変わった子

土岐丘しゅろ

色とりどりの灰色の君


 今日も空は白い。

 だから、床も白い。


 なんとかいう技術で真っ平らに作られた教室の床は、空の白を鮮やかに写すのだ。


 そんな床の上を彼女は今日も、他の生徒よりも少し黒ずんだ上履きで歩いていた。

 黒ずんだ上履きで歩き回るのは彼女だけだから、僕はいやでも目を惹かれてしまう。


 履物に限らず、彼女は変わった子だった。

 毎授業後、たったの十分しかない休み時間の度に、彼女はいつのまにか姿を消していた。


「モモさん、またどこかへ行ってしまったんだね」


 友人のレイが教室を見回して言う。

 彼は二つ隣のクラスから、しばしば彼女を見るためだけにやってくる。

 そして、その度にこうして少し落胆したように愚痴を零すのだ。


 彼だけじゃない。一日のうちで何人かの生徒が彼女目当てにやってくる。

 それくらいには、我が校の男子は彼女に興味を持っている。


「モモさんってすぐにいなくなっちゃうし、感じ悪いよね」

「ほら、あんな上履き履いているくらい貧乏だし。心も貧しくなっちゃうんじゃない?」


 単純な男子とは違って、女子の中には彼女のことが嫌いな子だっている。

 今も、僕の席のすぐ側で女子達が悪口を言っているくらいに。


 つまるところ、良くも悪くも、彼女は注目を集めてしまう人だった。

 僕だったらきっと、落ち着かなくて仕方ない。


 けれど、僕は彼女の気に病む様子を見たことがない。

 瞼の裏に浮かぶ彼女は、いつだって寄せる視線を柳のように受け流していた。





 彼女が脚を組み替え、黒のスカートをしゃなりと揺らした。


「ねえ、知っている?」


 どういったわけか、僕は学校で唯一、彼女と交流がある。


 校舎から少し離れたところにある打ち捨てられた花壇。

 彼女はいつも、そこに腰掛けていた。

 そして、僕に他愛もない話をした。


「雲というのは、白いらしいわ」


 今日の話題は「雲」のようだ。

 心地良さげに空を見上げる彼女に倣って、僕も代わり映えしない空を仰ぐ。


「ふうん、じゃあ今とあまり変わらないんだね」

「そうなんでしょうね」


 その言葉には、まるで他人事のようなそっけなさがあった。

 どうやら彼女は気分屋のきらいがあるようで、時折りこうして自分で持ちかけた話をつまらなそうに打ち切った。


 あるいは、彼女も気づいたのかもしれない。

 昔とは違って地球上の温度と湿度が一定に保たれている現代では、出もしない雲の話なんてするだけ時間の無駄なのだと。


 現に彼女は、セーラー服の黒リボンを風に揺らしながら、空を見ることなく目を閉じていた。





 彼女の長い黒髪が、ひんやりとした朝風に棚引いた。


「こんにちは」

「おはよう」


 こちらの挨拶に、彼女は手元の本に目を遣ったまま、そっけなくそう返した。

 貸出図書に負けたような気がして、馬鹿馬鹿しくも対抗心のようなものが湧く。


「初めて訊くんだけどさ」


 彼女はまだこちらに目を向けないままだった。


「どうしていつも、ここにいるの?」


 そこで彼女は、ようやっと手元から視線をずらした。

 しかし、その黒い目が流し見たのは彼女の背後、背もたれ代わりの花壇だった。


「あんな色の無い空間にずっといたら、気が狂ってしまうもの」


 おかしなことを言う、と一度首を傾げてから、僕はひらめく。

 ひょっとすると彼女は色が見えないのではないか。


 だからこそ彼女は、花々のグラデーションが分かりやすい花壇のそばに入り浸るのだ。

 つかえていたものが取れたように僕の気が晴れる。


「私も訊いてみたいことがあったの」


 不意に彼女がこちらを向いた。


「あなたはこの花、綺麗に見える?」


 僕は彼女に同情した。

 この花々の美しさが、色を知らない彼女にはわからないのだ。


「うん。とってもね」

「へえ」


 彼女の事情に気付いたからこそ、僕は力強く頷いた。

 少しでもこの花々の宝石のような色合いが伝わるように。


「もう一つだけ訊かせて」

「うん、いいよ」


 彼女の瞳が捉えていたのは、僕の手にぶら下げられている掃除ロボットだった。

 これの定期的なメンテナンスを行うために、僕はこの花壇の前を通って管理室に行く。

 今もまさにその途中だ。


「それ、面倒ではないの?」


 やはり彼女はおかしなことを言う。

 そんなこと尋ねるまでもないじゃないか。


「僕の役目だから」


 一人一人に決められた役目があるのだから、それをやるだけでいい。

 その方が効率的だし、それこそが最も面倒でなく済む方法だ。


「そう」


 彼女はすでに、手元へと視線を戻していた。

 僕はしばらくその場に立ち往生していたが、管理室へ向かうためにその場を離れた。


 その間、彼女の白魚のような手は、ついぞ頁を捲ることはなかった。





「ムクさん、ナオくん、ナイチくん・・・ツクモさん、モモさん。はい、全員出席ですね。では、朝のホームルームは以上です。先ほどの配布物は大切に保管してくださいね」


 僕は机に仕舞いかけた「治療完了証」をちらりと見る。

 そこには「長年の治療、おつかれさまでした!」という文言がポップな字体で書かれており、間抜けなイラストが笑っている。


「やっと終わったね、五感の効率化治療」


 近くの生徒が弾んだように言う。


「一番最初の視覚治療すら受けられてないモモさんみたいな子もいるみたいだけど」

「みんなは赤ちゃんの時に受けてるっていうのにね」


 生徒の一人が嘲り、何人かの生徒がくすくすと笑う。


 誰かの悪口を言うことは、自分の精神の安寧を保ち、効率的に行動するのに必要な行為だ。

 だからそれ自体を否定するつもりはない。


 けれど、彼女が目の前で悪し様に言われるのは良い気分がしない。

 だって、僕は彼女のことを綺麗だと思うから。


 目を閉じれば、今もあの場所にいるであろう彼女の姿が鮮明に思い浮かぶ。


 白黒にちらつく木漏れ日の中で濃淡様々な灰色の花々が風に揺れ、彼女の黒髪が風をつかまえる。

 今日も彼女は、白い空を見上げるのだろう。


「ああいうちょっと変わった子、僕は好きだけどな」



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変わった子 土岐丘しゅろ @syuro0112

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