第12話 どうも東京でデートのようです 3

 失敗した――失敗した。


 日色のため息に気づき、悠里は確信した。もう朝の電車の中からダメだったのだ。ランボウ詩集なんて読ませている場合ではなかったのだ。確かに移動時間を有効に使うことはできた。いつかは読んで貰いたかった。しかしそれは今日ではなかった。絶対に。


 そもそも文芸マーケットに一緒に行って貰うという時点でハードルが高かったのだから、せめて一葉記念館ではなくもっと別の、たとえばお買い物にでもすればよかった。そもそもつきあわせるだけじゃなくて、彼の興味のあること、たとえばお茶の水で楽器をみるとかすれば良かったのだ。悠里はそう気づくとあんみつをかき込む。


「どうしたの?」


「まだ時間があるから移動しようと思って。ほら、お茶の水とかどうかな。古本屋さんもあるけど、楽器屋さんもいっぱいあるんでしょう?」


 日色は小さく笑った。


「ゆっくりしようよ」


「え、だって……」


 悠里はこのイヤな雰囲気のまま、時間を浪費したくなかった。


「私、桜宮くんにつまらない思いをさせた」


 どうやら図星だったらしい。日色の顔色が変わり、お茶を飲み始めた。


「当たり?」


「半分当たり、半分外れ」


「解説してもらっても、いい?」


「浜元さんと一緒にお休みの日を過ごせるのは嬉しい。これが半分外れ」


 ストレートな言葉を貰って、悠里は赤面する。


「――もう半分は?」


「男子と見られていないとしか思えなくて、これが半分当たり」


「ちゃんと男子だって思ってるよ。今日、これでも頑張ったんだよ。髪のカットに行ったし、お風呂も長く入って肌のお手入れしたし、ヘアセットだっていつもよりずっと時間掛けたし、セーラー服風のワンピース誉めて貰ったからセーラー服風のトップス新調したし、スニーカーだって気合い入れて洗ったし。真っ白でしょう?」


 日色はテーブルの下の悠里のスニーカーを見て、呟いた。


「本当だ」


「――ごめんなさい。テンション上がってて、桜宮くんのことをあまり考えていなかったのは自覚したの」


「好きなことをやっていると他に目が行かなくなるのはわかるよ」


「でも、相手はないがしろにされたと思うよ」


「かわいい女の子に相手にされているんだから健全な男子としてはそこまでは思わない。今日の坂本さん、特にかわいいしね」


「今日、2度目」


「3度目もありならまだまだ言いたいよ」


 もう一度、なんてとても言えない。


「自分のテンションが上がっているって気がついてくれたのなら僕はそれで十分。ゆっくりいこうよ。飯塚さんにけしかけられたのかもしれないけど、僕らは僕らのペースでいいと思っています」


「穂波には今日のことは言ってないよ」


「じゃあなおさら」


「うん」


「じゃあ、僕から提案。『たけくらべ』の舞台になった千束稲荷神社に行こう」


「いいね」


 少し気持ちが戻ってくるのを悠里は感じる。


 お茶をゆっくり飲んでから、すぐ近くの千束稲荷神社に行く。


「両片思いの悲恋の話の舞台だね」


 たけくらべはお寺の息子さんと花魁になる運命にある美少女の両片思いのすれ違いを描く悲恋の話だ。


 それほど大きくない神社だが、赤い奉納幟がいっぱい掲げられている。鳥居は200年も前のものとのことで、美登利と真如のような少女と少年が参拝することもあったに違いないと思うと感慨深い。


「聖地巡礼だ」


「そうだね。ちょっと早いけどお昼ご飯、いい?」


「朝早かったから、あんみつ食べたばかりだけど大丈夫」


「じゃあ、いこうか」


 ギグバッグを担いだ日色はスマホを手に東に向かう。キョロキョロしながら進んで進んでいるのは、『たけくらべ』の舞台が花街なのだから残っていて当然だが、日本最大の風俗街が近いからだろう。悠里も一般知識としてその存在は知っている。その手のお店が目に入らないように気をつけてくれているのだと思われた。ある意味、女の子だと意識して貰えているわけで、嬉しくもあり、なんだか複雑な気分だった。


 1キロほども歩いた、今はまばらになった商店街の中の大衆洋食屋の前で、日色はスマホをしまった。目的の店なのだろう。開店時間まで少しあったが、路上看板の日替わりランチが美味しそうなので待つことにした。


