第15話 おつきあい(仮)することにしました 3

 その気持ちがもう恋心になっていたとしたら、嬉しい。なんていえばいいのか日色には分からない。だけど今、言わないとならないことがあると思う。


「かわいくないかもなんて電話で言っていたけど、今日もかわいいよ」


 そしてじっくりと悠里の格好を見る。オレンジ色のキャミサロペットが秋らしい。白のシャツが清楚さを引き立てている。


「今日は、保育園に紙芝居をしにいっていたんだ。だからこんな格好」


「初耳」


 ミコトが派手に走り回るので、2人と1匹は北に歩き始める。悠里はボランティア活動を始めようと思ったこと、紙芝居をしようと思い立ったこと、そして今日、それを実行に移したことを日色に説明してくれた。


「面白いなと客観的には思ったんだけど楽しくなかったんだ」


「どうして?」


「上泉さんに言われた。もっと楽しいことがあったんじゃないかって。それは君と一緒に東京に行ったことだと思った。だから正直にそれを伝えようと思ったんだ。そうしないときっと私は前に進めないから」


「気持ちを隠す人も大勢いると思うよ」


「でも、その相手が桜宮くんだから、ぶつけても受け止めてくれると思ったんだ」


「――君が好きだから受け止めたくなるね」


「でも、それ、物足りなかったんだ」


「はは。分かる。相手が受け身だとつまらないからね」


「でもさっき、私が『会えるかな』って聞いたら、『会いたいな』って言ってくれた。その言葉は受け身じゃない。君の気持ちだったからだと思う。だからジーンときたんだ。足りなかったピースがはまったんだ」


「じゃあ、もっと僕も君に気持ちをぶつけよう」


 日色は青い空を見上げる。とても悠里の顔を見られない。


「とりあえずどんな気持ち?」


「とりあえず来週は僕も保育園にいく」


「私の気持ちを考慮して?」


「僕が行きたいから。園児向けの歌を練習しよう。保育園に一緒に行ければ君と一緒の時間を過ごせる」


「私も君と一緒なら次はきっと楽しくなると思う」


 悠里がどんな顔をしているか見たくて右隣を見る。悠里は微笑みながら何かを考えている様子だった。かわいい。


「最初から君を誘えば良かったな」


「でも、距離をとりたかったんだね」


「うん。今にして思えば。どう君に接すればいいか分からなかったし」


「今でも僕は浜元さんとどう接すればいいか分からないけどね」


「私も、今も別の意味でわからないもの」


 ほんのちょっとずつ、両思い。


 そんな微妙な関係だから、いつ壊れてしまうか分からない。すぐに友達に戻ってしまうかもしれない。そんな危うい感情だ。とても恋人同士になれるとは思えない。しかし急ぐことはない。いや、急いではいけないと思う。


「少しずつ進めばいいと思うな。9月に話し始めてまだ11月だよ」


「そうだね。少女マンガみたいにドラマチックな展開がなくても、こうやって恋に気づくし――」


「僕が安心できるくらいまで君の恋心を育てないとならないね」


「どこかからイケメンが登場して私の心をさらっていかないとも限らないからね。これはロマンス系のマンガの事例だけど、穏やかな恋人に満足していたら、運命の出会いがあってそっちに流れるってのはある意味、定番だ」


「じゃあ、僕が運命にしよう」


「何を?」


「君と席替えで近くなったことを。海が見える窓際で同じ時間が過ごせるようになったことを運命にする」


「面白い。発想の転換だ」


「不思議だな。どうして君に恋心を抱けないかもなんて不安だったのかな。こんなに楽しいのに」


 悠里はふふふと笑う。


「不安だったってことはもう君の中に恋心があったってことだ」


「そっか。なかったら不安にすら思わないよね」


「僕が一歩踏み出したから変わった。君も踏み出した」


「恋のベクトルに向かって?」


「恋のベクトルは見えないからね。踏み出すのに勇気が必要だ」


 悠里は一度、黙った。そして言った。


「桜宮くんを傷つけるかもしれないと思うと怖かったよ」


「それでいいんだと思う。僕も恋の感情を打ち明けるのに勇気が必要だった。君がどう受け止めるのか見当もつかなかったから。でも、同じくらいならいいね。確認なんだけど、このまま友達でいてくれるんだよね」


