第16話 路上ライブでライバル登場? 1

 こんなに都合がいい彼氏がいていいのか、と悠里はこの一週間、悩んでいた。


 キッチンのテーブルで紅茶を飲みながら、2人と1匹で撮った記念写真を眺める。


 足下ではミコトが丸まって寝ている。


 日色は優しく、自分の話をきちんと聞いてくれて、真面目で、フォローもしてくれて、割と格好良くて、自分より背が高くて、同じ趣味だ。意見の相違があっても気持ちが整理できて、穏やかに意見の交換ができる。料理もできるから結婚したってその点で困ることは少ないだろう。出来すぎだ。何か欠点があるとすれば押しが弱いことか。しかし今の段階、恋愛初心者の悠里としてはそれは利点だ。ゆっくり自分のペースで進められる。


 1週間、日色とお昼を一緒に過ごし、放課後も割と一緒にいて、放課後制服デートもして、同じ時間をまったりと過ごした。土曜日の今日も一緒に保育園に行って、ボランティア活動をしてきた。自分に飽きる気配がなければ日色を嫌いになるような一幕もなく、一緒にいるのが当たり前になりつつある。


 これはマズい、と思う。


 気持ちの整理がつかないまま、日常になるのはこのまま押し流されてしまうだけな気がするのだ。一方でそれの何が悪いとも思う自分がいる。そして考えて考えて、気がつく。自分は彼氏が欲しかったのではない。恋をしたかったのだ、と。マズいと思っているのは恋を欲している自分だ。山あり谷ありドラマティックな恋愛をしてみたいのだ。一生に一度くらい。でもまったりと日色と一緒にいたい自分も確かにいる。相反している。


「ミコト~どうすればいい?」


 ミコトに聞いたところで、日色と遊んで欲しいだけと答えるだけに決まっているが。ミコトは名前を呼ばれたので耳をピクッとさせ、尻尾を少し揺らした。


 贅沢な悩みだと思う。


 ここは図書室の仙人・上泉に相談してみることにする。


〔仮にドラマティックな恋をしたとしましょう。その恋を消費した後、今の桜宮くんのようにその彼と穏やかな時間を一緒に過ごせる保証は全くないでしょう。リスクは大きいと思うなあ〕


〔正論、耳が痛いです。でも恋は理屈ではないとも聞きます〕


〔一時の強い感情に惑わされないで本当の自分の感情を見つけるべきだと私はセンパイに教わりました〕


〔結局、強い感情で物事を判断すると単に周りが見えていない場合もあり〕


〔そうだけど。その強い感情を私は抱いてみたい〕


〔今がそうでしょ? ドラマティックな恋をしたいっていう〕


〔それはそうだ。相談して良かった〕


〔それは何より~〕


 なるほど、上泉のお陰で気持ちが落ち着いた。今は日色のことを考えればいいのだ。


〔ドラマティックな恋なんて望むべきではないよ。センパイと私の間にドラマティックな出来事がなかったとは言えないけどない方がいい〕


〔その出来事の内容は聞かない方がいいみたいだね〕


〔うん。たとえばだよ、桜宮くんがいなくなってしまったときのことを想像して?〕


 考えたこともなかった。単に疎遠になるのとは違うことをいっているのだろう。彼がいなくなったとして、彼を思い出にできるのか、自信がない。寂しいだろう。ふとしたときにポロリと涙を流してしまうのではないかとまで悠里は思う。


〔辛い……〕


〔だから普通の、穏やかな日常を大切にしてね〕


〔よく分かった。ありがとう〕


 そして悠里はスマホをスリープさせた。


 明日も日色と一緒だ。考えてみれば初めて彼のプライベートに足を踏み入れるイベントになる。海岸でギターの練習をしていたことを除けば、普段、彼が何をしているのか知らない。実は十分、ドラマティックなのではと思えてくる。もちろん何事もないかもしれないが、それまで楽しみにするくらいはいいだろう。


