第19話 文芸選評、オンエアです 1
恋人と穏やかな人生を送っていた主人公が運命の相手と出会ってロマンティックな恋を経験してハッピーエンド――というのはある種のステレオタイプで定番だ。そういうのはだいたい、相手方の恋人の方に実は問題が、とか心変わりが、とかで主人公の方に非がないように設定されている。
残念ながら今の悠里にはそんな裏の事情も心変わりする予定もまったくない。自分に運命の出会いが――なんて妄想していたバチが当たったのだと思う。これはもう十分に山あり谷ありだ。
散歩を終えて、家に帰ってからエマのことを調べてみる。
リビングでソファに寝転がりながら、スマホを眺める。
自分たちと同い年で、中学生のときから音楽を始めていて、SMSなどもやっていて、かなりの人気がある。昼間のイベントの様子をネット上にあげている人も多数いた。
実物もかわいいのだが、動画で見てもかわいいというのは相当かわいい。
仮とは言っていたもののカノジョの前で堂々と誘うのだからこれは宣戦布告と捉えてもいいのだろうと思う。いや、考えすぎか。だとしても。
「やばい。勝てる要素が距離しかない」
クラスメイトで前の席というのは相当のアドバンテージだとは思うが、向こうは向こうで音楽という共通要素がある。こちらも詩という共通点はあるが、弱いと感じる。
そういえば短歌の締め切りが明日だ。テーマは『もたれる』だが、とても思いつかない気がする。しかし言い出したのは自分の方だし、不戦勝は興がそがれてしまうだろうからなんとかしないとならない。
手作りの 彼女のお菓子を 美味しいと 食べ続けては 胃がもたれけり
嘘のようだがすぐにできてしまった。本当はチョコにしたかったのだが、時季が違うのでそれでは間違いなく選から漏れてしまうだろうからお菓子にしてみた。
考えすぎても苦しいので投稿は済ませてしまう。ラジオネームは『恋する女子高生』にした。ひねりもなんにもない。
「あ――」
これが恋なんだ、と初めて悠里は気づく。何のためらいもなくそのラジオネームをつけていた自分は今、間違いなく恋をしていた。恋心を育てるだの何だのバカなことを言っていたものだ。日色がもてるのが想像外だったから慌ててしまい、独占欲を駆られたということもあるだろう。しかしこうも自然に出ると、ああ、それとは違うんだなと実感する。
封筒と白紙も用意する。何を書こうか一瞬だけ悩んだ。しかし自然と書き出していた。
『2人だけのときは名前呼びにする』
そう書いてのり付けして、悠里はフウと息を吐いた。
ヒイロくんだのエマさんだの名前で呼び合うのは、それはストリートでの名前がそうだからそれが自然なのは分かるのだが、面白いはずがない。
日色は何を書いて封をするのか、悠里にはまるで見当がつかなかった。もちろんどんな短歌を詠むのかも、路上でギターを弾いていた彼からは想像ができない。
考えても答えがでないことは考えないことにして、明日の準備をして寝ようとしたとき穂波から連絡が来た。
〔また勉強会をしよう。桜宮くんにも声をかけてよ〕
考えるまでもなく、2週間後には定期テストが迫っていた。
〔お安いご用だよ〕
〔上手くいっているみたいで何よりだ〕
〔今日、彼の路上ライブイベントに同行して、固定ファンがいるのに驚いた〕
〔ほう〕
〔きれいな女子大生っぽいお姉さんたちが黄色い悲鳴を上げていた〕
〔だから仮でいいのかって言った気がする〕
〔桜宮くんに言ったんだよ、それ〕
〔精いっぱい、今のポジションを生かさないとね〕
〔反省しています〕
そのあとは日程の調整に入った。悠里は図書委員の当番くらいしか用事がないが、日色は分からない。連絡を入れる。特に彼もなかったようで、黒峰がよければ月曜日に始めることになった。
翌朝、教室で日色に朝の挨拶を投げかけ、封筒を渡した。日色も持ってきており、悠里はその白い封筒の中身が気になりつつも鞄にしまい込んだ。
「投稿した?」
「うん。インスピレーションが湧いてたからね」
どうやら日色には自信があるようだ。初投稿でラジオで読まれたらそれはスゴいことに違いない。
「どんな短歌にしたの?」
「恥ずかしいから教えたくない。もし採用されたらそれはいいことだけどね」
「言われると私もそうだな。ラジオネームくらい――それも私の場合、恥ずかしかった」
「僕は『ギターを持った吟遊詩人』」
「う。外堀埋められた。『恋する女子高生』」
「それはなんとも。早くも恋が形になってくれたってこと?」
「声が大きい~」
日色はクスリと笑ったように見えた。
穂波がやってきて、勉強会の話をし、さっそく今日からとりかかろうという話になった。黒峰も勉強に前向きのようだ。
授業を順調にこなし、お昼は天気がいいのでお弁当を屋上で食べ、午後の授業を眠気をこらえて頑張り、放課後になった。黒峰とは自習室で待ち合わせ、3人が到着したときにはもうノートを開いていた。前回も似たパターンだった気がする。
「久しぶり。黒峰くん」
「噂は聞いているぞ。付き合い始めたんだって? おめでとう」
黒峰は日色と悠里を交互に見た。
「飯塚の思惑通りになったわけだ。『恋の予感~♪』ってさ」
