第14話 おつきあい(仮)することにしました 2


 日色は自宅のノートPCでブラウジングしていた。




「海上月

 行くふねの けふり一筋 なひきけり 青海原の あきのよの月」




 日色はモニター画面上の樋口一葉の短歌を読み上げ、解説を読む。煙とは故人を荼毘に付したときの煙を指すらしい。月を見て故人を想う歌だ。その故人は詠み手にとってどんな人なのだろう。想像は膨らむが答えは読み手に任せられる。ネットの海は広大だ。こんな楽しみ方もある。今はまだ午後の明るい日差しの中だが、風のない月夜に読めばまた違う味わいがあるに違いない。


 手もとに置いたスマホが通知を知らせ、悠里であることを確認すると日色は大きく深呼吸した。東京から帰ってきてから距離を置かれている気がしていたから余計に緊張する。


 恋心を悟られたのかと日色は恐れていた。ささやかな、淡い恋心だ。告白までは到底できない。距離を置かれたらただ席の近いクラスメイトに戻るつもりだった。そんな淡い恋心でも作詞には大きな影響を受けている。エネルギーが湧くというのだろうか。ギターを弾くことと同じくらい、詩を考えるのが楽しい。仄かに、悠里に恋していると思う。もっと一緒にいて、もっと話したかった。悠里は日色の人生で特別な女の子になっていた。


 悠里にしてもおそらく一番気に掛けている男子は自分に違いない。そうであって欲しい。教室で後ろから彼女を見ていている間、しみじみそう考える。彼女のことをすぐ近くで考えられるだけで幸せだった。


 普段ならこれくらいで済む。だが、実際にこうやって連絡を貰うと心がざわめき立ち、コントロールできなくなるのが分かる。先に好きになった方が負けとは聞くが、その通りだと思う。きっと大した内容ではない、と自分に言い聞かせ、見る。


〔音声通話していい?〕


 これで悠里に避けられていないことは分かった。しかし緊張の度合いは高まる。


 日色は悠里の画面で音声通話をタップする。


『ごめん』


「いきなり謝らなくても。どうかしたの」


『いや、いきなり音声通話なんて迷惑じゃなかったかなと』


「どうしたの? いつに増してネガティブだね」


『嫌われたくないからだと思う』


 今日の悠里は変だと思う。


「ぜんっつぜん、分からないよ。どうして僕が浜元さんのことを嫌うの?」


『音声通話、重くない?』


 うーん。やはりすごいネガティブに思える。


「ちゃんと嬉しいよ。君に少し距離を置かれたと思っていたから、連絡を貰えるなんて考えもしなかった」


 どうすればいいか分からないから、正直に、誠実に対応するしかないと日色は考える。


『うん。距離、置きました』


「そのことはもういいよ。こうやって君の声が聞けただけでおつりが来るから」


『どうしてそういうことさらっと言えるかな』


「なるべく誠実に、相手を傷つける言葉でなければ、それでいいと思うし。緊張してるよ、ちゃんと。ビデオ通話だったら困っていたくらいには」


『私もきっと、ビデオ通話だったら困っていた』


 どんな顔をしてそんな言葉を口にしているのか見たくはある。


『ごめん。本当にごめん。桜宮くんがノーって言わないって分かっていて、聞きたいことがあるの』


「怖いね」


 少し間が開いた。


『正直に言うね。私、桜宮くんともっと一緒の時間を過ごしたいと思ってる。君と一緒にいる時間が好き。そしてもっと君にかわいいって言って貰いたいと思ってる。この気持ちに嘘はないんだ』


 何やら風向きが変わってきた。それもすごい強風らしい。


『でも恋じゃない。桜宮くんのことはとっても仲がいい友達だと思ってる。でも、時折胸が騒ぐんだ。これは恋の予感だと思う。この気持ちがどうなるか、このまましぼむのか育つのか分からない。こんなこと言って君に嫌われたくないし、傷つけたくない。自分の気持ちを正直にぶつけるのが正しいとも思わない。暴力的だとすら思う。だけど聞いて欲しかった』


「それで?」


 思ったよりも自分のことを真剣に考えてくれていることが分かって嬉しいのが半分。恋ではないと言われてショックなのが半分。日色は動揺を隠し、相づちだけうった。


『もっと君と一緒にいる機会が欲しい。気持ちを確かめて、育てるべきなのか確認したい。君は――私のことをどう思っている?』


「ストレートだね」


 彼女が恋愛関係に対してこんなに熱量を持っているとは日色は思っていなかった。


『傷つけて、ないよね』


「うん。恋の予感を感じているのは僕も同じだから。僕の方がちょっと進んでるかな。それはラブソングを作っているからかなと思うよ。ゆっくり、細部まで考えるし。歌詞の中の女の子は君以外いないから、恋心になろうとしているんだ」