 悠里はスマホのラジオアプリの聞き逃し配信でNHKの文芸番組を聴き始める。聴取者からの投稿を俳人・歌人の選者とアナウンサーが選んで選評する番組だ。選者は毎週変わるが、2人の掛け合いが面白い。土曜日の午前中の放送で、普段はリアルタイムで聞くのだが、今日は保育園にボランティア活動に行っていたので聞くのが遅くなった。


 今週は俳句の回で、来週は短歌の回らしい。テーマは『もたれる』だった。


 面白そうなので作って送ってみようと思う。日色も誘おう。


 そう思うと気が楽になる。


 ごく自然に彼の存在が側にある。それで十分幸せではないか。じんわりと、彼のことを考えると温かくなる。それで満たされるではないか。


 悠里は1人でにんまりとした。




 翌朝、悠里は日色と館山駅で待ち合わせをした。千葉駅まで電車で2時間から2時間半くらいかかる。日色が路上ライブで割り当てられた時間が11時とのことで、本数があるのなら早すぎるのだが、次の電車にすると10時を過ぎるため、準備時間から逆算するとこの電車になる。田舎は不便だ。


 日色はギグバッグを手に大荷物を背負ってやってきた。どうやらアンプやらマイクやらをバックパックに詰めているらしい。服装も今までとは大分違う。デニムのパンツに汚いスニーカー、ダブダブのシャツに緩い黒ジャケット。帽子もバケットハットというバケツに短い鍔がついたタイプのものだ。しっかりストリートミュージシャンに見える。


「何か持とうか?」


「今は大丈夫だけど、千葉で買い物したら何か持って貰うかも」


「りょーかい」


 自動改札を通るときだけギグバッグを預かり、2人は電車に乗る。もちろん席は2人席だ。右に日色、左に悠里。2時間半、乗り換えなしの各駅停車旅になる。2時間半といえば新幹線なら東京大阪間だが、その長い時間を2人でゆっくり過ごせるのは、つきあいたての2人には贅沢だ。


 悠里は昨日思いついた短歌投稿の話を日色にする。


「テーマが『もたれる』っていうの。いつも面白いテーマなんだよ」


「じゃあ今度、聞いてみるよ。『もたれる』か。作れそうな気がする」


「私は送るよ」


「よし。じゃあ僕も頑張ってみよう」


「面白くなってきた。じゃあ、どっちか採用されたら、何かしよう」


「何かって?」


「お互いの要望を一つ叶えてあげるってのはどうかな。エッチなのは禁止だよ」


「僕にはそんな勇気はないよ。どうせ採用されないだろうけど、その話には乗ろう。放送までの楽しみになるからね」


「言ったね」


「じゃあ、気が変わらないようにあらかじめ要望を封筒に入れて、封をして、相手に渡そう。2人とも採用されなかったらその場で両方の封を開ければ、それはそれで楽しいんじゃないかな」


「名案。月曜日に交換しよう」


「うん」


「何書くの?」


「言ったらつまらないじゃないか」


「もう決まってるみたい」


「そのとおり。僕は決まっているよ」


「だからそっちに話を持っていったのか……でも、私も考えてくるから」


 日色は笑う。いつもと同じ笑顔でも格好が違うからイメージが随分違う。同じように隣に座って、お互いを見ているだけなのに日色は垢抜けて見える。


「今日も浜元さんはかわいい。コットンのロングスカート、イメージにぴったりだ」


「なんのイメージ?」


「私服を初めて見る前に想像していた浜元さんのイメージ」


「そうなんだ」


 ちなみに上はワインレッドのセーターにダウンベストだ。もう朝夕はかなり冷え込む。


「今日の桜宮くんはイメージ違うね。なんていうか別人みたい」


「形から入ってみたんだ。目が肥えた人からはまだ七五三の衣装みたいに見られると思う」


「どんな目の肥えた人?」


「ストリートミュージシャンをよく見に来る人。やっぱり馴染んでいる格好かそうでないかは見る人が見れば分かるよね」


「なるほど~」


 千葉駅前でやるというそのイベントが楽しみになってきた。


 音楽を特に好んで聞かない悠里にしてみるとわざわざアマチュアの演奏を聴きに行くという発想自体がないのだが、そもそもそれが自分の引き出しの乏しさを露呈していると思う。引き出しが多ければ多いほど、短歌でも詩でも言葉を紡ぎやすくなるだろうし、表層的にだけでなく、深い表現ができるようになるのではないかと思う。


