上げられた前足が、風圧を伴って俺に迫る。

 俺の身体にそれが触れる瞬間、十数枚の防護魔法が俺に張り巡らされた。


「ユルグ! 大丈夫ですか?」

「フィミア! ロロは?」

「もう大丈夫です!」


 フィミアの返事と同時に、〝手負いスカー〟の額に太矢クォレルが突き刺さる。

 ちらりと背後を伺うと、俺が投げ捨てた『ぶち貫く殺し屋スティンガー・ジョー』をロロがぷるぷる震えながら抱えていた。


「もう、これ……重すぎ」

「無理すんな! 傷が開くぞ!」

「大丈夫……だよ!」


 パチンとロロが指を鳴らすと、〝手負いスカー〟の額に突き刺さっていた太矢クォレルが、青白い光を伴って爆裂した。


「ぎぁあッ!」


 たしか、魔法石を小型の炸裂弾に変える魔法だったと思うが、あんな真似ができるなんて!

 〝妙幻自在〟はまさにロロに相応しい二つ名であるらしい。


「おのれ……おのれ人間どもめ。喰らいつくしてやる……!」


 再生しながら〝手負いスカー〟がさらに体を大きくする。

 もはや小型の竜みたいな大きさだ。


「サラン! まだか!?」


 グレグレに乗ったまま、周囲を駆けるサランに声をかける。

 俺の声に参謀が、小さく首を振った。


「申し訳ないのですが、手詰まりですね。〝手負いスカー〟が〝淘汰〟の一端となるのであれば、今の我々で仕留めるのは無理です」

「なんだ、賢い奴がいるじゃないか。お前はよくわかってるから一番最後に食ってやるよ」


 しわがれた声をあげながら〝手負いスカー〟がにんまりと笑う。

 苛つく顔だ。不死身なのを後悔するまで、ずっと殴り続けてやろうか?


「どうすりゃ、仕留められる?」

「聖遺物が必要です」

「はン、そりゃ手間なことだな」


 聖遺物は、〝淘汰〟──すなわち、世界の危機に対抗するために選定された『勇者』が持っていた武器のことだ。

 俺はよく知らないが、こういう人智を超えた存在と相対するために必須の武器で教会が管理している。

 つまり、ここにないってことだ。


「ないもんは仕方がねぇ。試しに死ぬまで叩き潰してやる」

「ユルグは相変わらず無茶なんだから」


 戦棍メイスを担ぎ上げた俺の隣に、小剣を抜いたロロが並ぶ。

 ガキの頃はひょろいヤツだと思っていたが、なんて頼もしいんだろう。


「お前と二人なら、何とでもなるか」

「もちろん。ボクならユルグに合わせられるしね」


 そんな俺達の背後で、小さなため息が聞こえる。


「まったく、どうして私は人を見る目がないんでしょうね。また手駒が勝手に動く」

「はン、お前とフィミアは退け。あとを任せた」

「そうしたいのはやまやまですが……はあ、私もヤキが回りましたね」


 グレグレから下りたサランが杖を構える。

 冷血参謀の普段のそれと違う態度に少しばかり驚いてしまった。


「おいおい、どういう風の吹きまわしだ?」

「さぁ? でもここであなた方を見殺しにするべきではないと私の勘が言ってるんですよ」

「お前が勘だ? 魔物料理モンスター・ジビエの喰い過ぎでちょっとバカになったか?」

「……あなたと一緒にいたせいですかね」


 目を細めて、小さく口角を上げるサラン。


「グレグレ、フィミアさんを安全なところに。フィミアさん、聖騎士と聖遺物の要請をお忘れなく」

「いいえ、わたくしもここに在ります」


 言い出すと思ったが、言ってほしくない言葉だった。

 これじゃあ、足止めの意味がない。


「ほんと、人間って愚かだなぁ」


 にまにまとこちらを睥睨する〝手負いスカー〟。

 そんなマンティコアに向かって、フィミアが首を振る。


「愚かなのはあなたですよ、〝手負いスカー〟。わたくしたちを侮り過ぎです」


 きっぱりとそう言い切った、フィミアが俺の背中に触れる。

 あの日、俺に赦しを囁いたときのように。


「覚えていますか、ユルグ。わたくしがあの日かけた魔法のことを」

「……勇気のでる魔法?」

「いまも、感じるでしょう? あなたの心に宿る光を」


 そう問われて、俺は胸中で揺らめく『心の火』を思い出す。

 フィミアのいう通り、それは確かに今も俺の中に静かに、しかし強くある。


「誰もがそれを宿すわけではありません。ユルグが、それに相応しい人だったからこそ、わたくしが赦し、あなたに宿ったのです」


 背中を押すようにして、フィミアの温かな魔力が俺に注ぎ込まれる。


「聖遺物など必要ありません。〝聖女〟フィミア・レーカースの選定せし勇者──〝崩天撃〟のユルグが、〝淘汰〟たるあなたを打ち砕きます」


 そう宣言するフィミアの言葉を聞いて、〝手負いスカー〟の顔から余裕が消えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る