第24話 聖女の赦し

「ちゃんと見張っててくださいね、ユルグ」

「……おう」


 岩陰を背にして、泉の方を見ないようにしながら俺は返事をする。

 どうしてこんなことになったのか、俺にも理解できないが……ロロとの立ち位置を交代させたのはフィミア本人だ。

 場合によっちゃ裸体を晒すことになるってのに、なんでロロでなく俺なのか、さっぱり理解できない。


 衣擦れの音、それからちゃぽんと小さな水音がして、しばし沈黙が過ぎた。


「ユルグ」

「なんだ?」

「わたくし、実は怒っているんですよ」


 何の話か分からず、俺は背を向けたまま首を傾げる。


「何がだ? 朝方の件なら謝んねぇぞ」

「あなたにではありません。自分にです」


 小さな水音がして、フィミアの気配がこちらを向いた。

 俺くらい狙われ慣れると、振り向かなくてもこういうことがわかるようになる。


「軽口のつもりでしたが……あなたの気持ちをもっと考えるべきでした」

「おいおい、なんか悪いものでも食ったのか?」

「茶化さないでください。懺悔しているのです、わたくしは」

「お前は懺悔を聞く方だろ。……もう気にすんな。ただの事実だ」


 俺のため息をかき消すかのように、水音がこちらに近づいてくる。

 まったくフィミアのやつ、今は裸だろうに。

 俺がうっかり振り返りでもしたらどうするつもりだ。迂闊がすぎる。

 まあ、俺がそんなことをしないと信用されているというのは、存外と嬉しいものだが。


「申し訳ありませんでした」


 すぐ背後で、フィミアの申し訳なさそうな声が聞こえる。

 どちらかというと、俺にあたりの強い〝聖女〟様のしおらしい態度に、軽く驚く。


「気にするなと言った」

「でも、もしかしたらわたくしの失言で、あのような……」

「違ぇよ、気にし過ぎだ。ずっと考えていた事だったんで、うっかり口から出ただけで、お前のせいじゃない」


 軽く手を左右に振ってフィミアに示して見せる。

 そんなものは、杞憂で勘違いだと。


「俺とくっちゃべってていいのか? 禊は?」

「もう済みました。あとは心静かに眠るだけです」

「じゃあ、もう少し心を軽くしてやるよ」


 背中を向けたままフィミアに向けて口を開く。

 こういうのはあまり得意ではないのだが、どうもこいつは気に病みすぎてるらしいからな。

 こんなことでぎくしゃくとしたくはないし、妙に気を遣われるのも勘弁願いたい。

 だから、俺は素直な気持ちを伝えることに決めた。


「正直、フィミアがこうして俺に気を遣ってくれるだけで十分に救われてんだ。見聞きしたと思うが、俺はこの村では嫌われもんでな……ガキの頃はロロとその家族だけが味方だった」

「ユルグ……」

「でもよ、アドバンテに行って、お前らと出会った。まあ、アルバートのやつは結局ダメんなっちまったが、お前にしたってサランにしたって、なんだかんだと俺の……何だ、友達でいてくれたろ?」


 改めて口にすると、どうにも恥ずかしい。

 それに友達でいいのかどうかも、些か怪しい。

 仲間と友達の違いはなんだ?

 ……お勉強のできない俺には、どっちも大事なヤツらって事しかわからない。


「お前らがいたから、俺はちょっとだけマシになれたんだ。でもよ、それを村の連中にわかってくれなんてムシのいいことは言えねぇ。拗ねたガキだったころの俺は、あいつらに迷惑をかけすぎた。恨まれたり避けられたりは当たり前なんだ。だから、俺が気のすむ程度に借りを返したら、村を出ようと思ってたんだ」

「そんなの、寂しすぎませんか?」

「そりゃあな。だが、マルハスにとって一番いいのは、俺みたいなのがうろうろしないことなんだ」


 俺の言葉が終わると同時に、背中にそっとフィミアの指先が触れた。


「どうした?」

「やっぱり、あなたはここに居ないとダメです」

「話、ちゃんと聞いてたか?」


 思わず、苦笑してしまう。

 フィミアという女のこういう一面は、何年も『シルハスタ』で顔を突き合わせていて初めてのことだ。

 表面上、物わかりのいい女で衝突を避ける気質だと思っていたが……なかなかどうして頑固だったらしい。


「わたくしは聖職者で〝聖女〟ですので、神の聖名みなにおいて、あなたの罪を赦します」

「あん?」

「過ちを悔いることを赦します。贖罪のための戦いを赦します。和解の言葉を赦します──人と共に在ることを、赦します」


 ふわりと温かいものが、身体に降り注いだ気がした。

 フィミアが何か魔法を使ったのだろうか。


「おい、フィミア?」

「聞いてください、ユルグ。あなたは優しいので、そんな風に離れようとしますけど……あなたにそうして拒まれた人は、とても悲しいと思いますよ」

「俺は拒んでなんか──」

「いいえ、あなたは拒んでいるのです。人は変わります。過去は変えられないと言ったあなたは、〝悪たれ〟でなく〝崩天撃〟のユルグへとなったではないですか。同じように、かつてあなたに触れて傷ついた人もまた、変わるのです」


 優しい声が、背中に触れる温もりと一緒に俺の心を揺さぶる。

 ずっと目を逸らして、すっかり諦めていた部分に踏み込まれてはいるが、思いのほか不快感はない。

 フィミアの『赦す』という言葉が俺を支えているような気がした。


「……わかったよ、努力はしてみるさ」

「素直なのはあなたのいいところですね」


 そんな言葉と共に、フィミアの指先が背中から離れる。

 しかし、灯された『心の火』は胸の中にとどまったままだ。


 自信……いや、勇気か?

 バカな俺には形容の難しいポジティブな何かが静かに俺の中で揺らめいていた。。


「なんだ、これ……?」

「勇気のでる魔法ですね。気分はいかがですか?」

「悪くない。ありがとよ、フィミア」

「どういたしまして……くちゅん」


 背後で小さくくしゃみをする〝聖女〟。

 最近は随分暖かくなってきたとは言え、水に浸かってうろうろしていれば冷えもする。

 俺のことをどうこうと心配する前に、自分の事をもう少し労わってほしいところだ。


「着替え、そこに置いてあっから。着替えたら戻ろうぜ」

「そうですね。あとは温かいスープでもあればいいんですが」

「わかったわかった。後で何か拵えてやる」


 魔物肉は豊富にあるし、こう見えて魔物料理モンスタージビエにはちょっとした自信もある。

 冒険者生活が長いと、そういうのには慣れるものだ。食べる方もな。


「ロロ、もう出てきていいぞ」


 フィミアが着替え終わったのを見計らって声をかけると、少し離れた木陰からロロがするりと姿を現した。

 相変わらず、魔法を使った隠形が上手い。

 どうせ、俺とフィミアの話もそこで聞いていたに違いない。


 ま、ロロが居るのがわかっていたので、俺はフィミアから離れずに話をしていたのだが。

 後で間男疑惑をかけられる心配がないからな。


「バレてたの?」

「うっすらな。姿は薄くできても、気配までは消せねぇしな」

「ユルグには敵わないなー……」


 苦笑するロロの肩を軽く叩いて笑う。


「かくれんぼは、まだまだ俺の方が得意だな」

「お、今度リベンジする? ボクだって魔法使って探しちゃうからね?」

「そりゃ反則だろ。フィミアもどうだ?」

「わたくしは遠慮します。勝てる気がしませんもの」


 軽く笑い合いながら、村への小道を三人で歩く。

 木々の向こうからは、静かに月が空に昇り始めていた。


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