 なんでも楽しみたいと思う。しかしそれは日色がいてくれるから覗ける世界なのだ。


「どうしてギターを始めたの?」


「ウチ、親が厳しくてさ、ゲーム機ないんだ」


「今どき珍しい。親がゲームばっかりやっているお宅だってあるのに」


「でもギターはあったんだ。電子ピアノもあるけどそっちは弾けるけど、毎日弾かないと指が動かなくなるから、今は惨憺たる有様だと思う。ギターは、外に持って行けるのがよかった。好きなところでいろいろ弾いて歌ったよ。田舎だから誰もいないし」


「駅の近くなんだからそれなりに人いるじゃない」


「都会と比べればね」


「そうだねえ」


「そのうち、誰かに聞いて欲しくなって、千葉まで行ってゲリラで弾き語りしてさ。弾き語りだとコード間違えてもなんか勢いでなんとでもなるし。もちろんコピーばっかりだったんだけど、それだけじゃ物足りなくなって、自分で作詞作曲したくなった。もともとクリエーター気質なんだろうね」


「そんなとき、私の席の後ろになった?」


「うん。かわいいと思っていたからもともと気にはなっていたんだよ」


「そんなストレートに言われても照れるな……」


 悠里は赤くなって俯く。


「カノジョをかわいいといつでも言えるのはカレの特権だと思う」


 彼女をカタカナで言っているのは分かる。しかし更に照れる。あれ、これはきちんと恋しているのではないか、と思うくらいに。


 しかし日色の方も悠里に負けず劣らず照れていた。


「いや~照れるね」


「うん」


 上泉の言うとおり、このあと別の男が現れてドラマティックな展開があったとしてもこの時間を失うのは耐えられない。そんな男、消えろと頭の中で蹴り出す。


「はたから見たらバカップルだよね」


「乗客増えてきたから慎もう」


 2人して赤くなって俯く。


 日色が左手をのばし、悠里の手に重ねた。


 日色の手が触れると微かに電流のようなものが走り、じんわり温かくなって頭まで上がってくる。


 悠里は日色の手を握り、日色は握り返してきた。


「頑張って、攻め込んでみました。物足りないといわれても困るので考えてきました」


 日色は更に真っ赤になっていた。もちろん悠里もだ。


「攻め落とされました」


 会話がなくても手をつないでいると時間はすぐに過ぎていく。


 それでもやっぱり日色のことをもっと聞きたくて、悠里は質問を重ねる。すると当然のようにいろいろ知らなかった情報が入ってくる。


 テレビや動画は見ないこと。マンガも読まないこと。音楽は古典邦楽からクラシックまでなんでも聞くこと。アニソンでカレカノを知っていたこと。筋トレもしていること。最近電動シェーバーを買ったこと。


「電動は楽だ」


 真面目にいう日色に悠里は笑顔になる。


「ヒゲ、生えるんだね」


「そろそろ、ちょっとだけね」


 日色は微かに笑む。男子の話を聞くことがないから悠里には興味深い。


「誕生日は? 聞いてなかった」


「1月19日」


「まだまだだね。私は3月9日」


「ぜったい、覚えておく」


「ありがとう。私も忘れないよ。しかし今日は大荷物だね」


「乾電池式のギターアンプとマイクスタンドと譜面台と折りたたみ椅子とマイクとケーブルと入っているから」


「大荷物だ」


「揃えるのもけっこう、お金が掛かった。もう何にお金が掛かるか分からないから毎月節約しているよ」


「無駄遣いしていないっていうのはそういうことか」


「今日の交通費だけでも意外とかかるよね。大丈夫?」


「これくらいなら。行きたいといったのは自分だし」


 知らない日色の一面を見られただけでも今日は価値がある。

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