「お互い恋心に気づいただけってことでいい?」


 日色は頷く。


「普通はさ、もっと盛り上がってからいろんなことがあって告白するものじゃないのかなあ。そう思っていた」


「でも、理性的に話し合いができる私たちらしいとも言える。気持ちを隠してギクシャクするよりいいよ」


「そういえばそうかも」


「でも、君を誰か他の女の子にとられるのは、イヤだよ。だって今の時間が好きだから。でも、恋人になれるかといわれたら、分からない。君もそんな感じ?」


「恋が形になっていないのは同じ。僕も君と一緒の時間をもっともっと過ごしたいよ」


「じゃあ、そこだけは約束。私はこれからも桜宮くんに一緒にいて欲しい。離れて欲しくない」


「片方に他に好きな人ができたら?」


「お互い相談しよう。そのときはそのときで気持ちがはっきりするかもしれない」


 日色は目を閉じる。自分の中には確かに悠里への恋心がある。だが、未来のことは分からないほどそれは不確かなものだ。格好良く変わらないと言い切れるほど自分も気持ちも今は強くない。だが。


「誠実さは絶対に欠かさないよ。二股なんか絶対にしない」


「それは了解。当然だね。じゃあ、今日から私と桜宮くんは――どういう関係なんだろう。考えよう」


「難しい定義になりそうだ。恋人同士になる前提のお友達、とか?」


 悠里が首をひねる。


「普通それは『結婚を前提としたおつきあい』というものでは?」


「それ、超、遠いでしょ?」


「じゃあ、お試し交際って感じかな」


「おためしってほど僕の恋心は弱くない」


「お試し以上、真剣未満」


「これってすっごい僕ららしい会話だと思う」


 そんな会話をしている間に海岸沿いの道ももう終わろうとしていた。もうすぐイオンタウンだ。引き返すか、イオンタウンに行くかという流れだ。


 ミコトはお散歩を続けましょうという顔で2人を見上げている。


「引き返す?」


「僕は休憩所に自転車置きっぱなしだ」


「引き返そう」


 2人はいつものようにお互いの顔を見て笑い、海岸沿いの道を引き返し始める。


「こんなゆるーい関係がいいなあ」


 日色は心から思う。


「名前つけたいな。恋人でもなく友達でもなく、友達以上恋人未満の呼び方」


「この世界にはきっとあるんだろうなあ」


「彼氏彼女の事情って知ってる?」


「うん。浜元さんこそ、そんな古いマンガ、よく知っているね」


「この前、CSで放送してた」


「じゃ、カレカノでどうってことだね?」


「理解が早い。さすが私のカレ」


「あの2人とはかなり関係性は違うけどね」


 そして悠里が立ち止まったことに気づき、日色も歩みを止めて振り返った。すると彼女は顔を真っ赤にして少し俯き加減で足下を見ていた。


「自分でカレとか言っておいてめちゃくちゃ照れました……まだ早かったです」 


 悠里は顔を上げてまた歩き出した。日色は考えた上で言う。


「実際、彼氏彼女って感じでもないし」


「わかるなあ。桜宮くんに夢中ってわけではないけど、他の誰かに君の時間を奪われたくない。単に独占欲なのかなあ」


「僕は――浜元さんが恋人になってくれたらと思うけど、思うだけで実際にはぜんぜん想像ができないから、その前段階のポジションを独占できればそれでいいかなと思う」


「お互い、自己分析するね」


「言っていることは浜元さんと変わらないと思う。言い換えただけ」


「確かに。デート、いっぱいしようね」


「え、そうなの? 今までと同じようにやっていくんだと思ってた」


「ダメなら早く友達に戻った方がダメージが少ないと思って。主に私の方が」


「もともと恋人関係と定義しないのはダメージを少なくするためでもあるのに?」


「じゃあ言い直す。私がデートをしたい。この不確かな気持ちを抱えていたくない。これってわがまま?」


 悠里は日色の顔色を窺った。


「ささやかな、でも僕にとっては嬉しいわがままだ」


「受け止めてくれて嬉しい」


 悠里は安堵したように前を向いた。


 休憩所に戻り、しばらくの間、日色はミコトと遊んだ。運動不足を痛感する結果になったが、砂浜に足を取られたからだと自分に言い訳した。


「明日はどうしてるの?」


 ベンチで休憩していた悠里が聞いた。