 2人はテーブル席に腰掛け、悠里はメンチカツと麻婆豆腐のセットを頼み、日色は炙りカツオの鉄火丼にした。ランチなのですぐに出てきたが、悠里はその量に驚き、最初から日色にお裾分けした。日色はさすが男の子で、それも含めて完食した。メンチカツも麻婆豆腐も味付けが好みで美味しかった。


 悠里が食べ終えた頃には文芸マーケットの開会時間になったので2人は路線バスに乗り、浅草に戻って会場入りした。会場は多くの長机が並べられ、来場者も多くいた。見本誌コーナーで悠里はじっと見定めつつ、事前に調べておいた出展者のところにも行こうと思う。そして我に返り、悠里は日色の様子を気にした。日色は周囲の様子を窺っているだけだったが、不機嫌そうな様子は見えない。


「テレビなんかで見るコミケよりずっと落ち着いているね」


「マンガはたぶん、あっても少ないしね」


 それでも通路に人はあふれている。


「こういうの来たの初めてだから新鮮だ」


「またちょっとテンションあがってしまいました」


「そのために来たんだからいいんだよ」


 日色は笑って見せてくれたように悠里には思われた。


「じゃあ、お願いがあります」


 悠里は日色にカーディガンの左の袖口を引っ張ってみせた。


「ここを掴んでいてくれる? 人混みではぐれないように」


 あざといなーと悠里は自分でも思うが、自分を女の子だと意識してくれて、ここまでついて来た日色に報いたい気持ちがある。恥ずかしいが手をつなぐわけでもない。自分の中では許容範囲だ。


 日色はおずおずとカーディガンの袖口を右手の親指と人差し指で摘まんだ。


「わかった」


 こんなシチュエーションが訪れるとは思いもしなかった悠里としては自分でふっておきながら赤面せざるを得ない。悠里はそれでも先に進み、目的の出展ブースに急いだ。カーディガンの袖が伸びてしまうかもと思いながらも、その引っ張られる感触で安心できたから、気にしないようにしようと悠里は思った。


 悠里は目的の本以外にも数冊購入し、会場をあとにした。もう15時を回ってしまっていた。早く帰らないと館山到着が遅くなってしまう。調べると19時に館山に到着するためには16時前に浅草橋発の電車に乗る必要があった。


 浅草から地下鉄で浅草橋へ向かうことにする。しかし休日の浅草は多くの観光客で賑わっていて、地方から出てきた2人にとっては歩くのも大変だった。


「袖、伸びちゃうから、いいかな?」


 日色はギグバッグを差し出し、悠里はギグバッグのストラップをぎゅっと掴む。


 2人はすれ違う人にぶつからないよう気をつけながら浅草駅に向かった。




 無事、浅草橋でJRに乗り換えることができたが、休日の午後の車内はたいへん混雑していた。悠里とやむなく密着する形になり、日色は今日一番の喜びを感じた。ギグバッグを挟んでいるが、悠里の頭頂部がちょうど目線の真正面になる。こんなに近いのは記念写真を撮ったとき以来だ。


 錦糸町で快速に乗り換えてもしばらく混んでおり、密着状態は続いた。午前中は苦行だったかもしれないが、この時間だけで十分おつりがきた。途中でやや空き、離れてしまったが、それでもやっぱり近かった。


 悠里は日色に断って、購入した同人誌を読み始めた。そちらが気になっているのなら邪魔する必要はない。ゆっくり、近くでかわいい悠里を見ていればいいだけのことだ。見ていればそのうち、歌詞のアイデアも浮かぶに違いなかった。


 千葉でまた乗り換えて、やっと座れた。


 悠里はまだ夢中な様子のまま、読書を続けていた。


 木更津で更に乗り換えるが、始発なので普通に席を選べ、日色は来たときと同じ2人席を選んだ。悠里は読むのをやめ、バッグに同人誌を戻すとバッグを膝の上に置いてうたた寝を始める。


 疲れていたんだなあ、と思う。当たり前だ。朝も早かったし、結構歩いた。


 実は日色はこのときを想定してギターを持ってきていた。彼女が眠ってしまったとき、少しでもコードの確認をしようと思っていたのだ。しかし悠里は電車の揺れに促されたのか、日色の肩に頭をもたれた。


 マジか。


 日色は動こうにも動けなくなる。嬉しい大誤算だ。


 館山駅に到着するまであと1時間以上ある。


 この宝物のような時間を一生脳裏に焼き付けておこう。


 そう思いながら、日色も目を閉じたのだった。

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