『――あ』


 髪の匂いの一節を悠里は思い出しているに違いなかった。


 彼女が自分に恋してくれていなくても、やはり正直に言うしかないと日色は思う。


「旋律を作っているときも、詩を作っているときも、ギターを弾いているときも君のことを考えてる。そうだった――いつだったか指先が触れたとき、電気が走ったんだ。マンガみたいだと思った。あれが僕の恋の予感だったんだと今は思う」


『――私も、電気が走ったよ。ミコトのリードを返して貰ったときだ』


「嘘みたいだ。2人とも同じときに同じ感覚を覚えていたんだ!」


『そうか。あれが恋の予感か。確かにあの日は今までで一番楽しかった』


 悠里にいつもの調子が戻ってきたようで日色は安心する。


『私たち、だいたい同じところにいるみたいだね』


「いや、だから僕の方がちょっと進んでる。君が自分の気持ちを確かめている間に僕の恋心ははっきり形になってしまうかもしれないよ」


『私に片思いしてくれるってこと?』


 自分に、彼女の問いに、正直になろうと思う。


「――うん。歌の形になって、はっきりするんだと思う。はっきりしたら僕に恋して欲しくなるだろうね。けど、君の方はまだ先のことは分からないね」


 言ってしまった。自分は彼女に恋をしていればよかった。もしくは恋の予感を覚えてさえいれば。でも、自分の中に両思いになりたいという気持ちがあることを認めてしまった。答えが怖かった。


『ごめん。その通りだね。でも、それを聞いて気持ちはかなりはっきりした。そっか、君は私のこと好きでいてくれているんだね』


「何を今更」


 気持ちが伝わっただけでよしとしよう。彼女は自分の現在地点を聞きたかったのだ。


『ふふ。ごめん。謝ってばかりだ。大丈夫だよ。私も今のところ君以外の男の子は見えていないから、誰か他の人になびくようなことはない』


「それだけが救いだ」


『無責任なことは言わないよ。無責任なことを思ったことはあるけれど口にして君を傷つけたくない』


 彼女はどんな無責任なことを思ったのだろう。想像できない。


「でもそれでいい。君らしい」


 真面目で、相手を思いやる悠里が自分は好きなのだと日色は気づく。 


『好きの感情に育つかどうか分からないけど、君に対して正直でいたいよ』


「育てられるかは僕次第のところもあるから、君が責任を感じる必要ない」 


『これからミコトを散歩に連れて行くんだけど会えるかな』


「会いたいな」


 素直に気持ちが言葉に出た。


 悠里からはしばらく返答がなかった。 


『かわいくないかもしれない。けど、すぐ、いく』


「え、どこで合流?」


『同じところ!』


 そして音声通話は切られた。


 日色もアウターを羽織って急いで家を出る。待たれるよりは待っていたいから自転車で北条海岸に向かう。自転車なら5分くらいだ。


 県道を通って海岸通りに出る。秋の青い空が広がり、館山湾もそれを映して深い青をたたえている。波も穏やかだ。休憩所が見えて、ペダルを強く踏み、海岸に入ってトイレ前に自転車を停める。


 まだ、悠里の姿は見えない。息を整え、どこからくるのかと考え、出身中学を考えておそらく南からだと見当をつけ、海岸沿いの散歩道に立ち、南を見る。土曜日の午後だ。何人か散歩している人が見えたが、犬連れの人はいない。まだのようだ。会ったとして何を言えばいいのか、全く考えもつかないが、日色はただ悠里の姿を見たかった。


 10分ほども散歩道の傍らで待っただろうか。南に犬連れの少女の姿が見えて、日色はハッとした。彼女だった。悠里は小走りでミコトの後を走っていた。ミコトは日色を覚えていたらしく、突撃してきてペロペロと日色を嘗めた。


「早いね!」


 悠里が笑顔で言うと、日色はミコトをあやしながら声を上げる。


「君に会いたかったから」


「やばい。また、ジーンときてる」


 悠里は胸に手を当てて息を整えながら下を向き、何か感慨に浸っているように見えた。そして言葉を続けた。


「わかる。たぶん今、君に追いついた」


「何に追いついたの?」


「君の恋の予感に!」


 そして悠里は正面を向いて、日色を見つめた。

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