第9話 『反復技法』 2


 翌朝早く、悠里はミコトと一緒に北条海岸に向かう。家から北条海岸までは1キロくらいしかない。ミコトは朝から散歩で大はしゃぎしていて、悠里を下に見ているのか、彼女より先行して歩いている。普段会う他の犬に挨拶しつつなので時間は掛かるが、朝の8時には北条海岸に到着する。


 今日、北条海岸に向かったのは昨日、日色とのやりとりがあって頭に残っているからだ。北条海岸からは天気が良ければ富士山が見える。今日は朝の早い時間なのでしっかりと見える。きれいな富士山を見ると気分がいい。夏の気配が去った海岸にはまたゴミが漂着してきている。夏が終わって大掃除したあとなのに、いい気分が台無しだ。残念なことである。


 砂浜に降りてリードを伸ばすとミコトが大喜びで駆け回る。なかなか自由に外を走らせてあげられないのはかわいそうだ。今度、ドッグランに連れて行こうと悠里は思う。悠里は砂に足を取られながらミコトについていく。


 昨日、日色がいたという休憩所に目を向けると建物の下にあるベンチに人影が見えた。ギターを手にしているのを確認して、思わず悠里は声を上げてしまう。


「ええっ! どうしているのかな?」


 ミコトを引っ張って、海岸線に沿って延びる散歩道への階段を上る。


「桜宮くん、おはよう」


「浜元さん、犬の散歩なんて偶然だね」  


 ミコトの方が先行し、日色に襲いかかる。ミコトは日色に遊んでアタックをしかけ、前脚を日色の上半身に乗せて猛アピールだ。


 日色はギターをベンチの上に避難させ、不慣れな手つきでミコトを撫でる。


「この子が浜元さんの家の子だね」


「ミコトっていうの。この子、人間が大好きだから、迷惑じゃない?」


「飼わせてもらえないけど、本当は犬も猫も飼ってみたいよ。僕と遊んでくれるのかい。嬉しいよ」


 撫でているとミコトが遊んでアピールを示して日色の手を嘗め始める。


 悠里は少し我を忘れていたが、すぐに気がつく。


「桜宮くんの服が汚れちゃうよ」


「いいんだよ。ジャージだし」


 日色は紺のジャージにクロックス風のサンダルと極めてラフな格好だ。


 一方、悠里の方は膝上のセーラー服風の白基調のワンピースだ。ちょっとロリータっぽくて恥ずかしくなる。買ったはいいが、あまり着る機会がないので着ただけだった。


「浜元さんはかわいいね」


 日色にかわいいと言われて、話の流れ的に服装のことだと分かっているのに悠里は照れを感じてしまう。意識する前だったら、大丈夫だったかもと思うが、バレないよう心がけようと思う。日色も誤解されたのかと思ったのだろう、付け加えた。


「セーラー服が。ウチの制服、ブレザーだから新鮮だ」


 悠里は頷いた後、言った。


「セーラー服に憧れていたけど、結局、中高両方ブレザーだからね――もし桜宮くんが良かったらなんだけど、ミコトを遊びに連れて行ってくれない?」


「いいよ。望むところだ」


 悠里が伸縮方法を説明したあと、日色はリードを受け取り、ミコトと一緒に砂浜に降りていく。リードの長さは最大5メートルだが、目一杯伸ばしてミコトを走らせている。ミコトは日色の周りを走り、時折特攻をかける。