そういえばそんなことを穂波に言われていたことを思い出す。
「でも、当人たちがよければそれでいいさ。にしてもよかったなあ、桜宮。前のときから浜元のことは気になっていただろ?」
「分かった?」
「浜元は脈なかったみたいだったのに」
「――そんなことはなかったよ。少なくとも気になっていたよ」
「そのくらいだろ?」
「黒峰は意外によく見ているな」
穂波が不機嫌そうに言う。つまりそれは自分を見ている女にも気づけよという意味なのだろう。黒峰は苦笑する。
「いや。この2人がわかりやすかっただけで」
悠里は日色を見て、日色も悠里を見た。なにか小恥ずかしい。
「桜宮は浜元さんのどこがよかったんだ? やっぱり顔?」
「かわいいのに一緒にいて変にプレッシャーになることなくて、自然体でいられたことが一番かなあ。そうでないとそもそも相手の内面にたどり着かない」
黒峰相手にも自分をかわいいとか言っているのを聞くと悠里は照れるしかない。
「なるほど。参考になるな」
「私も桜宮くんと一緒で自然体でいられたからな。むしろ今の方が自然体でいられない」
「付き合い始めちゃうといろいろ考えるからね」
穂波が黒峰の隣に自然に座り、黒峰がやや驚いた様子を見せる。
「悠里と桜宮くんが一緒に座るんだから、私はここにしか座れないでしょ?」
「いや、中学のときからつきあった男がいた試しのないお前がそんなことを言うなんて」
「悪い? 恋人いない歴イコール年齢で」
「いや。ぜんぜん」
黒峰は教科書を開いた。
日色が座り、悠里は彼の隣に座る。それが自然であることを悠里は喜べた。
1時間勉強し、休憩に入る。
話題は提起テストが終わった後のことになり、まずはクリスマスの話だった。
「クリスマス前になぎさの駅でミニライブやるらしくって、出演者募集しているらしいじゃない? 桜宮くんは出ないの?」
何故か穂波からその話題が出て、悠里は失敗を悟った。瑛眞から誘われていて悠里が気にしていることを相談しておけばよかったと悔やむ。
「うーん。誘われているんだけど」
そして悠里の顔を見る。見られても悠里は答えようがない。できることならあれほどの美少女と接点を持って欲しくはない。
「地元で披露する機会なんてそうそうないんだから出ればいいんだよ。そうしたらこの勉強会のよしみで見に行ってやるからさ。どうせ部活辞めて暇なんだ」
黒峰が軽く言う。マズい流れだ。穂波がスマホをいじりながら言った。
「それはそうだね。私も見たいわ」
穂波が外堀を完全に埋めた。穂波が黒峰と一緒にクリスマス前のイベントに行きたいと考えているであろうことは容易に想像がつく。スマホに連絡が入り、見てみると穂波からだった。
〔お願い! 押して!〕
ぐっ、と悠里はお腹にたまった何かをこらえる。
「音楽活動だけというのであれば、いいんじゃないでしょうか」
「じゃあ、誘ってくれた人と相談してみるよ。まだ直接はつながっていないけどあてはあるし」
そういえばカイトさんとはつながっていた――と悠里は心の中だけで頭を抱える。
「じゃあ、出演が決まったら教えてくれよな。飯塚経由でいいからさ」
「うん」
日色はやる気を出した様子だった。
勉強会は無難に終わり、いつものように日色とは校門で別れるが、その前に日色が悠里の顔色を窺った。
「いいの? エマさんの誘いに乗っても」
「君が音楽活動だけでっていうのであれば止める理由はない」
「二股なんかかけないよ。それにそもそも僕の方が相手にされない」
「そんなのどうなるか分からないよ。優しくされたらそれだけでコロッといっちゃうチョロい女の子かもしれないじゃない」
「あのレベルの子でそれはないんじゃないかな」
チョロい女の子は自分の方だと悠里は赤面する自分を見つける。
「私と話をするより前に瑛眞さんと知り合いだったの?」
「そうだね。夏休み前にはイベントで一緒になったな」
「そう、なんだ」
時間の長さだけなら向こうの方が上かもしれない。
「黒峰くんのいうとおり、地元で披露したいなとも思う。だからエマさんの申し出、受けるよ。一緒に練習することもあると思うけど逐一報告するから」
「約束だよ」
悠里は小指を差し出す。指切りげんまんなんて、小学生のとき以来だと思う。
日色は少しためらいつつ、自分の小指を悠里の小指にからめた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます」
途中から悠里も歌う。
「指切った」
日色の小指の感覚が悠里には心地よかった。
日色と別れて帰宅すると、悠里はミコトを散歩に連れて行く。
もう毎日の散歩の時間にはすっかり暗くなり、月が昇り、星が見えるようになっていた。冬至1ヶ月前である。しばらくの間、夜は長い。
ミコトはすっかり冬毛になり、抜ける毛が減った。ふさふさで温かそうだった。彼女との散歩は穏やかな日常の象徴みたいなものだ。なのに悠里の心は騒いでならない。
瑛眞ほどの美少女が日色に近づくのが、イヤでならなかった。
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