「特にないよ。ギターの練習をしようと思っているよ」


「会える?」


「会いたいね」


「来週の週末は?」


「土曜日はなにもないよ。紙芝居に一緒に行こうか」


「うん。じゃあ、日曜日は」


「日曜日は千葉駅に行くんだ」


「そうなの? 何しに?」


「ギター弾きに。月2回、アマチュアでも街頭に立たせてもらえるイベントをやっていて抽選に当たったから」


「君はそんなのやってるの? 初耳だ」


「人前に出て演奏するのはいい練習になる。コピーだけど」


「ついていっていい?」


「その反応はなんとなく想像できていた。つまらないかもよ」


「私の知らない君の姿を見るのは勉強になる」


「なんの勉強?」


「私の、感情の」


「格好良く演奏して君に惚れてもらわないとならないかと思うとプレッシャーを感じる」


「そのときはそのときだ。気持ちが動いたらちゃんと言うよ」


「約束だよ」


 悠里がこの件で自分の気持ちを隠すとは考えにくいが念を押す。


 悠里は頷いた。


 もう少しミコトと遊んだあと、暗くなってきたので悠里と別れた。


 また明日、と言って。


 翌日は午前中から北条海岸の休憩所で再集合した。日色も悠里もお弁当持参で、足りなくなったらコンビニで買い足して、一緒の時間を過ごした。日色はギターの練習をしながら詩と旋律を考え、悠里は読書をした。


 ミコトも一緒で、散歩の後、リードを伸ばしてしばらく自由にさせた。人が来たら短くするように心がけた。


 空と海は青く、風が穏やかないい1日だった。




 月曜日の教室で2人は窓際の席に穂波を呼び、悠里は付き合い始めたことを報告した。


「仮ですが」


 そういう悠里の顔を穂波は呆れて見た。その後、日色に向き直った。


「ちょっと先に進んだのはいいけど、桜宮くんは仮でいいの?」


「僕は仮をとる気だから」


「温度差があるのはきついと思うよ」


「そんなに温度差はないよ」


 悠里は日色を見上げた。


 それならいいんだけど、と日色は思う。ただそういう悠里の顔は満足げだ。


「うーむ。何かあったら言ってね」


「うん」


 悠里は頷くが、穂波は首を横に振った。


「ちがう。桜宮くんに言ったの」


「あ、そうなんだ」


 悠里は苦笑した。穂波は的確に問題を把握しているんだな、と日色は思った。


 その日から、一緒にお昼をとることにした。天気が良かったので屋上で2人でお弁当を食べた。教室に戻ると付き合い始めたことが教室中に広まっていたが、それは想定内のことだ。後ろめたいことは何もしていない。


 放課後は悠里と一緒に図書室に行き、上泉に報告した。


「浜元さんは律儀だね」


 上泉は感心したような呆れたような顔をしたようだった。相変わらず彼女の表情はかたく、感情を読みづらい。


「でも、仮から始めるのもありなんだよね」


「上泉さんはどうだったの?」


「私の場合は外堀が埋まっていたから。気持ちも高揚していたし、センパイしかいないって思っていたし。今でも、そこのところは変わらないかな」


「のろけいただきました」


「浜元さんは桜宮くんしかいない?」


 悠里は日色を見上げた。


「恋している自覚はまだそんなにない。でもこんな緩い関係のまま、2人で一緒の時間を過ごして、いつの間にかおばあちゃんとおじいちゃんになれていたらな、と思う」


 上泉は唇の端を上げて笑顔を作った。


「それは理想的だね。いろいろすっ飛ばしてるけど」


「自覚ある」


 悠里はうなだれた。


 そんな風に悠里が思っているなんて日色は全く想像していなかった。


 週末の土曜日は悠里に連れられてアポの上、保育園に紙芝居にいった。悠里は違う紙芝居を上演し、前後に日色が幼児向けの歌を披露し、一緒に歌った。


 帰り道、悠里は幾度も楽しいという言葉を口にした。


 穏やかな秋の帰り道だった。


 こんな時間を一緒に過ごせればいいと日色は思う。


 明日は千葉で路上ライブだ。どんな風に彼女が自分の別の姿を受け止めてくれるのか心配だが、一部でも、自分であることには変わりがない。


 日色は帰宅後、明日に向けて歌とギターの練習をした。

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