 悠里は思わずスマホを手に動画を撮影する。


 秋の砂浜、海の向こうに富士山が見える中、愛犬と戯れる日色は絵になっていた。穂波が言っていたように、日色は確かにちょっと格好いいかもしれない。


 日色が遊び疲れ、ベンチまで戻ってくる。リードも短くしている。ミコトはワンワン吠えて、まだ遊ぼうと日色にアピールするが、日色はベンチに腰掛けて撫でるだけだ。


 そして悠里が動画を撮影していることに気づき、日色は彼女を見上げた。


「自分で愛犬の動画を撮れることあんまり機会なさそうだものね」


「おかげさまでいい絵が撮れました。見る?」


 日色の隣に座り、一緒にスマホを見る。


「ミコトちゃん、楽しそうだね」


「桜宮くんも楽しそうに見える」


「楽しそうじゃなくて楽しかったから。ありがとう、ミコトちゃん」


 ミコトはハアハアいいながら日色に対して遊んでアピールを繰り返す。


「ん、何かできそうな予感。ワンワンワン ワンワンワンワン ワンワンワン ウチのわんこは 今日も元気」


 悠里はほぼワンワンしか使わない1首を作り出す。


「もっと続けられそう。砂浜を 走って走って 走り抜け ご主人様へと 一目散に」


「即興にもほどがある」


「完成度は高くない」


「当たり前だね」


 悠里と日色は互いの顔を見て笑い合う。


「でもさ、これは立派な『繰り返し』表現だよ」


「うん。歌でもよくあるね。ゲゲゲの鬼太郎とかそうだ」


「なぜに鬼太郎」


「いや、なんとなく」


「詩だと草野心平のカエル関係の詩」


「ああ、小学生のときに授業でやった覚えがある。鳴き声が独特で、鳴き声だけのもあった気が」


「繰り返し、反復技法だよね。えーっと」


 斎藤茂吉の短歌を思い出し、ネットで検索する。


「みちのくの 母のいのちを 一目見ん 一目見んとぞ ただにいそげる」


 東北の実母の命が短いことを知り、茂吉が母に会いに行くときに詠まれた歌だ。


「よくわかる技法だ。気をつけて使うよう心がけよう。気持ちが急いていると同じ言葉が頭の中でぐるぐる回るよね。同じだ」


 日色は二度三度と頷く。


「そうだね。気持ちならそうだね。カエルの詩のように自然が対象なら、変わらないものの表現なのかな」


「ワンワンは?」


「繰り返しの面白さ。子供は好きだよね」


 2人は笑った。落ち着いたあたりで悠里は聞く。


「今朝はここでギターの練習?」


「親はまだ寝ているからね。迷惑にならないように外に出ているんだ」


 そして悠里はベンチの上にリングノートを見つけた。


「作詞は?」


「――ぼち、ぼち」


「見せて貰ってもいい?」


「それは、ダメ!」


 いつにない強い調子で拒否され、悠里はショックを受ける。


「ごめんなさい」


「いや、完成したら、ううん、ある程度まで形になったらみてくれるかな」


「そうだよね。私も創作ノートを見られたらイヤだもの。もし見せられるようになったら見せてね」


「うん。だけどこれは没かも。うまくメロディーが振れなくて」


 日色はため息をつく。


「それは力になれないな。でも応援だけはできる。頑張って」


 悠里は両拳を固めてガッツポーズをとる。


「今朝は嬉しいことばかりだ。ミコトちゃんと遊べたし、浜元さんと話ができて、しかも私服を見ることができたからね」


 ミコトは名前を呼ばれて、また遊んでアピールを始める。


「ははは。もう一度、遊びに行こうか」


 日色は笑顔になる。


「私服、かわいいって言ってくれて、ありがとう。男の子にそんなこと言われたの初めて」


 悠里はぽつんと本音を漏らしてしまう。


「それは光栄だね。一番だなんて嬉しいや。浜元さんはこんなにかわいいのに、同じ中学の男子は見る目がなかったんだな」


 かけてくれる言葉が嬉しいこともさることながら、日色の笑顔が悠里にはどうにも眩しい。男の子だと意識しすぎだ。


 日色は再びミコトと遊びにいく。本当に楽しそうだ。胸も高鳴るが、自分の創作意欲も高まってくるのを悠里は実感する。


 15分ほども遊び、日色は疲れ切ってベンチに戻ってきた。ミコトは犬の体力なのでまだまだ遊び足りなさそうだったが、日色の顔を見て勘弁してやるかという顔をした。


「今日はありがとう。楽しかったよ」


 日色は悠里にリードを返した。返すときに指が触れ、電流が走った。


 初めての感覚に悠里には思われた。


 日色も意識してしまったのか、俯いて言った。


「ごめん」


「男子に、ううん、桜宮くんに触られたからってイヤじゃないよ」


 悠里は深く考えることなくそう言葉にすると、日色は驚いたように言葉を失っていた。


 その直後、間にミコトが入ってきて、変な雰囲気を吹き飛ばしてくれた。 


「記念写真、撮っていい?」


「うん。でも、ミコトちゃん大人しくしているかな?」


「誰かに頼もう」


 悠里は通りがかった散歩の人にお願いし、スマホを託す。


 悠里はミコトを押さえ、2人の間に座らせて構図を作る。


「彼氏さん、もっと寄って!」


 散歩の人に言われ、距離をとっていた日色は、少しずつ近づき、結局、悠里の髪がかかるくらい近くまで寄らされた。


 ナイス声かけです。


 内心、悠里はほくそ笑む。


 確認した写真もすごく2人が近くに写っていて会心の出来映えだった。


 散歩の人に感謝を述べて、2人と1匹はベンチを後にする。


「その写真、くれるかな」


 日色が歩きながら見ている悠里のスマホをのぞき込む。


「もちろん」


 悠里は日色のスマホに画像を送る。日色はそれを確認し、スマホをポケットにしまい込んだ。


 すぐ近くのコンビニに行き、イートインスペースで2人して軽くお茶をする。


「こんなことって本当にあるんだね」


 日色がまっすぐ悠里を見る。悠里はカップを見る振りをして視線を外す。


「同じ町に住んでいるんだから会っても不思議はないのにね」


「中学は学区が違ったんだね。僕は第一中学だから」


「ほんの少ししか離れていないのに出会いって不思議だな」


 悠里は本当にそう思う。もし自分が創作ノートを落とさなかったらここまで日色と話をするようになっていなかったに違いない。


「出会いは偶然の積み重ねだけど、そこから先は違うから、意識してがんばらないといけないんだよね」


 日色は自分に言い聞かせているように悠里には見え、静かに頷いた。


 ミコトをコンビニの外であまり待たせたくもなく、2人は早々にコンビニを後にする。悠里は家に戻るつもりだったが、日色はまだしばらくギターを弾くとのことだった。


 月曜日に詩の勉強会をすることに決めて、2人と1匹は別れる。悠里は今日のこの遭遇で、自分の中の意識が変わったことを強く感じながら帰路についた。


 月曜日の図書室での詩の勉強会のテーマは『反復技法』にした。


 例は幾つも見つかったが、もう、土曜の朝に語ったこと以上の展開はなかった。


 しかし何も収穫がなかったわけではないと悠里は思う。


 悠里はスマホを開け、2人と1匹の記念写真を見る。


 日色と一緒に過ごす穏やかな時間が好きだということを悠里は認めたからだ。


 この気持ちがどんな風に育っていくのかは分からないが、きっと詩を推敲するように言葉を入れ替えるように気持ちも改められて、形にになっていくはずだと思う。


 それはときには苦しいかもしれないが、無駄なことではないと思う。


 スマホをしまい、閲覧テーブルを挟んで、目の前で詩集を読む日色に目を戻し、悠里はそう確信したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る